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2021年1月総括

上旬振り返り

 2021年の抱負としては,「無我夢中」換言すれば集中とか,ちゃんと頭を動かすとか,そういったことを掲げた.が,1月上旬に関してはダメダメだったと言わざるを得ない.思考の散逸は例年通りで,ふわっとした人生という印象.

 そんな中でも,元日にはp5.jsを用いてM3のサークルカットを作成したり,確定申告等の実際的なお金周りの心配をしてみたり,楽譜制作を通してLogic Proの使い方を習得してみたりと,音楽のことを考えながら知識を付けていた.


 年末年始は大学の授業及び課題の消化に追われていたので,マルチタスクだったことは否めず,それが抱負が実行できていない感覚を強めていたと思う.

中・下旬 暫定・心境の変化

 Twitterでは言及していないが,人生観が変わった,というほど大きな変化かは今はまだわからないが,人生の諸々に立ち向かう気概が出てきた.Twitterの空気感には合わないのでnoteに書いた.これについてはまた後日振り返ってみる.


メモ:学ぶときには自分の行動としてシミュレーションすると記憶の定着がよい.


少々長い期間の振り返り

~~飛ばしていい話~~

 ここ2年ほど人生は下向き傾向に迷走を重ね,諦念と共にC'est la vie. C'est la vie... 散逸する思考に言い訳を付けて,自分の人生を上向かせてくれるかもしれないものを見つけては手を出し,見つけては手を出しと,その繰り返しだった.また一方では,自分のキャパシティを超えるほどバイトが入ったさまを自虐したり,エナドリをがぶ飲みして毎日徹夜して,食事を抜いて自分を追い込んでみたり(実際お金を工面しなければならなかったという側面はある)と,後ろ向きに全力疾走していた.

 頭が使えない人間は体を使うしかないと思い,自分を酷使することで安心していた.それは建設的に考えるよりも,大して調べずに延々と悩む方が楽であることに似ていて,あるいは解決策を尋ねられて,その答えが「頑張る」の一言だけであるようなことだった.
 上のツイートで「勉強14時間」と言っているが,机に座っていた14時間が全て学ぶことに費やされているかと言えば,そんなことはないと思う.学ぶには頭を動かさなければならないが頭は全く動かせていないのだから.それは云わば孤独な写経であった.あと3年繰り返したら物理で悟りを開いていたかもしれないが,もうそういうことはしない.

 ~~飛ばしていい話終わり~~

 僕が直近の人生において非常に僥倖だったことは,大人と会う機会に恵まれていたことだった.元々僕と同様の人生を送った人は僕の周りにはいなかったのだが,いつの間にやらすっかり忘却していた.いや寧ろ意識したことがなかった.
 恥ずかしながら夏が終わる頃には大学の留年が決まっていた.
 よく夕食を食べに行くお店の主人は僕を励ましてくれた.曰く「下手な考え休むに似たり」とのことで,調べてみると,悩むのではなく考えろ,という感じのことだった.幾度も言われてきたことのように思われるが,それはつまり結局僕の身にはなっていなかった訳で,此度こそその概念を習得したいと思った.
 バイト先の上司は,いつも一つのことをやるのにすごい時間がかかっているが,同じことを勉学でもやっているんじゃないのか? と指摘してくれた.実際,友人等は学習のノウハウによって手短に講義を消化しているようだが,その一方で僕はと言えば全ての授業動画を見ることをやめられないし,ノートをせっせと書くこともやめられない(このとき授業の処理or睡眠不足で自分が書いている内容を何も理解していない).このノートは見返さずに結局教科書を読むのが常だったのだが,最近になってノートを見返すようになって,その意味を考えることになった.ノートは多くの科目で実質的な教科書となっているので,多分今後も取る.
 音楽の先生は大学を辞める選択肢を僕に提示してくれた.ここで初めて大学へ行くことの非自明さを意識した.僕の父は大学に行っていない.しかし博学で,勉強を続けている.これは僕が勝手にそう思っているわけでもないようで,父の業界の飲み会に参加した際,同業のおじさんも言っていた.翻って僕はと言うと,大学に入りこそしたが,頭が良いか(換言すれば人との関係において知性を発揮し周囲に幸福を与える力があるか)と言えば全くそんなことはない.思うに僕が頭を使うのは主に自分のためだった.あるいは他人のために使ったように思い込んで実際には自分の正しさを主張しているだけに過ぎなかった.例えば他人が積極的に不幸に向かっているのを指摘しても(厳密には僕からはそう見えるに過ぎないのだが),それは僕を気持ち良くして本人を不快にするだけで,本当に他人のためを思う行動ではない.人間のルールを無視する限り何も僕の思うようにはならない.この点において僕は反省する.僕の贈り物は自己を喜ばせるに留まっていたのである.

 ところで,このnoteは完全に自己満足の産物であった.なんと…

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