「書きたいことをただ書く」ことの重要性―2021年3月17日

仕事をしててふと思ったことをただ書きます。


文章が書けない、という人がいる。普段LINEとかSNSではちゃんとコミュニケーションがとれるのに、いざ長文を書こうとすると筆が止まってしまうのだという。

僕が思うにその原因は、誰かのためにではなく自分のために文章を書こうとしているからでないかと思う。

自分のために書く文章っていうとメモとかスケジュール表とかそういう備忘録的なものを思い浮かべがちだけど、実は普通のブログとか小説みたいな誰かのために書いてるっぽい文章にも目線が自分に向いているものがある。

それが自己満足の文章だ。

「こんなこと書いたらバズるだろうか」とか「ここはこういう表現にしたらカッコいいな」みたいな、何かしらの評価を得て自らに箔を付けたいがための、顕示欲の強い文章。そこまではいかずとも、文章が苦手な人の多くは「どうせ書くなら少しでもうまい文章を書きたい」と思っている印象だ。こんな偉そうに言ってる僕でも、その思いは誰にも負けないと自負している。なんの自負だ。

だがこういった自分のためだけの文章ってのは、とても書きにくい。なぜならそれは嘘の言葉だからだ。

誰かに伝える文章というのは、いわばその人の本音だ。ラブレターを書いたり、好きな映画を布教したり、そういった何かしらの伝えたい意図がある文章というのはスラスラ書けてしまう。自分の頭の中をただ言語化するだけなのだから、簡単に書けるのは当たり前だ。

だが自分に向けた文章、誰かから評価されるために書く文章はある意味、何もないところから言葉だけを生み出すようなものだ。文章の見栄えを良くしたいとか、知的に思われたいとか、そんな思いから「懶惰」だの「アウフヘーベン」だの小難しい言葉を使ってみたり、思ってもいない世界平和や政治批判を書いてみたり……。そんなことをすればだんだんと自分でも何を書いているのか分からなくなり、空虚な思いにとらわれることになる。結果として、文章を書くのが嫌いになる

実感が湧かない人は夏休みの読書感想文の宿題を思い出してほしい。本の感想なんて別に誰にも伝えたくないのに、宿題をさぼって先生に怒られないためだけに、思ってもいないことを無理やりひねり出して原稿用紙のマス目を埋める作業――とても書きにくかっただろうし、文章を書くのが嫌いになっただろう。あれと同じだ。

つまり「文章を書くのが苦手」とか「筆が全然進まない」という人は、語彙力とか文章力以前に書きたいことが見つかっていない可能性がある。

だからそういう人はまず"自分は何を書きたいのか"を考えてみるといいかもしれない。見栄とか他人の評価とか、そういうことはいったん忘れ、まっさらな気持ちで自分の書きたいことを考えてみる。自分は誰に何を伝え、そしてどうなってほしいのか。

それが見つかれば、好きな漫画を熱く語るときのように、おのずと言葉は湧き出てくるだろう。あとはそれを便せんや原稿用紙やテキストエディタに叩き込めばいい。そうすれば何も意識せずとも、手と頭が勝手に動いてくれる。うまい言い回しとか適切なワードチョイスは書き終わったあとに考えればいい。

書きたいことをただ書く。文章を書くのが得意になるポイントは、ただそれだけだと僕は思う。




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説得力ね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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