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掌編小説:土壇場Dive【5985文字】

一章 土壇場からDive


 コバルトブルーの海が眩しい断崖絶壁を背に、丸腰の俺は、目の前で機関銃を構えている屈強な男たちを眺めた。

 俺もここまでか。両手をあげて苦笑した視界の端に、一瞬弾かれるような閃光。

──まさか、奴か?

 よぎった期待に応えるように、ヴーンという小さなモーター音。

 俺は、両手をあげたまま、苦笑を笑顔に変えて、そのまま後ろに数歩さがり、断崖絶壁に背中からゆらっと倒れ込んだ。まさに、土壇場からのダイブ。機関銃の男たちが「あっ」と驚愕の表情をしていたのがおかしい。俺は重力のままに背中から落下し、ぶすんとマットの上に着地した。俺を乗せたマットつきドローンが断崖を離れる。男たちが驚きながらも機関銃を構え乱射しようとしたそのとき、轟音とともに断崖は爆破され、男たちは海へ落下していった。俺は頭の下で手を組み、昼寝でもするような気楽さでドローンに運ばれる。爆風をもろともせず、筋肉質な俺を運べるのだから、立派なドローンちゃんだこと。

 ドローンは閃光を発したあたりに着地すると、案の定、相棒のAがいた。

「お前、死んだかと思っていたよ」
「あのくらいの脱獄は朝飯前です」

 貧相な体に黒縁眼鏡。戦闘は滅法弱いが、頭脳明晰で冷静沈着。手先の器用なAは、最高の相棒だ。ドローンを自動運転に切り替え、リモコンと、俺に合図を出した手鏡を鞄にしまうと、Aは「では行きましょう」と歩き出した。

「ああ、そうだな」

 そう、俺たちには、まだやることがある。



二章 前日のLime




 俺はいつものように濃いインスタントコーヒーを飲みながら煙草を吸っていた。Aは奥の部屋にこもっている。どうせ何かしらメカの整備をしているのだろう。今日は来客の予定もないし、帰ってジムでも行くか。そんなことを考えているときだった。

 事務所のドアがノックされた。

「開いてますよ、どうぞ」

 そっと開いたドアの向こうには、高そうなスーツを品良く着こなした男が立っていた。

「T氏の便利屋とは、ここでよろしいのですか?」

 品の良い男は、声まで上品。

「そうですが、何かご用ですか?」

 俺、Tと、相棒のAがやっているのは、確かに便利屋だ。でも、引っ越しの手伝いや猫探しなどを生業とする平々凡々な便利屋ではない。ここは、街の粗忽者たちが集まるようなドヤの端にある狭い便利屋で、要は何でも屋だ。何でも運び、何でも隠し、何事もなかったことにする。そんな便利屋だ。ただ、条件がある。金になるなら何でもやるわけじゃない。俺とAの、勝手な自己満足な基準があり、俺たちが納得しない限り、どんなに金をつまれてもつまらない仕事はやらない。それがモットーだ。

 そんな便利屋に、かなり不似合な男がやってきた。見たことがあると思ったら、確か大手企業の社長ではなかったか。かなりの若さでベンチャー企業をたち上げて、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長している企業の社長だ。

「失礼いたします」

 男は室内に入ってきた。むさ苦しい部屋に、爽やかなライムのような柑橘系のオーデコロンが香る。客か? と奥の部屋から顔を出したAも、あまりに不似合な人物に驚いていた。

「はじめまして。わたくし、△コーポレーションのCEOをしておりますBと申します」
「お顔は拝見したことがありますよ。有名な社長さんがこんなところに何の用です?」

 俺は煙草をもみ消し、B氏を薄汚れたソファに座るよう促した。

「単刀直入にお願い上げます。わたくしの会社に、スパイがいるようなのです。そのスパイを捕まえていただきたい」

 おもしろそうな話じゃないか。俺は舌なめずりをして身を乗り出した。

「わたくしの会社は、主にビッグデータをスパコンで解析し、AIと連動させて人々の生活に役立てる仕事をしております」
「難しいことはよくわからねえ」
「あ、はい。人々の情報を集めて、生活のお役にたてる技術を開発している、といった感じです」
「ああ、それで?」

