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小説:空ってこんなに眩しかったっけ。#一歩踏みだした先に

 写真が嫌いだ。鏡も嫌い。長い前髪で目元を覆うようにして、私は今日もうつむいて歩く。自分の顔が嫌い。顔が、というか、顔にあるアザが。
 私には生まれつき、おでこから目元にかけてアザがある。太田母斑おおたぼはんという青いアザで、けっこう目立つ。小学生の頃は、「アオタン、アオタン」と男子にからかわれたが、高校生になった今、さすがにそんなデリカシーのないことを言う人はいない。でも、初めて私を見た人は、生まれつきのアザだとわかって気まずそうに目をそらすか、怪我だと思って心配してくれるかのどちらかだ。黄色人種に多いアザらしく、海外に行くと虐待と間違われるケースもあるらしい。だから、太田母斑のある子供をもつ親は、「これは生まれつきのアザだ」と書かれた診断書を持っていると聞いたことがある。私は日本に暮らしているけれど、私のまわりに太田母斑の人はいない。私しかいない。太田母斑は、女性ホルモンと関係があるらしい。生理がきた中学生の頃から、いちだんと濃く、大きくなった気がする。どうして私だけこんなアザができたんだろう。
 顔をあげて歩けない。風の強い日は前髪が揺れるから嫌い。私は私のアザを隠しながら、日々なんとか過ごしている。
 
 今日は特に憂鬱だ。水泳の授業があるから。体育の先生が厳しい人で、髪の毛を全部水泳キャップに入れないと怒られる。私は、自分の目元からおでこにかけてあらわになるのが怖い。いつも隠している場所を見られるのは、本当につらい。みんな見て見ぬふりをしてくれるのはわかっている。でも、きっと「うわ〜」と思っている。同じ水に入るのが嫌だと思っているかもしれない。うつるもんじゃないけど、やっぱり見た目、気持ち悪いと思うから。
 私はなるべくおでこが見えないように、水泳キャップを目深にかぶり、下をむいて授業をやり過ごす。ああ、嫌だ。みんなアザを見ている気がする。こそこそ話している気がする。気持ち悪がられている。ああ、怖い。
 実際は、誰にも何も言われることなく、授業は終わる。みんなもうわかっているから、別に気にしていないのかもしれない。少しは見慣れてくれたのかもしれない。でも、夏の間、水泳の授業のたびにこんな気持ちにならなきゃいけないなんて、この先耐えられるかわからない。

 最近は、ルッキズムなんて言葉があるらしい。外見による蔑視をしてはいけない、といったような意味だった気がする。太田母斑に限らず、アザやヤケドの痕などを隠さずに生活している人がいることは知っている。それは良いことなのだろうし、私だってアザを自分の個性だと思えばいいのだろう。でも、ルッキズムを叫び「それもあなたの個性のひとつよ」なんて声高に言う人に限って、顔がつるっと美しく、肌の色以外は何色もついていない。私は、黄色人種の肌色とは別に、顔が青く染まっているのだ。少し前には、「ありのままで」なんて歌が流行って、現代は自分の欠点と思えるところもありのままで認めて生きていこう、といった風潮が盛んだ。
「じゃ、あなたの顔と取り換えてよ」
 私がそう言ったら、みんな何て言うのだろう。
 憂鬱な体育の時間をやり過ごし、長い前髪で目元を覆うと少しだけほっとした。

「りんちゃん、一緒に帰ろう」
 こんな私にも、友達と呼べる人はいる。あこちゃんは、中学から同じ学校だったから私のアザも見慣れているし、気にしないで仲良くしてくれる。それでも、私はあこちゃんの左側に立つようにしている。あこちゃんに限らず、私は人の右側に位置することが苦手だ。アザが、左側にあるから。左側から人に顔を見られることが嫌なのだ。なるべく、人の目に入れたくない。だから私はいつも、誰かの左側にいたい。
 あこちゃんと一緒に下駄箱に行くと、同じクラスの桜井さんがいた。長い髪をきゅっとポニーテールに結って、姿勢よく立っている。
「ねえ、香川さん。ちょっと話したいことあるんだけど」
 急に名前を呼ばれてどきんとした。
「なに?」
 私はなるべく顔を下に向けながら桜井さんに返事をする。同じクラスだけど、桜井さんはきれいだし目立つ子だ。今まで全然話したことなかった。あこちゃんもびっくりしている。
「香川さんのアザって、太田母斑でしょ?」
 私は、言葉につまった。高校に入ってからアザのことを直接話題にする人はいなかったし、何より、太田母斑という名前を知っている人に初めて会った。
「そ、そうだけど」
「やっぱり。今日、水泳の授業のときに見てわかったんだ」
 いじめられるのだろうか。からかわれるのだろうか。高校生にもなって、生まれつきのアザを揶揄されるのだろうか。あこちゃんが私の腕をぎゅっとつかむ。
「りんちゃん、帰ろう」
 私はどうしたらいいかわからなくて、じっと足元を見ていた。
「あのさ、私のメイクの練習台になってほしいんだけど」
 桜井さんはそう言った。
「え?」
「メイクの練習台になってよ」
 桜井さんは真面目な顔をしていた。でも、馬鹿にされているのだと思った。アザとの関係もよくわからないし、何が言いたいのかわからない。
「りんちゃん、気にすることないよ」
 あこちゃんが腕を引く。
「うん……」
 私はあこちゃんに引っ張られるようにして下駄箱をあとにした。帰り道、あこちゃんは桜井さんの話題を出さなかった。それが、あこちゃんなりの優しさなんだと思った。

