時が過ぎて
生年月日を聞かれると、西暦で答えるようにしている。
そして二言目には、『ギリ昭和生まれです』と言う。
これが地味に目上の方々との話の取っ掛かりになるので都合が良い。
もちろん自分の意識の中に昭和の記憶はない。
ほとんどが平成の記憶だ。
だからこそ、平成の終わりは何だか双子の兄弟がいなくなってしまったような不思議な感覚だ。
令和という生まれたての弟はあまりまだ馴染みがない。
約30年生きると、周りもどんどん変化していく。
大好きだった場所や、思い出の詰まった建物や、ただぼんやりと風景の一部だった店も少しづつ形を変えていく。
こんなことを思うのは今日が母の日だからだろうか。
まだ夢と現実の狭間で漂ってるくらいに鳴った電話で久々に母の声を聞いたからだろうか。
毎年、母の日には鉢植えのカーネーションを贈る。
祖母には真っ赤なカーネーションを。
母には毎年変わった色のカーネーションを。
お菓子を添えて。
なんの変化もない毎年の流れ。
今年も無事に終えることが出来たなと。
さて次は父の日かと。
考えて注文するときが一番楽しい。
なんだかセンチメンタルな気持ちだ。
悲しいわけじゃない。
寂しいわけじゃない。
心がざわざわしている。
夢と現実のの狭間に沈もう。
体も意識も。
そして明日を迎えよう。
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