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小説:頭上で踊る人【4257文字】

 セルフリメイク作品です。

 

 コンビニエンスストアの屋上で人が踊っていた。コンテンポラリーダンスというものだろうか。一人で、全身を跳躍させ、屈んだり伸びたり回転したりしながら、自由に踊っていた。白い全身タイツのような恰好で、男女はわからない。引き締まった長身の、手足の長い、筋肉の美しい人だった。俺は、駐車場に立って、あまりに奇妙なその光景を、口を開けて惚けるように眺めた。

 夜とはいえ、コンビニは人がいなくなることはない。しかも、こんな繁華街の中心で、今も駐車場では長距離トラックの運転手が夜食を食べているし、俺より十歳くらい年下か、やんちゃな盛りの若いガキどもが地べたに座ってゲラゲラ笑っている。

 俺はふとまわりを見てみたが、誰も屋上のダンサーに気付いていない。もしかしたら、俺以外には見えていないのかもしれない。そうだとすれば、幻覚だ。最近、忙しいから疲れているのだろう。俺は見なかったことにして、店に入った。

 カップ麺と煙草を買って店を出ると、もうダンサーはいなかった。やはり、見間違いや幻覚の類だったのだろう。



 翌日、仕事現場について、俺は道路工事をしている人たちの横に立って車の誘導をする。くそ暑い中、防弾チョッキみたいに分厚い警備服を着てヘルメットをかぶって、赤い棒を振りながら車を誘導する。反対側の誘導をしている同僚のコズが下手くそで、何度も車が行き違えず、運転手から罵倒された。俺はちゃんとやっているのに。車が去ってから、小さく舌打ちをする。

 昼休憩中、工事現場の脇に立っている小さなプレハブの前に座ってウーロン茶を飲んでいたら、コズが「すいませんでした」と謝ってきた。小泉こいずみ、略してコズ。俺が勝手につけたあだ名。

「僕が誘導の手順が悪くて、運転手さんに怒られちゃって、本当にごめんなさい」

 なぜこんな肉体労働をやっているのかわからないような、色白の細い体で、ダイエットをしている女が食べるようなサラダボウルを持っていた。

「別にいいよ。お前、そんなん食ってて腹減らないの?」
「はあ、僕お腹弱くて、がっつりしたもの食べられないんです」

 そう言って隣に腰をおろした。車の誘導は下手だが、悪い奴じゃない。

「あ、そうだ。さっきあそこのコンビニで事故あったの聞きました?」
「コンビニ?」
「はい、あの駅の近くにあるじゃないですか。あそこに車が突っ込んだって、SNSに拡散されてましたよ」

 俺は自分のスマートフォンでSNSをチェックする。

「お、おい、俺がいつも行くコンビニだよ。うわ、すげえ事故じゃん、やべえな」
「よく行くんですか? 怖いですね」
「昨日の夜も行ったよ、こえー」

 そこで俺は昨夜見たダンサーを思い出した。そういえば、変なもん見たな、と。

「なあ、お前幻覚って見たことある?」
「幻覚ですか? ないと思いますけど……」

 おどおどとコズは苦笑する。俺は、昨日コンビニで見た不思議な話を聞かせた。

「おもしれーだろ? あれ何だったんだろうな」
「なんか、怖いですね。死神……だったりして」

 俺は、死神、という言葉の不吉さに一瞬ぞくっとした。

「おい、気持ち悪いこと言うなよ」
「そ、そうですよね。それに、コンビニの事故、誰も怪我人出てないみたいだし」

 たしかに、派手に車が突っ込んだわりに、死傷者はなし、と書いてあった。

「そうだよ、お前こえーこと言うなよ」
「はは、すいません」

 コズは笑いながらサラダをげっ歯類のように前歯でムシムシと食べた。


 仕事帰り、コンビニの前を通ると、まだ規制線が張られていて、割れたガラスが痛々しい。改めて、事故の大きさを痛感し、恐ろしい気がした。自分がいたかもしれない店に突っ込んだ車。屋上にいた奇妙なダンサー。死神? まさかな。俺は無理に笑い飛ばし、別のコンビニで夕飯の弁当と煙草を買って帰った。

 家に帰ってからミユに電話をする。5回目のコールでようやく出る。

「電話は早く出ろよ」
「シャワー浴びてたんだって」
「週末会えるだろ?」
「今週? うん、会えるよ」
「何食いたいか考えとけよ」
「うん」
「なあ、コンビニの事故、知ってる?」
「ああ、駅前の?」

 いつも「好きって言って」などと甘えてきていたミユ。付き合って半年になるが、最近やたら大人しいから、俺はなんだか少しイライラし、早々に電話を切って弁当を食べて煙草を吸って寝た。


 翌日、仕事に行くと、もともと白い顔をしたコズが、いつにも増して顔色が悪かった。

「お前、大丈夫かよ。顔色悪いぞ」
「あ、そうですか? 毎日暑いんで、夏バテ気味なんですよ」
「大丈夫か? 無理すんなよ」
「はい。ありがとうございます」

 俺とコズは工事を挟んで対になって、車を誘導する。俺とコズの間は300メートルほど。工事は着々と進んでおり、今日は大きなショベルカーが入り深い穴を掘っている。道路の拡張工事らしい。俺たちもくそ暑い中赤い棒を振って運転手に罵倒されて「わりに合わねえな」と思うが、工事している人たちはもっと大変だな、と思う。

