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掌編小説「どこまで行ってもいつも雨」

残高が40万を切った。
39万8千円。

これが私の全財産。
あ、あと、もう15年乗っている軽自動車が一台。



39万8千円であと何か月生活できるのかな、と思いながら銀行を出て商店街に向かう。

家賃6万5千円。駐車場9千円。水道光熱費。車の保険。国民健康保険。食費。

髪が伸びすぎた。美容院にも行かないと。あと最低限の化粧品。大してかからないけれど無にもできない諸々の費用。



商店街の入り口にある「デリカデリカ」で鶏肉のから揚げに甘酢あんのかかったお総菜を買う。節約して生活を切り詰めれば私のタイムリミットは少しは伸びる。

でもあまりそういう気にもならない。
自棄になっているわけではない。絶望もしていない。

ただ、無為なのだ。もともと。



どうして「溌剌と元気に楽しく明るく!」ということを求めるのだろう。

いや、求めるのは自由だ。
ただ、強要しないでほしい。

「外で元気に遊びなさい」
「友達と楽しく過ごしなさい」
「将来に夢を持ちなさい」
「希望を持って前向きに」



いつになったら「元気に前向きに信仰」から逃れられるのだろう、と思って39年生きてきたけれど、世間に耳を貸さなければ無為に生きていけることがわかった。



39歳。39万。
ちょうど預金の残高と同じだな、と思う。



ぱらぱらと雨が降り出した。午後は天気が不安定になるとニュースで言っていたような気もするし、言っていなかったような気もする。

傘をさす人もいれば、走って駅に向かう人もいる。
私は傘を持っていないし、走るのは好きじゃない。

雨はどうして降るのか。

弱い雨だったがアパートに着く頃には全身しっかりと濡れていた。
髪から冷たい雫が背中を伝う。

雨はどうして降るのか。

雨はいつも、私を濡らすために降る。



残高の39万を使って沖縄に行こうと急に思い立った。

もう20年程前になるか、訪れた離島が信じられないほど美しかったことを思い出した。



沖縄の本島より西の離島。
観光シーズンから少しずれていたからか、島全体が空いている。

島に数件しかない居酒屋で刺身を食べビールを飲んでいると「ひとり旅?」と男に声をかけられた。男は京都からの観光客で、ひとり旅らしかった。

食事を終えて私の泊まっている宿まで男と2人で歩いているとき、ざあっと雨が降り出した。

沖縄の雨は、南の島特有の降り方をする。

しとしとと慕情のように降ったりしない。もっとアバンギャルドな降り方だ。

「濡れるよ!」男は小走りに宿に走っていったが、私はゆっくり歩いて、前衛的な雨をありのまま受け入れた。

南の島に来ても、雨は私を濡らすために降る。



セックスは10年ぶりくらいだったけれど、こんなもんか、という感じだった。
私が携帯電話を持っていなかったから、男は私に連絡先を書いた紙を渡して、自分の宿に戻った。

翌朝、私は男が出発する時間が過ぎたことを確認してから部屋を出て、男にもらった連絡先の紙を海に捨てた。



どんな生き方をしていても、必ず全員最後は死ぬ、という事実が私をどれだけ安心させているか。永遠はないのだ。必ず終わりがくる。何もかも全てに、必ず終わりは訪れる。

そう思えば、人生などほんの寄り道だと思える気がする。



ウミガメが目撃できる、というスポットに来てみた。
柵など何もない断崖の上は恐ろしく風が強かった。
私はそこに立ち尽くし、海を眺める。
結局切っていない長い髪を強風が激しく嬲る。

アデュー。アデュー。



世界に別れを告げる気はないが、世の中とうまくやっていこうとも思わない。

かつて美しかったこの島は今もなお美しい。そこには私の意思など何も介入する余地はなくて、自然に抗う術のない私は産まれて死んでいくその流れの中に逆らわず、漂っていればいいのだ。



どこまで行ってもいつも雨。

そんな人生でも別に構わないではないか。

無為にやり過ごせばいい。

いつも、いつまでも、雨は私を濡らすために降る。



《おわり》



#何故あめは降るのか



お題↑こちらに参加させていただきました。

探せなかったお題を教えてくださったカナヅチ猫さま、リンクの貼り方を教えてくださったあるさま、ありがとうございました。

みなさんの作品もゆっくり読ませていただきます。ありがとうございます!

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