 隣でAがタブレットにメモを取り始めた。Aも、この依頼が気に入ったようだ。

「その情報が莫大な量でして、その管理を行っている担当者が、どうやら情報を流用させ、多額の不正金を手にしているようなのです」
「それなら、その管理している奴を捕まえればいいじゃないですか」
「それが、昨日から管理担当の男が行方をくらませておりまして、どうか探し出していただきたいのです」

 俺はAと顔を見合わせた。表情を見ればわかる。

「わかりました。お受けいたしましょう」
「ありがとうございます。では、まずはこれが前金になります」

 CEOと名乗るB氏は、札束の複数入った封筒を丁寧に机に置いた。AIのなんちゃらやっている社長さんがいきなり現ナマか、とおもしろい気持ちになった。

 探してほしいという男の特徴や契約の話をし、社長は帰って行った。

「生きたまま私のところに連れてきてくださるだけで結構ですので」

 そう言い残して。



「あの社長、どう思う?」
「会社名義で慈善活動なんかもやっているようですね」
Aはさっそく△コーポレーションについて検索していた。
「慈善活動……ねえ」

 俺は社長の置いていった札束を小さなデスクの引き出しに無造作に投げ入れ、煙草に火をつけた。





三章 行方不明のsole




 まずは行方不明になっているというデータ管理担当の男の家に行ってみた。Aがピッキングをしようとすると、すでに鍵は壊されていた。

「なんじゃこりゃ」

 男の部屋は、派手に荒らされていた。ただ荒らされているというより、何かを探して漁られた、という感じで、収納という収納は全てひっくり返され、冷蔵庫から洗濯機まで、何もかも全ての中を探られていた。

「靴下の裏まで確認されていますね」

 Aがクローゼットから雪崩落ちている衣服の中から靴下をつまみあげる。これだけ手荒なことをするのは、俺たちとはまた別のプロか、と思った。あの社長が雇ったのだろう。それでも男の行方がわからず、仕方なく俺たちにまで依頼にきたに違いない。冷静そうな顔をしていたが、あの社長さん、相当焦っているな、と俺は思った。そして、この家主の男も、相当土壇場だ。

 土壇場で追い詰められた場合、人はあまり親には頼らない。この男もそうだろう。身に危険が及びそうな場合、人は家族を守りたくなるものだ。長年厄介な仕事に関わっていると、土壇場での人の行動もわかってきやすい。俺は、女だな、と当てをつけた。一人で逃げ回るのは精神的に苦痛だ。孤独は何より恐ろしい敵だ。きっと女のところにいる。そうに違いない。

 男の部屋で女に繋がりそうなものを探す。Aがひっちゃかめっちゃかな荷物の中の、靴の中敷きの下から一枚の名刺を見つけた。

【BAR:Vermilion】

「これだな」

 俺とAは名刺に書かれた店に行くことにした。


【BAR:Vermilion】は我々の事務所があるのと同じような雰囲気の、薄暗い路地にひっそりとあった。階段で半地下になっており、入り口は狭く、窓はない。

 店の前で、一人の少女が籠を抱えてキャンディを売っていた。

「お兄さん、キャンディいかがですか?」

 身なりが汚く痩せた少女だ。俺は札を一枚渡し、小さなキャンディを一つ買い、ポケットに入れる。
 店の重い扉を開けると、薄暗い店内、少し湿った匂い。カウンターの中に、女がいた。

