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なりたかった職業回想録

小学校1年生の時の夢は小学校の先生になることだった。担任の先生が毎日毎日ワクワクなるような授業をしてくれた。そして3年生でクラス替えがあり、担任の先生が変わったとき、小学校の先生ってみんなあんな先生ばっかりじゃないんだという社会の現実を知った。

そしてスチュワーデス物語に憧れてスチュワーデスになりたいと思った。中学生になったときはアイドルになりたいと思った。アイドルになっていろんな外国に行っていろんな経験をしたいと思ったから。クラブでバスケットボール部だったからバスケットボール選手にもなりたいと思った。

そして大学に行って、高校の先生になりたいと思って教職を取った。博物館の研究員になりたいと思って学芸員の資格も取った。就職するときはなんとなく、新聞社とかマスコミに行きたいと思った。

氷河期と言われた時代、持ち直すだろうと言われていたのに、次は超氷河期と言われ、超超氷河期と言われ…。闘争心のない私はチャレンジする気持ちが全く起きなかった。情熱なんて、仕事に全くなかった。とりあえず、体裁を取り繕うことだけがすべてだった。

無難にどこかに滑り込めればいいと思った。

そして20代前半の時の夢はお母さんになることになった。だけど、それは一人でどうなることでもなかった。(これに限らず、すべてのことは一人でどうなることでもないけれど。)

今、自分のなりたかったものを思い出す機会をこうして持ち、私の今までの人生を振り返ってみると、なんとなく、なりたいと思ってきたものに、すべて触れているかもとも思うし、後悔も少しはあるのかもしれないとも思った。

本当はあれもしたいしこれもしたかった。だけど、氷河期という言葉におののき、自分をあきらめてきた自分。そんな自分を再確認するかのように、この7年間、いろんな仕事を体験してきた。このままの私じゃ、きっときっと死ぬときに後悔すると思いながら、何度も何度も壁にぶち当たり、自分の不甲斐なさを嘆き、自分自身を呪い、こんな自分なんて何の価値もないと自分自身を切り刻み、お前なんか役立たずだと、自分に罵声を浴びせかけ、それと同じくらいの外からの視線にさらされ(そのように自分自身では感じていた)、それでもパートナーをはじめとする家族に支えながら、なんとかここまでこぎつけた。

人生というものは、必ず自分が自分に与えた課題を、どこかの段階でクリアしないといけないようにできているのだと思った。そしてその課題というものは、この先もどうなるのか全く分からない。

どこかの正社員に落ち着くことをずっとずっと熱望していた。そしてそこで正社員というポジションで、思考停止の安心を味わいたかった。だけど、それは私の心の奥底が望んでいたものではなかったんだろうな、と、今となっては、こうなるべくしてこうなっている自分なんだと受け止められる。これから私はどこに向かってどうなっていくのか、まったくわからない。

それこそがきっと私なんだろうなと思う。何か一つの形で「私の職業は〇〇です」と言えることを、専業主婦から社会復帰するときに、必死に求めて、もがき続けてきた。

だけど、本当の私が望んでいたことは「私の職業は〇〇です」と言えることじゃなかった。なりたいのは職業じゃなくて生き方。自分の心の持ち方。自分の存在の仕方。

少子高齢化で、それ以外にも様々な問題が山積みと言われているこの日本に、少しでも、希望を生み出す何かに貢献したい。自分のことが大嫌いで、自分なんか消えてしまえばいいと思い続けてきた自分から、今は少しは、与えられた時間を大切に生きていこうと、建前じゃなく、限りなく本音で思えるようになった。

次の世代に、人生っていいもんだよ、と伝えられる自分でありたい。学ぶことは楽しいことだよ、自分の厚みを日々増すために、学び続けるってことは嬉しいことだよって、伝えられる自分でありたい。視野を広げて、与えられた人生の時間を思いっきり満喫して全うしてねとエールを送り続けられる自分でありたい。

#なりたい自分

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