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小説:雨女【2567文字】

 ビジネスホテルの窓に、激しく打ち付けては流れ落ちていく雨を見ている。東京は今日も雨。
『今年の梅雨は長いですね』
『ええ、例年になく遅い梅雨明けとなりそうです』
 何気なくつけていたテレビが天気予報を伝える。私はリモコンを持って、テレビを消す。
 便利な街には、つい長居してしまう。でも、東京はもう限界だろう。梅雨を長引かせ過ぎてしまった。
 私は、雨女だ。しかもかなり、異常なほどの。

 子供の頃はまだ少しマシだった気がする。曇りの日もあったし、ときには晴れもあった。高校にあがった頃からだから、十年前からだ。来る日も来る日も、雨。私はもう十年、太陽を見ていない。異常な雨女なのだ。
 私がその場にいる限り雨が降り続くので、ひとつ所にとどまると、日照不足になり、豪雨はときに災害を招く。気のせいなんかじゃない。この十年で、私は確信している。糸のように降る雨。嵐のような雨。煙のような雨。雷を連れてくる雨。どんな雨も見てきた。十年間、途切れることなく雨は降り続いている。

 春は花時雨はなしぐれが桜を終わらせないように、桜の北上に逆らって南下する。六月は梅雨前線とともに北上し梅雨に私の雨を紛らせる。夏は台風とともに移動し、秋は秋雨前線に身を隠す。冬はなるべく寒い地域には行かない。豪雪になってしまうから。
 フリーランスのライターという職業を存分に活かし、パソコンひとつ持って、私は日本中を移動しながら生きてきた。慣れてしまえば悪いことばかりではない。日照りが続いている地域があれば、人知れず訪れた。必ず雨は降る。たっぷり降ったら、その場所を離れる。
 今回は、仕事で東京へ来る用事があって、ちょうど梅雨だし、と思ってしばらく東京にいたのだけれど、便利だからと長居しすぎた。そろそろ移動しなければならない。私は、ひとりぼっちの旅がらすだ。

 次はどこへ行こう、と考えていたとき、スマートフォンが振動した。母から着信だ。
「おはよう」
「おはよう。今はどこにいるの?」
 母は、私の異常な雨女ぶりを知っている。
「東京だよ。ちょっと、梅雨を長引かせちゃったみたい」
「そう。じゃ、そろそろ離れるの?」
「うん。少し北に行こうかと思っているんだけど、まだ決めてない」
「ちょうど良かったわ。中学校の同窓会のお知らせが来ているの。久しぶりに帰ってきたら?」
 私の実家は長野の山奥だ。高校で里に降りて寮に入った。実家には全然帰っていない。地元は山が深いから、土砂災害の心配があってなかなか居座れないのだ。私の憂いを感じたのか母は、「大丈夫よ、最近このあたり雨降っていないから」と言った。
「梅雨なのに?」
「うん。東京のほうは雨がひどいみたいね。こっちは、そんなに降っていないのよ。だから大丈夫。たまには帰っていらっしゃい」
 母の声は柔らかかった。ひとりで転々と移動しながら生きなければならない私の孤独を、どうにかして一緒に背負おうとしてくれる。
「わかった。同窓会いつ? それにあわせて帰るよ」
 私は同窓会の日付をメモして、またホテルの窓を眺めた。雨は相変わらず強く降っている。

 実家へ帰るまでの数日は東京と長野の間をぶらぶらして過ごし、同窓会の前日に実家へ帰る。電車から見える懐かしい景色が、霧雨に霞む。実家の最寄り駅につくと、土砂降りだった。叩きつける雨の飛沫しぶきで地面が白くぼやけている。父が車で迎えにきてくれた。しっとりと包まれる車内。
「ごめんね、雨の中」
「いいんだよ。恵みの雨だ」
 両親は、私の雨を責めたことがない。それだけで私は、いくらか救われている。

 激しい雨音の中、久しぶりに自分の部屋で眠る。懐かしい部屋の、懐かしいベッド、懐かしい夜。屋根を打つ雨音は、場所によって少し違うと思った。東京の雨のほうが、鋭かった気がする。実家の雨は、土砂降りでも、少し優しい音がする。

 翌朝、目を覚ました私は大きな違和感を覚えた。
 静か。あまりにも静か。
 飛び起きて、慌てて窓へ駆けよった。雨が……止んでいる。
「嘘……どうして?」
 私は階段を降りて、裸足のまま外へ飛び出した。
「雨が……止んでる」
 空にはところどころ灰色の雲はあるものの、雨は一滴も降っておらず、薄らと晴れ間すら見えた。十年ぶりに見た、太陽の光。まっすぐに降りてくる天使のはしご。眩しい。太陽は、あんなにきれいだったか。水溜まりに反射する木々と、雨上がりの匂い。湿った空気の清い朝。
「雨が止んでる……雨が止んでる!!」
 驚いて振り向く私に、両親も驚いた顔で応えた。

 同窓会の時間まで、ずっと雨は降らなかった。信じられない気持ちで何度も外を眺める私を、両親は優しく見守ってくれた。商店街の古い食堂を貸し切って、同窓会は始まった。子供連れだったり、すごく太ってしまって誰かわからなかったり、髪が薄くなってしまったことを自分からネタにして笑っていたり、集まった懐かしい顔ぶれが、それぞれ中学卒業からの十年に浸っている。
 私の十年は雨とともにあった。それが、今日に限って止むなんて。懐かしい日を過ごすための神様のプレゼントだったりして、と私は窓から曇り空を眺めた。
「おい、ぴーかん晴れ男。どうしたんだよ、こんな曇りで」
 懐かしい声に振り向くと、当時学級委員をやっていた男性が、別の男性をからかっていた。
「そうなんだよ、俺がいるところで晴れないなんてありえないのに」
 その男性は、美しく褐色に焼けた肌で、窓から曇り空を眺めて苦笑いしていた。
「晴れ男なんだろ?」
「そうなんだよ。俺は十年間、雨を見たことがない」
「大袈裟だな~」
 あははは、と笑い声に包まれる同級生たち。私はそっと、その男性に近づいた。
「──ねえ、もしかして……」

 

 今日は薄曇りだ。あの日、久しぶりに曇りを見た私たちは、お互いの境遇をすぐに理解しあった。子供の頃、天気が大丈夫だった理由も。
「じゃ、いってくるね」
 孤独を完全に埋めあった私たちが、親しくなるのに時間はかからなかった。
「はい。気を付けてね。一応、傘も持っていってね」
「お、今日はそっちのがパワー強いかな?」
 笑いながら仕事に行く彼を見送る。
 十年間、雨しか降らなかった私は、最高の太陽を捕まえた。きっと彼は、恵の雨を捕まえたに違いない。
「今日はどっちかな」
 薄い雲の切れ間から覗く太陽。窓から空を見上げ、私は大きく深呼吸をした。


【おわり】

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