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マンガの中で駆け回る、自由な身体――『北極百貨店のコンシェルジュさん』論

 「百貨店」と聞いて思い浮かべるのは、どのような景色だろうか。入口すぐにあるきらびやかなジュエリー売り場、花束のようにさまざまな匂いがまじりあうコスメカウンター、いくつも扉が並ぶ大きなエレベーター、長いながいエスカレーター、明るい婦人服売り場、シックな紳士服売り場……。きらびやかな内装、セルフレジとは異なる丁寧な接客……。こういった買い物客としての目線とは別の、百貨店の印象がある。街のランドマークともなるような、大きな「建築物」としての百貨店だ。

 西村ツチカのマンガ『北極百貨店のコンシェルジュさん』で描かれる百貨店には、洋服を着て、人間のことばを話し、二足歩行で歩く動物たちが訪れる。それはまるで異界での出来事のように思えるが、わたしたちが暮らすこの世界の百貨店と同じような描写も多い。例えば、開店時の描写(図1)を見てみよう。

図1
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん2巻』小学館、2023年、p.61。

思い思いに着飾った動物たちが、店内へと向かう。その入口となる扉は見上げるような視点で描かれ、その大きさを感じさせる。また同時に百貨店という箱型の建造物全体の大きさをも意識させるだろう。作品の中で「箱」の描写は百貨店そのものだけにとどまらない。主人公である北極百貨店の新人コンシェルジュ秋乃を見守る、百貨店の面々。彼らは四角い箱の中に、いる(図2、図3)。

 フロアマネージャーの東堂は神出鬼没で、百貨店内の「四角形」を介して秋乃の前に唐突に現れる(図2)。また経営者一族であることがほのめかされるエルル、外商員のトキワも四角形の中から秋乃を覗いている(図3)。どちらも百貨店という四角い箱の中に、さらなる別の箱があり、そこから秋乃という存在を見守っている場面と言えそうだ。

図2
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん1巻』小学館、2023年、p.19。
図3
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん2巻』小学館、2023年、p.79。

この入れ子の構造は、動物園の中にある檻のようでもあり、観察するもの/観察されるものという関係性を想起させるのではないだろうか。「お世話をする」「ケアをする」といった社会において女性が担うことの多い役割を業務とするコンシェルジュを女性として、管理職を男性として描くことも、わたしたちが生きる社会の構造と似ているようにも感じられる。

 百貨店という巨大な建造物や、直線で構成される四角形という安定した形状は、厳格で秩序が保たれた様子を思わせる。檻とイメージを重ねるのであれば、枠や型といったものとも言い換えられるかもしれない。そういった頑丈で規律が保たれた空間が作品全体を支え、作品にスタティックな印象を与えている。しかし堅牢と思われた均衡を主人公の秋乃はたびたび、破る。

異なるスピード感

 では具体的に、秋乃はどのように描かれているのか。まずは秋乃が「ウミベミンクのお客様」の接客から、次の行動へと移るコマを見てみよう(図4)。秋乃はコンシェルジュらしくまっすぐに立ち前で手を組み、しずしずとお辞儀をして退室しているように見える。百貨店らしい丁寧な接客の動作から270度の方向転換をして、大きく足を開いて勢いよく大きく走り出す様子が、コマ送り映像のように9人の秋乃によって表現されている。ここでは、これまで見てきたどのコマとも異なる時間が流れているように見えないだろうか。ひとりのウミベミンクに対して、9人の秋乃が接客している――つまり、静止しているように見えるウミベミンクとは対照的に、秋乃が9倍ほどのスピードで動いているように読み取れる。

図4
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん1巻』小学館、2023年、p.51。

 作品内における「時間」の感覚について考えるために、もうひとつ別のシーンを見てみたい(図5)。あっけにとられたような顔をする秋乃に対し、会話の相手である「ガラス造形作家のマネージャー」は、下半身はつながったまま上半身だけが二手に分かれるという方法によって、ふたつの動きが描かれている。

図5
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん1巻』小学館、2023年、p.126。

マネージャーの動きと連動するように、フキダシも一部分はつながりながらも、前半の雲形(装飾的なフキダシは演技がかった語り口を想像させる)と、後半の丸形の二手に分かれている。このフキダシからは、どうやらフキダシの変わり目で声色が変わっているらしいこと、中断することなく流れるように言葉が移り変わる様子が想像できる。