 翌日、学校に行くと机の中に手紙が入っていた。きれいな水色の封筒の端に、「Mai」とサインがしてある。まい。桜井さんの下の名前だ。
 机に隠すようにして封筒を開けると、封筒と同じきれいな水色の便せんが入っていた。

「昨日は、急に話しかけてごめんね。香川さんのアザのこと、ずっと気になっていたんだけど、なかなか話す機会がなくて、急に声をかけて傷つけたならごめんなさい。ちょっと強引だったなって反省してる。あと、練習台なんて言い方してごめんなさい。言い方悪かったなって思ってる。私ね、メイクを勉強する専門学校に行きたいと思ってて、それで、メディカルメイクアップに興味があるの。だから、香川さんにメイクをしてあげてみたかったの。余計なお世話だったらごめんね。でも、ちょっと考えてみてほしいなって思ってる。前髪で隠すなんてもったいないくらい、香川さんかわいいから♡」

 どきどきした。桜井さんは、私より後ろの席だから、私が手紙を読んでいるのを見ているかもしれない。でも、振り向く勇気はなかった。そもそも、メディカルメイクアップって何だろう。太田母斑の治療はレーザー治療って聞いたことがあるけど、けっこうお金がかかるから私はあきらめていた。メイクでどうにかなるのだろうか。メディカルっていうくらいだから、医療に関係するもの? わからない。
 そして、そんなすべてのハテナをきれいさっぱり吹き飛ばすくらい、最後の「香川さんかわいい」の文字が私の頭から離れない。やっぱり馬鹿にされているのだろうか。私がかわいいなんて、あるわけない。しかも、桜井さんこそ美人じゃないか。なんだ、なんかちょっとむかついてきた。美人がアザ持ちの不細工にメイクをして笑いたいのだろうか。一度そう考えると、そうとしか思えなくなってきた。私は手紙をそっと鞄にしまって、両手で顔を覆った。

 家に帰ってから、もう一度手紙を読み返す。4回も「ごめん」って書いてある。アザのことをとやかく言われるのなんて慣れているから(平気ではないけど)そんなに謝らなくても別に大丈夫なのに、と思う。それから、スマートフォンで「メディカルメイクアップ」と検索してみた。

「うまれつきのアザや、病気やケガでできてしまった傷痕などを、メイクによってカバーすること。医療行為ではない」

 そのページには、赤いアザのある人がメイクでアザをカバーした写真のビフォーアフターが載っていた。それは驚くほど目立たなくなっており、アザのない部分の皮膚とほとんど同じ色だった。ヤケドの痕をカバーした人の写真もあった。全然違和感がなかった。こんな方法があるなんて、知らなかった。
 桜井さんは、メイクの専門学校に行きたいって書いてあった。もう将来の夢があるんだ。すごいな。私は、いじめられるのかもしれないって一瞬でも思った自分を恥ずかしく思った。手紙を読んでむかついちゃった自分を責めた。たぶん桜井さんは、本当にまっすぐな気持ちで声をかけてくれたんだ。でも、メイクしてもらうってなったら、このアザを見せることになる。前髪をあげた顔は、家族にさえも見せたくない。それを、しゃべったことの全然ない桜井さんに見せられるのかな、私。

