⑥雨上がりの虹

世界は確かに不条理だ。しかし、世界にとっての不条理は俺なんだ。フィリップはそう思っている。二死一二塁。あの時と同じだ。しかし、タローは監督で、バッターは俺。

ソラリスが負けるのがX市の道理だろう。だが、俺の打球がその道理をぶち破る。停滞した日常に風穴を空けるのだ。

1球目。高めに外れてボール。2球目。これも外れてボール。3球目、緩いカーブを落とすことが出来ずこれまたボール。

フィリップは内心ブチ切れていた。なんという理不尽だ。今日打つとしたら俺だろう。しかし、ストライクゾーンにそもそもボールが来ない。X市の不条理は並大抵ではないのである。

4球目、明らかなボール球。見送れば四球で進塁できるが、今日打てるのは俺しかいない。一か八か、フィリップは賭けに出た。それはエゴであってエゴでない。自分が打つのが唯一の勝ち筋だとフィリップは計算していたのである。

膝元のボールを掬い上げるように打ち上げる。全身の力が球にぶつかる。角度のない打球だった。しかし、力は篭っている。

高く上がったボールはスタンドには届かない。角度が足りないのだ。ソラリスは今日も負ける。綾人はそう思った。

タローがつぶやく。フィリップ、やりやがった。

フィリップの眼は死んでいない。むしろ大胆不敵な笑みを浮かべる。こんな理不尽な世界がホームランを許してくれるなんて思っちゃいねぇさ。だが、そんなの要らねぇんだよ。なぁ、タロー。お前の伝説の打球は二塁打だったもんな。

高く高く上がった打球。スタンドには届かない特大のフライ。だがそれは失速せずに加速を続けている。空気の抵抗、摩擦、全てが重なって打球は燃える火の玉と化していた。猛スピードで日が昇る。ライジングサンショット。フィリップが打ち上げた太陽は10年越しに太陽ドームの屋根をぶち破った。

なおも止まらず打球は天に登り、衝撃波で雨雲を散らしてしまった。世界にとっての理不尽はこの男フィリップである。束の間ではあるが、X市の住人は2年振りに太陽を見た。あちこちで歓声が上がる。2年ぶりにX市を日光が照らし、4年ぶりにソラリスは勝利した。

それでも理不尽を曲げないのがX市という土地である。霧散した雨雲は再び結集しようとしており、そこにはまるで意思なき意志が介在しているかのようだった。

X市の命運を変えたのは、綾人である。誰も気づかなかったが。綾人は彼女にLINEを送った。最近すっかり没交渉になっていた彼女に送ったのはソラリスの勝利と天を貫くライジングサンショットの写真。きっと喜んでくれるはずだ。彼女はソラリスのファンだから。勝てなくなって引き籠もりになってしまうくらい熱烈な。

アマテラスはLINEの通知を毛怠げに眺めていた。義務的に関係を続けている彼からのLINE。ため息をついて、開くと、そこにはソラリスの勝利とライジングショットの写真が添付されていた。

4年ぶりに血が湧きたつのを感じる。声にならない声をあげて、アマテラスは天岩戸を飛び出した。

ええ、そうなのです。世界はそれを待っていたのです。X市は自らの名前を思い出した。高天原というのが本当の名前なのであった。主人の帰還を雨でお迎えしてなるものか。再結集し始めていた雲はたちまちに消え去り、X市改め高天原を真の太陽が照らした。空にかかるは雨上がりの虹。女神の祝福は不条理や不運にめげずに、具体的な行動を起こす者にこそ相応しい。

非科学的で強引なお話だって?これはね、現象の方が非科学的なんだよ。非科学的な現象を科学的にこじつけて解釈しようとする方が合理的じゃないからね。坊や、今日の物語はそろそろおしまいさ。よく寝て、明日からまた野球を頑張るんだよ。

ん?背が小さいしパワーもないからもう野球なんて辞める?それでいいんだよ、だって?

坊やは不条理に自分の気持ちを合わせようとしてるね。さっきの話を思い出して、フィリップを見習うのさ。停滞した日常もどうにもならい不条理や閉塞感も気の持ちようでは変えられない。工夫と具体的な行動が世界をひっくり返すんだ。ただ納得した気になってるだけじゃ、いつまでも雨は降り止まないと、フィリップが教えてくれたじゃないか。

君ならきっとできるはずだよ。なんせ君はあの日妻がこの世界に宿した祝福の虹なのだから。そう、君こそが雨上がりの虹なんだよ。

今度こそおやすみ。と、綾人は息子にキスをした。微睡み出した坊やの意識と共にこの物語は幕を閉じる。

人生は不条理だが、それが答えではない。未来を変えるのは工夫と行動なのだろう。もちろん時として待つことも大切だが。これでいいんだ。こんなものだ。そうやって、何でもかんでも納得してしまうのは良くない。

雨が100年続こうと、明日晴れるかもしれないじゃないか、その為に何かが必要ならその何かをすることを怠ってはならない。よく悩みよく生きて生きたいものだ。

人生に祝福があらんことを。

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