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15歳のメメントモリ

「信長の時代にTwitterがあったらドクロの杯も炎上しそうだね」。
「女体盛りとか下品な趣向が昔はあったよな」。
なんか気になる話題とともに「醤油皿」というワードがTLに何度も流れてきた。

これか。

まぁ、確かにこれにお刺身盛ったり、このお醤油付けたりはちょっと…
しかし、倫理的な事はともかく、個人的には圧倒的な表現力に魅了された。
作者はアーティスト 山下昇平さん(https://beansworks.co.jp/)

当然 山下さんの足元にも及ばないけれど、私も思春期時期はこういうのばっかり描いていた。
私の場合は美しさではなく自分への憎悪や無価値感を表現するものだったけど。

当時は死ぬことをずっと考えていたので、自画像や心象風景の延長が死体モチーフになった。
当時の夢は健康に脳死して臓器を必要な人に持って行ってもらうこと。
もしくは献体。
クリスチャンだから自死は許されない。
だから希死念慮は全部自傷行為とグロ絵にぶつけて耐えていた。

精神の治療によって回復してゆく時も、ずっと描いてたら、もっと骨格の美しさにも真摯に向き合ったかも知れない。
こんなふうに 死に朽ち果ててなお表出する愛を表現できていただろうか。
そんな事を考えさせられる。
自分の中の、ずっと死を描いていた部分が、山下さんの表現力のレベルの違いを感じ取った。

この醤油皿に対して「生命への侮辱」という言葉も投げかけられたが、これは確か宮崎駿監督が、AIで身体を正常に動かせない人体の映像を再現したものに対して評した言葉。
ちょっと私の中ではズレる感じがした。

私は所謂「ドール」に、グロテスクさを感じる。
あの 美しさと生命を切り離している感じ。
キレイな服も着ていて死を表現しているわけでもないのに。
着飾った「ドール」の方がよほど生命から乖離した印象を受ける。
お好きな方には申し訳ない…
山下さんの作風と比べての個人の感想だ。

その他感想。
「解剖をした経験があるが、患者さんを想起して気が滅入る」
これには納得。
私だって実際に朽ちた遺体を間近で目にしたら、自分の表現としての死の上滑り感を直視することになったと思う。
しかし、そういった評価も理解した上で、 山下昇平さんの他の作品が気になった。

単に「死」と取れる表現がベースだけど、どのような作品を作る人なのだろう。
X(旧Twitter)の投稿を遡る。

話題の醤油皿のような特殊な人体を陶器で表現する他、個展、舞台美術、イラストなど表現は多岐にわたる。
まともに服を着ている作品は少ないけれど、作品の表情はどれも穏やかな眠りの中にある。

そんな中、気になるプロジェクトが目に入った。
創作舞台「殺生塚」。
京都にある瑞泉寺で、とある法要舞台が行われる。
その法要舞台に使われる人形を山下さんが制作したらしい。

制作された人形の造形は、普段の山下さんらしさとは全然違う。
でも、その内容を知ったら山下さんでなければいけないような気がした。

残酷なエピソードに事欠かない戦国時代。「殺生塚」なんて知らなかった。

こちらの奉納創作舞台で使われた34名の女性達(正室・側室とその侍女)と5名の幼子を模した人形。
舞台では女性達一人一人の辞世の句が現代語訳とともに詠まれ、その最期の姿と生き様が舞台で再現された。

この女性達の中でも有名なのが 15歳の駒姫。
山形から上洛して間もない少女だった。
秀次の顔すらまともに見たこともなかったとも言われる。

秀次という殿様は秀吉の甥。
子に恵まれなかった秀吉の後継者と目され、位が上がるにつれ 横暴さを増幅させた悪君であった。
気に入らないものは手当たり次第惨殺し、美しい姫の噂を聞けば手に入れなければ気が済まなかった。
そんな秀次が駒姫を見初めたのは彼女が11歳の時。
父の 最上義光 は、姫がまだ幼いため断ったが、15歳になったら差し出すよう約束させられてしまった。
惜しみつつも相手は豊臣秀吉の養嗣子。可愛く聡明であった駒姫に目一杯の教養を身につけさせて送り出した。

そんな、文禄4年(1595年)7月。
秀次は秀吉から謀反の疑いをかけられ、吉野山にて切腹の上斬首。
駒姫が上洛してひと月たらずの事であった。

秀吉の責めは家中のもの全員に及んだ。
8月2日。正室と側室達は市中を引き回され、三条河原で秀次の首級を拝まされた後 順に首をはねられた。
駒姫の処刑は11番目であった。
父最上義光は秀次との縁によって山科にて幽閉。
方々手を尽くしたが力及ばなかったと推察される。一説には世論の批判を受け、淀殿の口添えによって 助命嘆願が聞き入れられたともいう。
尼になる事を条件にと早馬が飛ばされたが、あと一町(約100m)のところで間に合わなかった。
駒姫は若いながらも 武家の娘らしく 取り乱すことなく粛々と運命を受入れた。
その辞世の句。

「罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき」

罪もなく斬られる我が身。それでもお慈悲ある弥陀の剣ならば、五つの罪業も断ち切られて成仏できるだろう。

https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/78030/

全ての遺体は引き取りの申し出も受け入れられず、同じ穴に投げ込まれそこに塚が築かれた。
当初は殺生を好み手当たり次第の女性を側室にした秀次への侮蔑を込めて「畜生塚」と呼称され秀次の首級が頂に据えられた。

時代が時代だったとはいえ、こんな残酷な処刑を命じる秀吉も屑だし、秀次も屑だ。
どの女性も美しさだけではなく、政治と文化を担いうる女性として望まれた人物である。
にもかかわらず物欲として切り取られ個別に扱われる事もなく侮蔑の元に処刑された。

そんな姿が山下さんの作風と重なる気がした。

創作舞台の内容は上記のリンクから内容をご覧頂ければと思う。
37体の人形は舞台の必要に答えるシンプルな造形。
その中に一人ひとりの個性が与えられた。

こうして、彼女たちはただの愛妾としてではなく、最後の生き様を弔われた。




自分の死を描き続けた私は今、精神的社会的後遺症を抱えながら
幸い元気に生きている。

生きるために、個別的に扱われ、
必要な人に理解され、助けを得ても良い事を教わり、
そうやって生きても良いと肯定されている。

生きるために必要な事は結局
死ぬために必要な事と同じのもだった。

生と死は一人ひとりの人生の中で循環しているのだ。



その他参照
最上義満歴史館 最上家をめぐる人々#6 【駒姫/こまひめ】 https://sp.mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=103062  

Wikipedia 駒姫 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E5%A7%AB

刀剣ワールド 駒姫 戦国の姫・女武将たち https://www.touken-world.jp/tips/46518/



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