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泣けないという呪い

泣きたい時に限って泣けない呪いにかかっている。

大学を卒業する時、涙を流してくれた後輩の前でヘラヘラ笑っていた。昔彼女にこっぴどくフラれた時、嗚咽する彼女をなぜか慰めていた。長年飼っていたペットが亡くなった時、立ち尽くすことしかできなかった。

小学生の頃までは、まわりによく「泣き虫」と呼ばれていた。泣き腫らしている時の口の中の塩辛さが、当時の記憶に頻繁に出てくる。

なぜ泣けなくなったのだろう。

嬉し泣きであれ、悲し泣きであれ、それが人前であればその行為は注目を集めた。それは空気だけでなく、誰かの行動を変えることすらあった。

ぼくは10代の後半から、その強力な行為を行うことに対して、誰かに影響を与えることに対して、なんだかすごくばつが悪い、申し訳ないと感じるようになってきた。そこまでの行為をしてもいい説得力が、自分には果たしてあるのだろうかと考えるようになった。
おそらくそれが、無意識に人前で泣くことを避けるクセづけになってしまった。こういうことかなと思う。

しかし、日々の中では、こんなに嬉しいのに、こんなに悲しいのに、ここでちゃんと泣けたら、感情が出せたらどんなによかっただろうと思う場面が大いにある。それは例えば、大学を卒業した時。彼女にこっぴどくフラれた時。長年飼っていたペットが亡くなった時。

そのくせ、一人の部屋で不意に流れたスピッツに、よくわからないまま涙が止まらなくなることがあったりする。

泣きたい時に限って泣けない呪いにかかっている。


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