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ペットボトルのビックルを箱買いできない3つの理由

好きな飲み物を毎日飲んでしまう。誰しも一度は経験したことがあるだろう。

私の場合のそれは、ペットボトルのビックルだ。

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ビックルは通常、ビンに入って売られている。そのペットボトル版だ。ビンより量が多く、かつ味と値段はほぼ同じなので、そのお得感からほぼ毎日飲んでいる。

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その日も近所のセブンイレブンで、いつものようにペットボトルのビックルを手にとってレジに持っていった。

店員がバーコードをスキャンし、レジスターに110円の文字が表示される。毎日の繰り返し。見慣れた光景。

財布を取り出して小銭を何枚かつまんだ時、ふと私は「もういっそのこと箱で買えばいいんじゃね?」と思った。

箱買いへの憧れ

箱買い。それは誰しもが憧れる大人の買い物である。

幼き頃、駄菓子屋で好物のぷくぷくたいを食べながらよく「大人になったら箱で買って思う存分貪り食ってやるぞ」と夢見たものである。子供にとって箱買いというのは、まさに大人の象徴であった。

そして時は経ち、私は大人と呼ぶにふさわしい年齢となった。子供の頃なら持っているだけで向かうところ敵無しだった一万円札を、迷わずパチンコや競馬に注ぎ込むような大人になった。もちろん箱買いなんて屁でもない。

だが、何故だろう。これほど毎日ハマって飲んでいるペットボトルのビックルを、いざ箱で買おうとすると思わず躊躇してしまう

一体何が、箱買いへの歩みを止めるのか。

思うにそれは、恐怖外聞だろう。

箱買いへの恐怖

箱買いの恐怖とは、「もし箱で買って飽きたらどうしよう」という恐怖である。

私はとても飽きっぽい人間だ。本棚は読み差しの娯楽小説で埋まり、資格の問題集は買って満足して手付かずで、スマホのアプリ一覧には一章をクリアしただけのソシャゲがずらりと並んでいる。

そんな人間が、たとえ"いま"ペットボトルのビックルにお熱だとしても、それが一過性のものでないとどうして言えようか。箱買いをしてすぐに飽きてしまったら、目の前に残るのはすでに興味を失った大量のペットボトルのビックルだけである。

家族にビックル好きはいない。だから私が責任を持って飲まなければならない。すでに飽き飽きしている乳酸菌飲料を無理やり喉に流し込む。その苦痛たるや、いきなり黄金伝説の挑戦最終日と同等である。クリームシチューを食べ尽くすくりぃむしちゅー、巨大マグロを食べ尽くすオリエンタルラジオ、そしてビックルを飲み干す私。

そんな地獄を味わうぐらいなら、箱買いなぞせずに毎日律儀にセブンイレブンで一本ずつレジスターに通したほうがマシであろう。

箱買いへの恥ずかしさ

また、箱買いには外聞もつきまとう。

つまり、「こいつはビックルを箱で買うビックル狂いだ」と店員に思われることへの恥ずかしさだ。

これが飲料水や麦茶とかだったら分かる。一般的だからだ。

だがペットボトルのビックルをわざわざ箱で買う奴が、この世に何人いるだろう。日本武道館が埋まるかどうかも怪しい。そんな激レアさんが店員の印象に残らないはずがない。十中八九、あだ名が付けられる。

以前、ツイッターで「ビスコを毎日同じコンビニで買ったらあだ名が付けられるか」という記事がバズったことがあった。この記事では、店員の印象にこそ残ったものの、あだ名は付けられていなかったという結論だった。

だが、これは毎日少しずつ買うという趣旨の記事だ。店員はシフトごとに変わるのだから、一人あたりのインパクトは分散される(記事内では何度か店員が被っていたが、それとて100日間毎日というわけではない)。

だが私の場合は一度に24本一気に買おうというのだ。

それに対応する店員が受ける衝撃は一本槍で刺突される以上の威力だろう。

その店員から噂が広がり、そのコンビニでは私の悪名が轟くだろう。ビックル気狂い、略してビッ狂(くる)の名をほしいままにすること請け合いである(この一文だけはもう忘れてほしい)

通販で買うデメリット

だったら通販で買えばいいじゃないか、という意見もあるだろう。

確かに二つ目の恥ずかしさという障壁はクリアできる。だが通販にしても1つ目の飽きることへの恐怖は拭えない。6本入りぐらいの少量サイズがあれば購入するのもやぶさかではないが、Amazonや楽天で調べる限りでは1本か3本か24本の三種類しかない。

「じゃあ3本セットを2つ買えばいいじゃないか。これで解決だ!」

そう考えたあなたは賢い。賢いが、そもそも通販で購入する方法には3つ目の問題がある。

「通販で買うほどじゃないんだよなぁ」という気持ちである。

面倒くせぇなお前、という声が上がるのも当然だ。自分でもそれは自覚している。私は面倒くさい人間なのだ。

通販サイトにアクセスし、検索し、商品をカートに入れ、個人情報とクレジット番号を入力して注文。到着予定時刻には自宅で待機し、宅配業者のお兄さんかお姉さんから商品を受け取り、お礼を言って扉を閉め、鍵をかける。

この一連の作業と箱詰めビックルを天秤にかけたとき、どうしても「面倒臭さ」が勝(まさ)ってしまうのだ。このご時世、宅配業者の方々の手を煩わせたくないという思いもある。だけどやっぱり一番の原因は自分の「面倒くさがり屋」と「熱中してるものに突っ走れない度胸のなさ」にあるのだと思う。

つまるところ、この宿痾ともいうべき性格を克服できない限り、私はいつまでたっても箱買いが出来ない。まだ私は、駄菓子屋でぷくぷくたいをかじっているだけの、小さな子供でしかないのだ。

最後に

飽きることへの恐怖、店員への体裁、そして通販で買う程ではないという気持ち。

この3つの問題を解決する術は、今のところない。

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ふと私は空を見上げた。

空にいつまでも雲があるように、大地がいつまでも大地であるように。

変わらず私は箱買いのできない人間として生涯を歩み続け、箱買いができぬままに死んでいくのだろう。

だが、それでいいのかもしれない。

無理に大人になろうとしなくてもいい。背伸びしたってバランスを崩して倒れるだけだ。

だから私は胸を張って、今日もセブンイレブンの扉をくぐる。

1本のビックルを、ただ買うために──。




ちなみに今日対応してくれた店員さん、名前が「極楽」さんだった。

やば。

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