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雑記:文章を書くことは、目的か手段か。

最近、交流のあるフォロワーさんと話していたことで、気になっていたことがある。フォロワーさんと話し終えても、そのあとも自分で考えていた。それは、何のために文章を書いているのか?ということ。

書くのが好きだから。

と言ってしまえばその通りなんだけれど、やっぱりそれだけじゃないと思う。

最近になって私は、私にとって小説を書くことは「自分を解放すること」ということに気付いた。書くことで、自分と向き合って、向き合ったことを小説という形で表現する。それが、私の、文章を書く理由なのだと思う。

だから、私は、文章を書き終えた時点で、もうその文章は完結していて、私の中では終わっている。小説が完成した時点で、私の小説は完結している。自分との向き合いが終わって、解放され切っている。つくづく、私は誰のためにでもなく、自分のために文章を書いているのだと気付く。

もちろん、noteに投稿したり、公募に出しているのだから、書いたものが評価されれば嬉しい。でも、それはあくまで、自分を解放するために書いたものが、結果的に誰かに読んでもらえて、結果的に何かに評価してもらえたら、めちゃくちゃ嬉しい。って感じで、言わば、結果的な、ご褒美的なものなのだ。

でも、前述したフォロワーさんは、やっぱり読まれた上で評価がほしい、という感じだった。

そんな話を漠然と夫にしていたのだけれど、夫が「それは男女の差もあるのでは?」と言ってきた。前述したフォロワーさんは男性である(本人のプロフィールを信じる限り、だけれど)。

このジェンダーフリー、ジェンダーレスな時代に、「男だから」「女だから」という区分けで何もかもを語るなんてことはするつもりはない。ただ、元看護師の私と、分子生物学者の夫なので、個体差と同程度には、生物学的な性差はある、と思っている二人である。ジェンダーの話はちょっとだけ横に置いていただいて、文章を書く理由に男女差があるとは、ちょっと興味深い話だと思った。(私も夫も、ジェンダーフリー、ジェンダーレスはもちろん賛成であり、性差で何かを差別するつもりはないことは、ご了承ください)

夫いわく
「文章を書いて投稿しているくらいだから、承認欲求は男女関わらず強い。そのうえで、男性のほうが、文章という手段でその先の何かを求めているのではないか?女性の場合は、感情を表現すると満足するのと同じ感覚で、文章を書ききること自体が目的であって、その先の評価があればもちろんそれは嬉しいけれど、それより前に、まず書ききったことで一度満足しているのではないか」

との意見だった。
興味深い。

確かに私は、書ききったことで一度満足するタイプである。そこで、一度目の満足があるから、その先の評価はもちろんあれば嬉しいけれど、なくてもダメージが少ないのかもしれない。

それで、ちょっと自分のまわりの文章書きさんたちを見渡してみたのだけれど

読まれたい
評価されたい
ちやほやされたい
本を出したい
売れたい
有名になりたい
お金を稼ぎたい

っていう気持ちを明確に公言したことのある人って、男性が多い気がする……。もちろん、そんなのはちょっと言ってみただけのことにすぎず、強い信念を持ってお書きになっているのだろうと思うけれど。
一方で、女性noterさんたちは、一つの記事を書ききったことでの満足感が強いように思える。(かまってちゃん的な理由でビューやスキに一喜一憂している女性noterさんはいらっしゃるだろうけれど、それは文章を書く理由とちょっと話が違う気がする)

あくまで、私の勝手な推測であるし、実は男女のわからないフォロワーさんもたくさんいる。ジェンダーレスなフォロワーさんもいらっしゃる。一概には言えない。男性noterさんでも、手段ではなく目的として書いていると思える方もいらっしゃる。だから、男女差ではないのかもしれない。

でも、男女差じゃなくて、個体差だとしても、目的として書いているのか、手段として書いているのか、これは人によってはっきり分かれるのではないか?と思う。

私は、たぶん確実に、目的派だ。書くこと自体が、書く目的。書き終えたことで一度完結する。

どちらが良いとか、悪いとか、そういう話じゃなくて、目的か手段か、その違いはあるのかもしれないな、興味深いな、と思ったよ、という話でした。

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