#5 森本さん(前編)

派遣バイトのこの会社で1番お世話になったママさん。上大岡、東戸塚の仕事によく入った私は、同じくそこによく入っていた森本さんに仕事のことはほぼ全て教わった。
おそらくアラフィフくらいの年齢で、とても華奢で上品なママさんだ。そして少し内股。たしか、昔バレエを習っていたが、辞めてからもガニ股なのが嫌で頑張ってわざと内股にして歩くようにしていたら、逆に内股がデフォルトになってしまったと言っていた。とても線が細くあまり体力はないようで、しかもこう見えて愛煙家なので、長机を1階から3階までエレベーターを利用して運んだだけでもハァハァ言ってて、すぐに一服しに行ってた。
そんな華奢な森本さんの旦那さんは結構長身でガタイがいいらしい。お互いないものに惹かれあったのか。あとは息子さんと娘さんがいる。娘さんは保育士か何かで、最近一人暮らしを本気でしようとしているらしいが、森本さんはそれに物凄く難色を示している。娘さんの勤める保育園は国がやっているものではなく、どこかの企業がやっているもので、人材確保のためなのか、住宅補助をなんと8万円も出してくれるらしい。その8万円の支給もいつまで続くか分からないので、その制度があるうちに一人暮らしをしたいというのが娘さんの言い分である。ただ、森本さんはとても嫌そうだ。丁度その頃私が家を出て一人暮らしをすることになっていたので、流れでその話もついでにしてみると、他人なのにすんごい嫌そうな顔をされた。母親にとって娘は家庭におけるいい話し相手なのだろうが、娘にとってはそんなの知らんこっちゃない。あなたと旦那で始めた家庭なんだから、そちらでどうにかして下さいよ。
また、息子さんは当時大学生。たしか名古屋の大学だったような。私はこの息子さんの高校進学時のエピソードが忘れられない。

森本さんの旦那さんが野球をやっていた影響で、息子さんも小学生くらいから野球を始めた。その頃は周囲の子供達より背が高く、上手かったようで、結構強豪の中学校にスカウトか何かで入れたそうだ。しかし中学に入ってから息子さんの身長は思うように伸びず、小学校の頃からライバル関係にあった他チーム出身の同ポジションの子に身長を抜かされ、その子にレギュラーの座を奪われてしまった。腕はあるものの体格的に恵まれなかった息子さんは中学の間、一軍には選ばれるがレギュラーにはなれず、ずっとベンチで試合を見続けたり、皆の荷物を持ったりした。「森本はグローブを綺麗にするのが上手い」とチーム内で評判になり、自分の背を抜かしレギュラーになったライバルを含め、皆のグローブを快く手入れしてあげていたそうだ。
そして高校進学を考える頃、中学3年の頃だろうか、森本さんが高校はどうするのか、野球の強豪校に入るのかと息子さんに尋ねると、首を横に振り、こう応えたそうだ。
「僕、野球がやりたい。」
頑張れば強豪校に入れるかもしれないが、恐らくまた今のようにベンチから試合を見届けるだけになってしまうかもしれない。周りの部員との体格差はもうどうしたって覆すことが出来ない。そう考えたのか、強豪校には入らず、少しレベルを落として森本さんの旦那さんの弟かなんかがコーチをする岩手の高校に進学を決め、そこで野球部に入りレギュラーになった。大学まで野球を続けたかは忘れたが、息子さんは再び大好きな野球を本気ですることができた。
彼の「野球がやりたい」という一言がとても切なく、その話を聞いたのは東戸塚のとある商業施設のポイントカード新規入会特設カウンターだったが、普通に涙目になりながら話を聞いていた。強豪校の一軍に入りながらもずっとベンチに居続けるしかなかった彼の気持ちを想像するとなんと苦しいのだろうか、きっと当事者である彼はもっと苦しかったに違いない。それでも野球を好きであり続けた彼の純真さみたいなものを感じた。

長くなったので今日はここまで。

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