 次の日は休みだったから、あこちゃんに連絡をして、お茶をした。どうしたらいいか、相談したかったのだ。私は、ドーナツを食べてアイスティーを飲んでから、あこちゃんに桜井さんからもらった手紙を見せた。
「どう思う?」
 手紙を読み終わったあこちゃんに、私は聞いた。
「りんちゃんは、どうしたいの?」
「私は……。その……メディカルメイクアップってやつを調べたら、すごくきれいにアザがカバーされてた写真があって。だから、ちょっと興味はあるなっていうか、アザが目立たない自分の顔なんて想像がつかないから、ちょっと見てみたい気はする」
 ぼそぼそっと言うと、あこちゃんは優しく笑った。
「私は、賛成。この前は急に話しかけられたから、ちょっと警戒しちゃったけど、手紙読むと、桜井さん良い人そうだと思う。それに……」
 あこちゃんは少し言いにくそうにしてから、続けた。
「私、りんちゃんがアザのこといつも気にしてるってわかってるから、少しでも気にしないで済む方法があるなら、私はおすすめしたい」
 私は急に泣きたくなった。あこちゃんは、いつも気にしない素振りをしてくれていた。もう慣れたからだと思っていた。でも、私が気にしているのをわかったうえで、そうしてくれていたんだ。
「私、桜井さんにお願いしてみようかな。メディカルメイクアップ」
「うん! いいと思う!」
「けど、ちょっと緊張する」
 もじもじしている私にあこちゃんは言う。
「一緒に行こうか?」
「いいの?」
「もちろん」
 あこちゃんは「景気づけにもう一個ドーナツ食べるぞ!」と言って、売り場に向かった。私は、週明けさっそく桜井さんに話しかけてみようと決めた。

 月曜になって、私はあこちゃんと一緒に桜井さんの席に向かった。桜井さんは、今日も長い髪をきゅっとポニーテールに結って、きれいだ。
「桜井さん、おはよう」
「おはよう」
「この前、くれた手紙のことなんだけど」
「読んでくれた?」
「うん。それで、その……メディカルメイクアップっていうの? ちょっと興味あるなって思って……」
「本当!?」
「うん。私でよかったら、やってみてほしいな」
 桜井さんは立ち上がって、私の手をとった。
「ありがとう!」
 どぎまぎしている私をあこちゃんはニコニコして眺めている。さっそく今日、桜井さんの家でやってみることになった。あこちゃんも一緒に来てくれる。緊張していたけれど、どこかわくわくもしていた。もしかしたら、あのビフォーアフターの写真の人たちみたいに、違和感がなくなるかもしれない。もしそうなら、どんなに楽しいだろう。何かが変わる気がした。私は放課後が待ち遠しかった。

