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オーガニック食のような文章を書くな

世の中の人はみんな、自分のことで忙しい。文章も自意識の塊のようなものだらけ、それはここnoteも例外ではない。

私は自分のことで忙しい文章を読んでいると、胃もたれがする。ただ、「自分を消すなにかこそが創作である」などと言い切るつもりはなくて、そうした文章もたまに読むなら悪くはない。

たぶん、月一で食べる「マクドナルド」なのだと思う。

一方で、自分を消そうとして、消えていない、そんな文章もある。一見、主張せず、控えめに書かれているように見えるが、隠しきれない自意識のウザさ。これは「消そう」という意思が感じられるぶん、先ほどの「マクドナルド」より恥ずかしいと言える。

私はこうした文章もまた、嫌いになれない。恥ずかしさの中に親しみを覚える。実はこっそり、「オーガニック食」と呼んで、応援している。

もしかしたら、そう考えるのは、私もどちらかというとこっち寄りだからかもしれない。

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丸谷才一は著書『文章読本』で、「名文を読め」とすすめた。そして、このようにもつづっている。

名文に親しめとすすめる以上、当然、駄文を読むなと言はなければならないのに、咽喉まで出かかつてゐるその台詞をわたしは敢へて口にしない。口にすることができない。言ふまでもなく、今しばらくわたしの駄文につきあつてもらふ都合があるからだ。

文章読本(丸谷才一/中公文庫)p.48

これは、私がnoteを続けるうえで心がけていることに通じる。

人の文章に対し「駄文だ、読まないでおこう」と言いたくなるときもすこしはある。しかしそれは、自分の駄文につきあってもらっている以上、口にできないことだ。

「丸谷才一の『文章読本』を読め」
とくに、第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返し読むがよろしい。これが現在望み得る最上にして最良の文章上達法である。

井上ひさし ベスト・エッセイ (井上ひさし著、井上ユリ編/ちくま文庫)p.140

井上ひさしにこう言わしめたことは有名な話なので、まだこの本を知らなかった人は目を通してみるといいと思う。

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ここでフォローする人を探していたのもあって、こんなことを書きたくなった。実現するかはわからないが、もしフォローしあう関係になった人がいたら、よろしくしてほしい。

ちなみにこの夏、私はマクドナルドを月一どころか週三ペースで食べている。これは比喩ではない。

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