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Amazon配達員 契約解除「真面目に働いてきたのに…」ってどうなの?

 最近、ローカル番組で取り上げられたフリーランス(個人事業主)のAmazon配達員たちの契約解除問題が、社会的な議論を呼んでいます。十数人の配達員が契約解除されたというこの事件、特に労働環境改善を求めて労働組合を結成し、ストライキを決行した後に解除されたことが、多くの人々の同情を集めています。しかし、この問題を深く掘り下げてみると、一面的な同情だけでは事の本質を見誤る可能性があることに気がつきます。

 まず、Amazonという米国企業が契約に不備を残すことは考えにくいです。グローバルな規模で事業を展開する企業としての厳格な契約管理は、その信頼性の根幹をなしています。したがって、当初からこうした事態の発生は予想されたものであり、配達員側にもある程度の覚悟が求められるべきだったのではないでしょうか。

 さらに、不当だと訴えるならば、その主張を正々堂々とカメラの前で行うべきです。しかし、実際には当事者たちは顔を出すことを拒否しています。このことから、彼ら自身がAmazonに不当な扱いを受けたわけではなく、どこか自分たちに非があることを認識しているのではないかと推測できます。

 確かに、労働環境の改善を求める動きは大切です。しかし、そのための手段として選んだ行動が結果として契約解除につながったのであれば、それは当事者たちがあらかじめ理解し、受け入れるべきリスクだったと言えるでしょう。違うと主張するならば、その理由をしっかりと公表し、自らの顔を明かして堂々と訴えるべきです。

 この事件を通じて、私たちは労働環境改善の重要性とともに、行動の結果を受け入れる責任についても考えるべき時が来ているのかもしれません。事態の全貌をしっかりと見極め、一方的な同情に流されることなく、公平な視点で問題に向き合うことが求められるのだと思います。

 それから、報道する側も番組、ニュースを構成するうえで、本質を見誤らせるようなものにしてはならないのではないでしょうか。多くの人が「Amazonひどいよね!かわいそう!」的なとらえ方をする報道に見えてしかたありません。

とにかく、Amazonの配送問題の改善・解決を望みたいと思います。



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