 桜井さんの家は、狭いアパートだった。勝手に大きな一軒家を想像していたから、ちょっとだけ驚いた。
「狭いけど、ごめんね」
 そう言いながら、桜井さんは本当に狭い部屋に入っていった。狭いけれど、片付けられた部屋だった。メイクの道具が箱にきれいに並べられている。
「桜井さんの部屋?」
「そう。狭いけど、自分の部屋をもらえるだけありがたいよね」
 そう言って笑う桜井さんは、学校で見るよりずっと親しみやすかった。
「まず、アザを見せてほしいんだけど、いい?」
 私は桜井さんと向い合せに座った。
「うん」
 私は覚悟を決めて、ひとつ息を吐いてから、前髪を両手であげておでこをあらわにした。あこちゃんは隣に座って、見守ってくれている。
「ちょっと触るね」
 桜井さんが、私のアザをそっと撫でるように触る。
凹凸おうとつはないんだね。つるつる。色だけか」
 ほとんどひとり言だった。そうしてよく観察してから、メイク道具の入った箱から、数種類の化粧品を取り出した。
「この色かな……こっちか。コンシーラーは、これかな」
 ぶつぶつしゃべりながら桜井さんは私のおでこと目元に化粧品を塗っていく。
「ちょっと目つぶってくれる?」
「あ、うん」
 私は目を閉じる。まぶたの上をやわらかいスポンジがトントンとリズミカルにたたく。どんなことになっているか自分では見えないけれど、隣であこちゃんが「ほお~!」とか「わあ~」とか言うから、気になって仕方ない。しばらくトントンが続いて、それから顔全体をほわほわっとブラシのようなもので撫でられた。
「よし、完成」
 桜井さんが言うから、私はそっと目を開けた。桜井さんは、満足気な顔をしている。あこちゃんが「すごい、すごいよ! りんちゃん!」と興奮している。そんなにすごいのか。
「私は独学だし、まだ練習途中だから、うまくいっていないところは私の技術不足ってことで、大目に見てね」
 そう言いながら、桜井さんは鏡を向けてきた。私は、おそるおそる鏡をのぞいた。
「これが……私……」
 そこには、全部同じ色の顔の私がいた。アザは全然目立っていなかった。顔全体にも薄くパウダーがはたかれているらしく、アザをカバーしたところと自分の肌色の境界もわからない。
「すごい……」
「良かった」
 桜井さんはほっとしたように笑った。
「やっぱり香川さん、かわいいね。知ってた? 太田母斑は美人に多いって言われているんだよ」
「え! そうなの?」
 初めて聞いた。
「そうだよ。メイクの学校に行きたいから、ちょっと調べたんだ。いろんな種類のアザのこととか。そしたら、医学的根拠はないらしいんだけど、太田母斑は美人に多いって言われてるんだって」
 知らなかった。自分の顔をまじまじと鏡で眺めてみる。こんなに自分の顔をちゃんと見たのは、本当に久しぶりだ。よく見れば、そんなに悪くないかもしれない。自分で思っていたほど、不細工じゃないかもしれない。桜井さんがやってくれたメイクの魔法なのかもしれない。鏡の中の私は、たしかに笑っている。
「ありがとう、桜井さん。自分じゃこんなことできないから、びっくり。本当にすごい!」
「できなくないよ。自分の顔は自分が一番よく知っているんだから。あとは慣れだよ」
「できるかな。あと、こういう化粧品って高いんでしょ」
「高くないよ。これは780円。こっちは900円。全部ドラッグストアコスメだよ。私だってちょっとバイトしてるくらいだもん、高いの買えないよ」
 驚いた。お手頃な値段の、いわゆるプチプラコスメでこんなに変わるのか。
「桜井さんは、もう将来の夢があってすごいね」
 あこちゃんが言う。私も思っていたことだ。
「どうしてメイクに興味を持ったの?」
 聞いてみたかった。
「なんかさ、自分の外見とか、ありのままを認めるのが良いこと、みたいに言われてるじゃん?」
「うん」
「外見で人を差別したり、傷付けたりするのは、良くないと思うの」
「うん」
「でもね、その外見が本人にとってコンプレックスだったら、それを解消したほうが、過ごしやすいじゃん?」
「うん」
「だから、きれいとかきれいじゃないとか、そういうことじゃなくて、私は、みんなが自分の外見も含めて自分のことを好きでいられたら、それが良いことなんじゃないかと思うの」
 たしかに、そのとおりだと思う。美しいかどうか、の問題ではない。自分の外見にコンプレックスがあれば、それを解消することは悪いことではないはずだ。でも、こんなに堂々としている桜井さん。生まれたときから自分の外見を好きなんだろうな、と思ってしまう。
「私には、コンプレックスなんてないんじゃないか、みたいな顔してるね」
 桜井さんが笑った。
「いや、そうじゃないけど」
「いいんだ。明るくて元気で、悩みなんてなさそうっていうのは、良く言われるから。でも、見て」
 そう言って桜井さんは長い髪をほどいた。そして背を向けて、髪をかきわける。
「あ!」
 思わず声を出してしまった。後頭部の真ん中あたり。ぽっかりとまん丸く、直径5センチくらい、毛がない。
「どうしたの、それ」
「子供のときにヤケドしたらしいんだ。毛根が死んじゃったんだって。だから、もう一生ここから髪の毛ははえない。ショートカットにすると、このハゲが目立っちゃうから、髪切れないんだよね。でも、私は長い髪の私も好き。だから、自分の外見にコンプレックスを持っている人が、少しでも楽しく過ごせるお手伝いができるなら、それって幸せなことだなって思うんだ」
 そう言って笑う桜井さんは、やっぱりかわいかった。そして、またきゅっと高い位置でポニーテールを結った。

「ねえ、駅前のドラッグストア行ってみない?」
 あこちゃんが提案してきた。
「いいね! 行こう! 行こう!」
 桜井さんも乗り気だ。私は、両手でぎゅっと抑えていた長い前髪を、思い切り横に流してヘアピンでとめてみた。
「おかしくない?」
「ぜんぜん! かわいい!」
 二人は声をそろえて言ってくれた。外にでると、日差しが眩しかった。私は、顔をあげて空を眺める。空ってこんなに眩しかったっけ。久しぶりに見る青い空は、どこまでも高く、気持ち良かった。今日のこの一歩が、私を前に向かせる力になるかもしれない。そう思いながら、きらきらした日差しを体中で受け止めた。

【おわり】

この物語はフィクションです。

#一歩踏みだした先に

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