彼氏さんとの話し合いの結果。

少し前に某教会宛に確認事項(私が知らない事柄)がありまして、メールにてHPから送信をしました。

本日、主任神父様からのお答えを事務局から頂きましたので、彼氏さんに見せ、話し合いとなりました。彼氏さん曰く「(俺は元々プロテスタント教会の)日曜学校やミサに出て、聖書の勉強をしたり、教会へ来る子供達と遊んだりとしていたから、洗礼を受けるという事には重きを置いてはいないんだよ。10代の頃から人間として、困っている人の荷物を持ったり、何か助けになったりとするのは、人として当たり前の事だし、カトリック教会に所属すると献金や活動(教会の一員として)をしなくてはならなくなる。それにカトリック教会に行ってみて感じたんだんだけど、規律が厳しいと思ったんだよ。ミサ式次第(ミサの進行表の事/カトリック教会には信徒や、一般の方が判るように置いてある場合がある)とか、色々な事柄がね。 それならば1つのカトリック教会に洗礼を受けて所属するよりも、あちこちに旅行とかで行った際にその地にあるカトリック教会やプロテスタント教会へ行き、聖堂に入らせて頂き、祈りを捧げる方が良いし、俺自身クリスチャンとして洗礼は受けていなくてもクリスチャン的に生活を出来れば嬉しいとは常々思っているし、仕事もそう思った結果で人を助けたいという気持ちから選んだんだよ」と。

更に「今の俺には仕事や莉愛さんとの生活で、そんな余裕(献金や教会の一員としての活動をする事)は無いから、莉愛さんが過去に教会に所属をし、聖書の勉強をして、洗礼も受けて、心の支えになっていたのも理解はしている。けど、莉愛さんは既に2回も転けているよね?(結婚生活が) そのウチの2番目は霊波だし、何回かは莉愛さんだって霊波の本部には行っているんでしょ? 所属教会へ莉愛さんが少しずつ集めた聖書や聖品、ロザリオなんかもお返しした時点で、既にキリスト教徒(洗礼者)とは言えないと俺は思っている。だから一緒に聖イグナチオ教会へクリスマスイブにミサに行った際にも言ったけど、1から勉強をし直す気持ちで聖書や聖品も少しずつ集めれば良いよね?って。」……。

何も言い返せませんでした。
彼氏さんの言葉の1つ1つが余りにも正論過ぎて…。

確かに私は2番目の結婚(入籍のみ)で、一旦はキリスト教を捨てた人間なのです。ですから今更ながら声を大にして「(洗礼を受けた)クリスチャンです」とは決して言えません。寧ろキリスト教についての知識は高次脳機能障害の記憶障害もあり、聖書の内容すらも不確かなのですから……。
今、彼氏さんに「俺に聖書の内容を教えてみろよ」と言われても、無理な話でしかありません。

離婚したとはいえ、私の所属教会は洗礼を受けた教会です。本来ならば今の住所から近いカトリック教会へ転入しないとなりません。が、それをするとなると私自身が仕事に就き、私自身が自由に使える為の金銭の確保をしなくてはならなくなります。

今の私の身体と心の状態では、仕事(定職)に就くのは不可能に近いからです。抑鬱、不眠症、パニック障害、身体の痛み(特に腰と膝)、左耳高度感音性難聴に右耳の突発性進行性難聴……。上げればキリがありません(泣) 家事もその日の体調と相談をしながらでなくては出来ないのです。彼氏さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。何故こんな私を選んでくれたのか? 何故こんな私に寄り添ってくれるのか? 何故こんな私に愛情を注いでくれるのか? 等々……。

先日、掛かり付け大学病院の眼科の診察日の日に院内にあるコンビニにて、『眠れないほどおもしろい「聖書」の謎/並木伸一郎:著』という文庫本を購入しました。普通の人が読みやすい聖書の中の謎な部分に焦点を当て、解説をしている本です。
病院での待ち時間に丁度良いと買い求めましたが、おもしろすぎるし、判りやすくて、最近購入した三浦綾子さんの「塩狩峠」まで読み進められずに困っています。 そして今朝には聖イグナチオ教会案内所
「Shop Pauline~ショップ パウリーネ~」にて購入した「カトリック手帳2020」に挟んでおいた「朝の祈り」を言葉に出して唱えたり、幼稚園の敷地内にあったカトリック教会で幼い頃に記憶した「主の祈り」を唱えたり(諺にある「昔取った杵柄」はあながち間違ってはいないと感じました)、聖イグナチオ教会の「信仰のしおり(PDF)」と「信仰のしおり(増補版/PDF)」を読んだりしていました。他には埼玉県にある別のカトリック教会のHPに記してあった「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り」をやはり言葉に出して祈っていました。この祈りは2020年4月3日 日本カトリック司教協議会認可の祈りです。

私自身、幼少期がカトリック系の幼稚園だった事、そして最初の結婚生活で心の拠り所が無かった事等の理由からカトリック教会に所属する事が絶対条件と無意識になっていたんだと、彼氏さんの話から気付かされました。
今の私はキリスト教については、未信者となんら変わりが無いのに……。

彼氏さんと話し合いをして良かったと今なら思います。 やはり彼氏さんは尊敬出来る人だと改めて感じました。

某教会宛に確認事項(私が知らない事柄)がありまして、メールにてHPから送信をしてしまった事については、私の暴走行為であり、反省すべき点だと理解も出来ました。

これからはカトリックのクリスチャンではある(未信者と同じ扱い)けれども、洗礼者(または受洗の恵みに与った)とは言わないようにしたいと心に刻み込みたいと思います。

この様な過ちを繰り返さない為にも、日記として書き記しておきたいと思います。