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親にならなくても、子どもが苦手でも。

気圧と頭痛がBluetooth。ねこです。

突然だが、わたしは親になりたいという気持ちがない。ついでに言えば妻になりたい気持ちもない。

そんなことは彼氏の1人でも作ってから考えればいいのだが、周りが結婚したり子どもが生まれたりする年齢になって、「あぁみんな結婚したり親になったりするんやなぁ」と思った。他人事。


1.子どもって未知

わたしは子どもが苦手なのだが、その理由の一つに「未知だから」ということがある。
もちろんわたしも新生児から乳幼児を経て、未知の生物から大人の人間になってきたわけだが、一度通った道だとしてもやっぱり子どもってよくわからない。

以前どこかのnoteでも書いたかもしれないが、わたしは「わからない」ということが苦手だ。
それは勉強や人間関係に限らず、例えば動物に対してもそうだし子どももそうなのだ。

もちろん、子どもを育てていく上では楽しさとか喜びとか、子どもから学ぶこととかもあるだろうし、自分の子どもはきっとかわいいんだろうし生きる力になる人だって少なくないと思う。
わたしがね、苦手なだけ。


あと、わたしって割とわたしの世話で精一杯なところがある。
もちろん自分の世話が完璧に出来てから子どもを産み育てましょうってなったら、地球の人口はめちゃめちゃ減っちゃうだろうし、自分のことなんて死ぬまで完璧にわからないよって人も多いと思う。そりゃそうだ。
でもわたしは、最近やっとわたし自身のことを大事にしようと思えるようになって、わたしって何が好きなのかなとか何をするのが楽しいのかなとか、そういうことに力を注ぎたい。まだわたし以外の何かに心を砕く余裕がない。それは子どもに限らず、結婚とか恋人とかもね。

2.親になるということ

わたしは親に「なんで親になろうと思ったの?」と聞いたことがある。

母は「んーなんでかなー考えたこともなかった。でも昔から子どもは欲しかったよ。」と言っていた。

わたしはいろんなことに意味や意義を求めすぎなのかもしれない。自覚はあるが、自分が納得できた時、もしくは理屈を超えた何かを感じた時、わたしももしかしたら親になる時が来るかもしれない。


話は大きく変わるが、親ってなんなんだろう。

例えばニュースで誰かが事件や事故を起こした時「親の育て方が〜」とか、「親の責任が〜」とかそういう言葉を見ることがあるけど、親の責任ってどこまでどれくらいあるんだろう。

わたしは親になったことがないので子どもに対する親の責任の持ち方とか強さは分かりかねるのだけど、わたしの母は

ねこがきちんと税金を払って生活して生きていけるようにするのがわたしの役目

と言っていた。
ここで一言申し添えておくけれど、生活保護とか税の猶予免除とかそういう理由ではない。
制度はそういう人のためにあるのだから、大いに使っていいとわたしは思う。申告制の制度は「知る」ことも教育の一つだなと感じる。

ただ、払えるのであれば、毎月なり毎年なり税金などをちゃんと払って、仕事をして生きていけるだけの食い扶持を稼げるようにして外に出す、という意味なんだろうなと思う。
詳しくは聞いてないんだけど。

わたしは今税金を払って生活しているわけだけど(実家だけどね)、もしわたしが今事故や犯罪を犯してしまったとしても、決して親の育て方や責任にはしたくないと思う。わたしの責任だ。

親の育て方で事故を起こすかどうかが変わることはそうたくさんはないだろうし、事件の加害者だって「親の責任です」という人は多くないと思う。0ではないとも思うけど。

3.わたしなりの「子どもとの向き合い方」

そんなわたしだけど、子どものために何かしたいという気持ちはある。
今はちょっと自分が生きていくお金すらギリギリなのですぐにはできないんだけど、わたしはわたしの子どもをもたない代わりに、どこかのたくさんの子どものために何かしたい。

「親」というにはあまりにも未熟なわたしだけれど、どうにか「養育者」の1人として子どもの成長にちょっとだけ関わりたい。

それは例えば施設への物資・金銭的な寄付もそう。職探しのサポートとか、勉強の面倒を見るとか、メンタルケアとか。子どもと関わる機会とか場所って実はたくさんある。
さっきも言ったように、色々な行政の制度を教えることだってそう。税の猶予とか免除とか、奨学金とか年金とか。

子どもを1人育てるのに1000万円かかると聞いたことがある。わたし1人が1000万円出せるかと言われたらすぐには頷けないが、何かしらの形で「子ども」を育てる「何か」になりたい。



みんな誰かの子どもだからね。


※サムネはみんなのフォトギャラリーより拝借しています。

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