 演技がかったセリフを言う、秋乃に問いかける、問いかけに対する回答を待たずに、まだはっきりと勧められる前のティーカップを受け取るという一連の動きは、気が短く自己完結したいマネージャーの性格が感じられる。そして、このコマにおいてマネージャーに「ふたつの動き」が託されていること――つまり秋乃が反応するより早く、マネージャーは次の動きに移行していること――は、ウミベミンクが次の行動に移る前に、秋乃が走り出す描写と同じ構造と言えるだろう。

 図4、図5はいずれも、一方の人物が静止しているのとは対照的に、他方の人物は複数の動作を行っている。ウミベミンクにとってはほんの一瞬に感じられる時間であっても、秋乃にとっては9つの動作ができるほどの時間が流れていて(図4)、マネージャーにとっては長い言葉を話せるだけの時間が流れているが、秋乃にとっては反応する間もないほどの一瞬の出来事であった(図5)。たった1コマに多くの動作が描かれることで、それぞれの動作のスピードの差が強調され、二者間における相対的な「体感時間」の違いが表現されていると言えるのではないだろうか。

いつもと違う顔、違う動き

 図4をさらに詳しく見てみたい。このコマでは1コマの中に、これだけの異なる体勢の秋乃が描かれているが、ひとりひとりの秋乃を詳しく見てみると、必ずしもすべてが写実的に描かれているのではないことがわかる。例えば6、7、8人目の秋乃は、現実であればそのまま転倒してしまいそうなほど無理のある体勢だ。しかし、だからこそ秋乃のはやる気持ちを絵から読み取ることができる。

 ほかにも写実的ではない描写は見られる。例えば、秋乃が百貨店のお客様に向けて自身の失敗について語るシーンでは、まつげや瞳を含む「目」全体がまっすぐな線として表現されている(図6)。感情の出やすい目が省略的に描かれる一方で、手、とりわけ指先については関節の位置まではっきりと読み取れるほど細かく描かれている。

図6
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん2巻』小学館、2023年、p.49。

コンシェルジュとして、指の先まで意識を張り巡らせ完璧にその役割をまっとうしようとする秋乃と、とはいえ、ときには失敗するという「本当のこと」を思わず話してしまう秋乃が共存している。このような共存は図4でも起こっており、コンシェルジュらしくふるまう(つまりルールに則った行動をする)秋乃は写実的に描かれ、百貨店の中で駆け出してしまう(ルールから逸脱してしまう)秋乃はデフォルメされて描かれる。

 秋乃の動きが印象的な箇所を、もう一箇所見てみよう。少しの会話を交わし、そのまま立ち去ろうとするアホウドリを秋乃は無言で見つめている(図7)。

図7
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん1巻』小学館、2023年、p.113。

しかしこの時点での秋乃は、日曜のレストランの予約が偶然取れていた のだった。直後のコマで秋乃は、驚いて予約のことを伝えようとする(図8)。

図8
西村ツチカ『【特装版】北極百貨店のコンシェルジュさん1巻』小学館、2023年、p.113。

図8の2コマ目で、目線が低い位置にあるアホウドリと話すためにかがんだ秋乃の膝や腰、肘が誇張するように折り曲げて描かれている。ここでは図4、図6と同様に秋乃の内面/心情が、自由な身体――言い換えれば、デフォルメされることにより現実的な制約から解放された身体――によって表現されていることがわかる。

 さらに自由なのは、身体だけではない。図8の3コマ目では、地面すれすれの視点から秋乃の腕と胴のすきまの間をくぐるようにしてアホウドリが描かれている。この特殊な視点は、あたかも立っている状態(図7)から急にかがんだ秋乃に「カメラ」が追いつけず、勢い余ってそのまま地面にまで視点が下がりきってしまったという「カメラワーク」 のように見える。視点を振り切ろうとするほどの、他のコマとは異なる自由な構図と言えそうだ。

 冒頭でも述べたように、北極百貨店に訪れるのは動物たちだ。そのなかでもアホウドリなど絶滅種の客は、重要顧客としてとりわけ丁重にもてなされる。作品内において絶滅種が登場するとき、どのような歴史を経て現在は絶滅に至っているのか(あるいは人間が絶滅に至らしめたのか)についての説明がなされるのだが、読み手は動物に対し、取り返しのつかなさ/不可逆性を感じることもあるだろう。しかしコンシェルジュとして奮闘する秋乃は誠実でありながらも、天真爛漫なアナーキーさでルールを逸脱する。これまで見てきたように、ストーリーだけでなく絵やマンガにおける演出においても型にはまらない表現があった。それらは絶滅してしまった動物への憐み/動物を絶滅させる人間の身勝手さへ怒りといったストレートなメッセージを越え、読み手にさらなる感情を呼び起こすだろう。



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