「まだやっていませんよ」

 若いが、どこかくたびれた感じの女だった。化粧映えのする美人だが、その化粧の下に幾重もの苦労が垣間見える。

「△コーポレーションの男を探しているのだが」

 俺は男の名前を出し、ストレートに聞いてみた。

「知らないわ」
「申し訳ないが、女に手加減するタイプじゃないぜ」

 グラスを磨いていた手を止めて、女は俺を見る。

「あの卑怯者の手先?」
「はあ?」
「社長よ」 
「あの社長を知っているのか?」
「この店に辿り着いたご褒美に教えてあげるわ。でも、その前に、腰に差してる拳銃と、足首に隠してるナイフを出して。そっちの、細い彼も」

 俺とAは顔を見合わせ、言われたとおり持っている武器をカウンターに出し、両手を見せて丸腰のポーズをしてみせた。

 女は武器を丁寧にカウンターの端に寄せ、「ありがとう」と微笑んだ。

「あの社長は、裏の顔があってね、表向きじゃ慈善活動ってことになってるあの海外での活動も、開発しているAIの軍事転用が目的なのよ。危ない国に情報を売って、自分だけ大金持ちよ」

 俺は現ナマを机に置いて行った男を思い出す。金の亡者は、金しか信用していない、ということか。

「それで、行方不明になった男はどう関係してくる」
「その社長の裏の顔に気付いちゃったわけ」
「それで、逃げている?」
「まあ、そういうことね」
「なんでそんなことまで知っている?」
「野暮ね」

 そう言って女はまたに微笑んだ。こんな寂れた店ではなく、洒落たカフェテラスに似合いそうな微笑だ。

「依頼してきた社長さんか私か、どっちを信じるかは、まかせるわ。今すぐここで私を拉致して社長のところに連れていけば、拷問でもなんでもして彼の居場所を吐かせるでしょうし、そうすれば、少なくともあなたたちに謝礼は入るわ」

 俺は首をすくめる。

「社長の裏の顔の証拠はあるのか?」
「それを、彼が持っているわ」
「それを見せてもらってから判断するわけにはいかないか?」
「だって、あなたたちがそのまま彼を連れていく可能性があるわ」
「でも、この店の地下にいるんだろ? 会わなきゃどっちを信じていいか、判断つかねえよ」

 俺は、女がカウンターの下で足を滑らせながら無意識に消そうとしていた男物の靴跡を指さした。女は大げさにため息をつく。

「俺たちは、自分たちのことしか信じちゃいねえ。おもしれえほうに味方する。それだけだよ」

 女は「武器は置いたままで行ってね」と言って、地下室のドアを開けた。



四章 HighにJump




 地下室は思いのほか広く、男は椅子にかけ、PC画面に向き合っていた。

「あなたの敵か味方の、どちらかが来たわよ」

 女が言うと、男はゆっくり振り向いた。凛々しい眉に輝きを持った瞳、口元は決意に引き締まっており、男の覚悟を見た気がした。俺は、一目で男を気に入った。

「△コーポレーションの社長の依頼で、君を捕まえるように言われているのだが」
「そうですか。どうするんですか?」
「とりあえず、社長の裏の顔って奴を見せてくれねえか? それから決めたい」

 男は黙ってPCを操作し、画面を俺たちに向けてきた。Aが覗き込む。

「これは、経理管理のデータですね? ……明らかにおかしい」とぶつぶつ言っている。次に見せられたのは、事務所で訪れたときと同じようにシックなスーツに身を包んだ社長が、某国のトップと密会している写真だった。
「この国に情報を流して、悪用しています」