 コズのほうから車がくる。ちゃんと誘導してくれよ、と思ってコズを見ると、頭の上に何かついている。なんだ、あれ。あいつあんなヘルメットかぶっていたかな。

 俺は目をこらし、よく見る。動いている? コズの頭の上で、黒い何かがウネウネと動いて見える。なんだ? また幻覚か? 細い棒状に見える20センチくらいの何かが、コズの頭上で動いている。ウネウネと、飛んだり跳ねたり……踊っている? まさか。

 俺は慌ててコズのほうへ駆け寄ろうとした。そのとき、コズはふらっとよろめき、次の瞬間、工事中の穴の中にズサーッと落ちていった。

「コズ!」

 俺は大きな声を出し、近くにいた工事の作業員に「誘導員が落ちた!」と伝える。走ってコズの落ちた場所へ行く。工事の作業員たちも手を止めて「落ちたぞ!」「人が落ちた!」と大騒ぎ。俺は道路から工事中の穴をのぞく。生っちろいコズの四肢はおかしな方向に折れ曲がり、頭からは血が流れ、俺は茫然と立ち尽くした。

「救急車!」

 誰かが叫んで、誰かが走って、誰かがコズのまわりに集まって、誰かがコズを担架に乗せて、いつの間にか来ていた救急車は、いつの間にかコズを乗せて去っていった。サイレンの音だけがいつまでも耳に残った。コズの使っていたヘルメットを見たが、何もついていなかった。しばらくして、工事の作業員に連絡が入り、コズは死んだと知らされた。


「何その話気持ち悪い」

 電話でミユに話すと、そう言って嫌がられた。

「気持ち悪いって何だよ。仕事の友達が死んだんだぞ」
「友達なんていたんだ」

 ミユの電話の後ろで聞こえる楽し気な喧噪。

「お前、どこにいるんだよ」
「どこって、今日アキちゃんとご飯って言ったじゃん」
「男じゃないだろうな」
「はいはい、アキちゃんと写メして送るから。ってか、もう帰ることだから」

 そう言って切られた電話に、すぐに写真が送られてきた。居酒屋のような場所、複数人で飲んでいるらしいミユと、アキという友人。写真を見た瞬間、俺は驚愕とともに、吐き気がした。ミユの頭の上に、黒い細長い人間がいる。全身タイツのような恰好の、しかも踊っている途中のような躍動感のある一瞬だった。おい、待て。なんだよこれ。

 思い出せ。考えろ、俺。

 白いダンサーが踊っていたコンビニは車が突っ込んで、でも死傷者は出なかった。コズの頭上では黒いものが踊っていた。直後、コズは死んだ。ミユの頭の上に写っているダンサーは……黒!

 俺はミユの家の合鍵を持って、急いで家を飛び出した。

 意味がわからなかったダンサーの正体。俺にだけ見えていた謎のダンサー。今日、俺がミユを助けるために、見えていたとしたら。ミユを救うために俺に覚醒した能力だったとしたら。無駄にはしない。待ってろ、ミユ。ミユに電話をかけるが繋がらない。電車に乗るのももどかしい。俺は大通りでタクシーを拾って「とにかく急いでくれ」と言うしかなかった。

 ミユのマンションに着いた。焦りながら合鍵で部屋に入る。

「ミユ!」

 電気をつけて見たものを、俺は一瞬何かわからなかった。


 ミユの色白の素肌と、上に重なる裸の男。ベッドの上で二人は重なり合い、絡み合っていた。目の前の出来事を理解した瞬間、俺の脳の中の細胞が一つ、ビリっと破れた音がした。それはおそらく怒りの細胞だった。破れて溢れた怒りが脳内をどくどくと浸潤していく。

 俺が守るはずだったミユ。
 お前、何してるんだ?

 驚いた男が「うわあ!」と声をあげてのけぞった。ミユは俺を見て大きな声を出した。

「何してんのよ!」
「それは俺のセリフだ」

 俺はミユを抱いていた男を殴った。男はあっけなく気絶してしまった。ベッドに裸のミユが一人。頭の上では、相変わらず黒い小さな人間が踊っていた。跳躍し、屈み、伸び、自由に踊っていた。ずいぶんと身軽な死神だこと。俺はその滑稽な姿に笑いがこみ上げる。

 そうか。ミユが死ぬことを、教えてくれたんだったな。今日はミユが死ぬ日。わざわざ知らせてくれて、感謝するよ。これも、運命ってやつだな。

 俺はミユの上に覆いかぶさり、怒りのままに首に手を回した。

 ミユは何か言おうとしたのか口を開けたが、微かな息だけが漏れて、そして途絶えた。


 俺はミユのマンションを後にした。何もかもどうでもよかった。


 駅まで歩いて、とりあえず家に帰ろうと思った。放心した状態でホームに立っていた。脳内に溢れていた怒りも消え、何も感じなかった。



「ねえ、お兄さん」

 声をかけられ、見ると4~5歳の女の子が俺のそばに立っていた。

「なに?」
「頭の上に何のせてるの? 黒いの、ウネウネ動いてて、不思議」


 え?


 ぶわっと笑いがこみ上げてきた。

「ははは、あはははははははは」

 大きな声で笑いだす俺を見て、周囲にいた人たちは驚愕し怯え、離れていった。

 女の子の母親らしき女性がものすごい勢いで女の子を抱きかかえ走り去った。

 俺は笑いが止まらなかった。

 そうか。俺の上にもいたか。黒いやつ。踊っているのか。笑っちまうな。自分じゃ見えないって、知らなかったよ。 



「1番線に急行列車が通過します」

 ホームにアナウンスが響く。

「危険ですので白線の内側へおさがり下さい」



 俺は声高に笑いながら駆け出し、白線を越えて大きく跳躍し、激しい衝突とともにそのまま爆ぜた。それはまるで、空中で踊っているかのようだった。

 






【おわり】

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