余白の中に人の息遣いが聞こえる。#創作大賞感想
説明するな、描写しろ。
小説のハウツー本などで嫌というほど見る言葉。わかっているけれど、私はいつも説明してしまう。何色の何を着て、どんな髪型で、どんな意図をもって何を言うのか、私は説明してしまう。それはただの特徴の列挙であって、それではキャラクターは立たない。キャラクターをいくら説明したところで、読者にしっくりこない。登場人物が、言うこと、すること、それを描写することで、その人のキャラクターは初めて立つ。そうしないと、読者の中に登場人物の人となりは伝わらない。
カナヅチ猫さんは、私がnoteを始めたころに知り合った方で、同じ頃に始めた人がどんどんいなくなっていく中、残って小説を書いてくれている私にとって嬉しい存在だ。そして、私はカナヅチ猫さんの小説が好きだ。それは、冒頭に書いた描写力にある。
カナヅチ猫さんの小説には、余白が多い、と私は思っている。全部説明しない。原因も、結果も、実際には何だったのかも、説明で埋めたりしない。そこには、静かだったり、少し騒がしかったり、不穏だったり、優しかったりする余白がある。この余白の中に、その人たちの息遣いが聞こえるのだ。
「ボヤニアイスクリーム」は、まさにそんな作品だと思った。
この、「何を思い、何をして、何を言うか。」が実は難しいと思っている。何を思い何をして何を言うか、を描写することで、人物の心の機微に触れるのだ。でも、”これは心の機微です”という書き方はしない。それがうまい。決定的な答えを書かない。だからこそ、余白にその人の感情の息遣いが聞こえる気がするのだ。全て書いて埋めるなんて野暮なことはいらない。奇抜な個性で頑張ってキャラ立ちさせようとしない。そういう小説なのだ。そうすることでより深く、人を書くことに成功している。
だって、実際の人生ってそうだ。全てを説明しながら生きている人なんていない。人間関係なんて余白ばかりだ。イエスでもノーでもない。善でも悪でもない。いつまでたっても答えがない。どこが境界だったかなんてわからない。そういうものが、本当の、リアルな人間関係なのだ。それをちゃんと書けるのはすごいと思う。
私なんかの説明より、小説を読んで余白を感じてください。
素敵な小説をありがとうございました。
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