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私の生い立ち

こんにちは、Rinkaです。いつもスキ&フォローを有難うございます。
ついにnoteを始めて7日目になりました。つぶやきも含めて今のところは毎日投稿できています。いつまでこのモチベーションを維持していられるかな〜。

今日は初日の自己紹介には書かなかったこれまでの私の生い立ちについて少し書いていこうと思います。あまり詳しく書くと色々思い出して落ちるとこまで落ちて浮上出来なさそうなので、サクッといきます🎵


子供時代

  • 生まれつき両目が弱視のため目つきが悪く、小学生の時から男子に苛められ、気味悪がられる。

  • 家で母親が音楽教室を開いていたので『先生の娘さん』、2学年上の兄が目立つ存在だったので『◯◯の妹』という風に見られていたため、子供の頃から自然と周りの目を意識するようになる。

  • 母親からピアノを教わるも、友達と比較されダメ出しされまくり、母親と同じ道に行きたかったが早々に才能がないと諦める。

大学生時代

  • 医療技術の進歩により手術して片目だけ人並みに見えるようになる。

  • 何となく取っておこうと思った教職課程で恩師に出会い、英語教師の道に進もうと決意する。

  • 教えるのは好きだが、あがり症なのに加えて自分に自信が持てない性格だからか堂々と出来ず、教員採用試験を受けるが落ちまくる。

社会人時代

  • 卒業後、非常勤講師と個別指導塾の塾講師のアルバイトを掛け持ちをしながら教員採用試験を受け続ける。

  • 中学校の臨任講師の話が来て急遽年度途中からフルタイムで教壇に立つ。

  • 真面目な性格と恩師の「授業はいつも全力投球」の教えからか仕事のペース配分がわからず、おまけに教員数も少ない学校で周りに頼ることも出来ず、次第に自分を追い詰めキャパオーバーになる。

自宅療養時代

  • 何とか臨任講師を任期満了まで勤めるが、身体を壊し鬱病と診断される。週の大半ベッドから出れなくなり、廃人のような生活をする。

  • 数年後、全然回復しないからか副作用がひどいと言ってるのに薬を増やされるようになったのでセカンドオピニオンを受けたところ、初診の開始30分で「あなたは鬱ではない」と診断される…。

  • 色々検査を受けたが、原因不明でとりあえず飲んでた抗うつ薬の断薬開始。離脱症状に苦しめられる。

回復~再び転落時代

  • 回復後、リハビリがてら小さな個別指導塾の塾講師のアルバイトを開始する。

  • 学校で教師をやっていく自信は身体を壊してから微塵もなくなったので、少し方向転換して教材開発の会社に派遣(フルタイム)で入る。

  • 他のプロジェクトでは正社員と派遣社員が1対2でチームを組んでやっているのに、私は何故か正社員と1対1で…慣れるにしたがって仕事を丸投げされ、残業地獄になる。

  • 身体を再び壊すが、病院はもう信用できなくて暫く引きこもる。フルタイムで働くことがトラウマになる。

現在

  • 今までの人生で色々あったからか、発達障害や不登校の生徒の支援がしたいと思うようになり、放課後等デイサービスで非常勤で働き始める。

  • 2年前により環境が良い会社に転職するも、フルタイムで働く度胸はなく現在に至る…。

全然サクッと書けてない(笑)
こう思い返すと無駄にしてきた時間が長すぎて、いい歳して甘えて逃げてばかりの自分が本当に情けなくて嫌になる…。療養時代については後日書けたらもう少し詳しく書きたいですが、とりあえず今日はここまでにします。

大丈夫かな…?読んで呆れて読者減りそうな予感しかしない💦

最後まで読んでいただき有難うございました。