 男は苦いものを噛むように呟く。

「僕一人では戦えない相手だとわかってはいました。でも、気付いてしまったからには、見て見ぬふりはできません!」

 俺はAに視線をやる。Aは「ちょっと失礼」と言ってPCを触る。

「消したって、データはコピーしてある」
「消したりしませんよ」
「どうだ?」
「んー、フェイク画像じゃないですね」
「胸糞悪いなあ」

 俺はデニムの後ろポケットに手をやる。男が身構える。

「あんた!」

 女も大きな声を出す。まだ武器を隠し持っていると思ったのだろう。俺はポケットから、社長にもらった札束を一つだし、机に放った。

「とりあえず、これでどこか海外に高飛びしておけ。データは預かる。悪いようにはしねえよ」
「あなたを信用できる証拠がない」

 俺は少し悩んでから、もう一方のポケットに入れたキャンディを一つ机に置き「これじゃだめか?」と言った。男と女は、目を合わせてぽかんとしていた。





五章 土壇場からDive




 俺たちは男から社長のあくどい証拠を受け取り、すぐに出発した。男たちには裏口から逃げるように言ってあった。俺たちに尾行がついている可能性があるからだ。

 案の定、俺たちが店を出ると、数人の人相の悪い奴らが尾行してきた。

「信用できない奴を雇うってのは、どんな感情なんだろうな? 俺を信用できないから尾行させているんだろう? 実際俺は任務を遂行しようとしていないわけだけれど、俺を消すとするよ。俺を消した奴のことも信用できなくなるんだろ? 金しか信用できない奴は、かわいそうだね」

 二人並んで歩道を走っていると、俺の言うことに相槌だけ打っていたAが、突然消えた。え? と思って振り返ると、路肩に停めてあった車に連れ込まれていた。黒いバンは、ドアを閉める間も惜しんで急発進し、Aを連れ去っていく。

「くっそ」

 俺は黒いバンを追うことも一瞬考えたが、こっちが証拠を持っている以上殺しはしないだろう、とたかをくくって、とりあえず目的地に走った。地下室で見た男の決意に満ちた表情を思い出し、このデータを信用できるマスメディアに届けるまでは死ねねえな、と思いつつ、地面を蹴った。

 いったん車を取りに事務所へ戻る。車を走らせ海のほうへ。ここから行けば早い。最短距離で目的地へ急ぐ俺の前に、数台の車が道を塞いだ。

 ぞろぞろと物騒な武器を持った男たちが大量に車を降りてくる。

「車を降りろ」

 拡声器で大声を出してくる。そんなことしなくたって出てってやるよ。俺はホールドアップしながら車を降りる。

「武器を捨てろ」

 俺は腰に差していた拳銃と足首のナイフを地面に放る。男たちはじりじりと俺ににじり寄り、追い詰めてきた。土壇場ってのは、いつ味わってもヒリヒリする。

「データを渡せ」

 コバルトブルーの海が眩しい断崖絶壁を背に、丸腰の俺は、目の前で機関銃を構えている屈強な男たちを眺めた。

 俺もここまでか。両手をあげて苦笑した視界の端に、一瞬弾かれるような閃光。

──まさか、奴か?

 俺は断崖へダイブした。





六章 運命のDice



 俺はいつものように濃いインスタントコーヒーを飲みながら煙草を吸っていた。Aは相変わらずメカいじり。俺はデスクにある新聞を眺める。

【△コーポレーションCEO情報の軍事流用で逮捕】

 センセーショナルな見出しがついた記事に、シックなスーツを着たあの社長が連行されている写真が載っている。

「俺のところになんか依頼するからだよな」

 煙草を吸いながら俺は自分の仕事に満足していた。新聞には「勇敢な内部告発者」として、BARの地下室で見た男の精悍な写真も載っている。すっかり英雄扱いだ。しかし、彼の行方は依然としてつかめていないらしい。会社からの報復を避けるために亡命したとか、もう死んでいるだとか、さまざまな憶測が飛び交っており、しばらくは騒がしそうだ。


 そういえば、【BAR:Vermilion】の彼女と例の男から、さっき写真つきのメールが来た。異国の田舎で、スローライフを楽しんでいるようだった。しかし、さすがは英雄。メールは世界各地のサーバーを経由してあり、Aでも発信元を特定できなかった。

「さすがだな」

 俺は煙草を深く吸って、異国の空に思いをはせた。



《おわり》

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