失ってからしか気づけない。それって実は当たり前のことなんじゃないか。

失って初めて気づくこと。ほとんどの人が、一度は経験があると思います。

何の自慢にもなりませんが、私にはその経験がたくさんあります。

例えば、今です。
膝の半月板の手術をして、もう3週間以上普通に歩けていません。

こうなって初めて、「ああ自分の足で歩けることって幸せなことなんだな」「歩けることって当たり前じゃないんだな」と痛感しています。

他にも。私は昨年の夏に祖父を亡くしています。
私は母子家庭なので、祖父は母方の祖父一人です。

そんな祖父が、亡くなって初めて、「自分が思っていたよりも祖父は私にとって大きな存在だったんだ」「生きている間に、もっといろんな話をして、いろんなところに行けばよかった」と、後悔をしています。

話し始めるときりがないですが、みなさんは、どんな経験をしましたか?

そして、その経験から、どんなことを感じ、後悔してきたでしょうか。

私はずっと、そうやっていつもいつも失ってからしか大事なことに気づけない自分が嫌でたまりませんでした。

なんでもっと早く気づけなかったんだろう。なんでもっと早く行動できなかったんだろう。なんで毎回、後悔しないように意識できなかったんだろう。いったい何度同じ過ちを繰り返せば学べるんだろう。

と、成長しない自分が嫌でした。

でも、最近やっと気づけたのです。

人間って、そもそもそういうもんじゃないのか、と。

人間って、そもそも後悔しないと学べないんじゃないか、と。

歩けることの幸せなんて、歩けなくなってからしか気づけないんじゃないか。

その人の自分の中での存在の大きさなんて、いなくなってからしか気づけないんじゃないか。

じゃあ、私が毎回失ってからしか気づけないのって、当たり前のことなんじゃないか、そう思うようになりました。

もちろん、人生において、誰もがみんな、できれば後悔はしたくありません。
後悔しないで済む人生があれば、そちらを歩みたいです。

でも、逆に、後悔をしないと気づけないことが、たくさんあるのではないでしょうか。

そう考えると、失ってから後悔することって当たり前で、だからこそ成長できるんじゃないか、と思えるようになりました。

もしかしたらこんなこと、みんな気づいているかもしれません。
私が愚かだから気づけなかっただけかもしれません。
でも、もしかしたら、気づけずに苦しんでいる人もいるかもしれない、そんな気持ちで、この記事を書きました。

正しいかとか、そんなことはよくわかりません。
だけど、もし私のこの記事で、誰か一人でも救われる人がいるのなら。それ以上の幸せはありません。

みなさんも、あまり自分を責めないでください。
何もおかしなことはないし、むしろ後悔をしていない人よりもあなたは一歩進んでいます。そして、後悔してからこそが、力の見せどころ。あっと言わせてやりましょう。

みなさんが今日も、笑顔で幸せに過ごせますように。

以上です。