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話をしないか

つい先日、何年かぶりに盛大に転んだ。
横断歩道を小走りで渡った際に道路の僅かな段差に足が引っかかって、一回転した。

怪我は着地した際に掌を擦った程度で大したことなかった。
が、ハッとしてポケットに入っていた革の財布を取り出した。気に入っている財布の表面に小さい擦り傷がついている。

これはマズいと思った。

自分は一つ小さく凹むと、遅発的にだんだんと大きな感情が押し寄せてきて、かなりの時間その感情に支配されてしまう。

今回の出来事を例にすると、いつも小さい凹みが大きくなっていく大体の流れがある。

気に入っている財布に傷がついてしまって
少し凹む

大したことではないと理性的には理解しても、感情的になってしまっている自分に凹む

なんでこんな小さなことに長時間苛まれてるんだろう凹んでるんだろうと凹む

自分はいつもこうだと過去の凹みを樹形図状に思い出して凹む

足を攣った瞬間のように、その後大きな痛みが来ることが分かっていても止められない状態になってしまう。
これには長年悩まされており、いろいろ試してみて分かった。おそらく治らない。

ただ、対処法はいくつか編み出した。

例えば、映画を観るとか、音楽やラジオを聞くなど好きなものに意識を向けるという方法を見つけたが、これは観る聞く内容によってはむしろさらに傷を抉ったり、そもそもそれらに触れようというエネルギーすら持てない時がある。

現時点での一番の対処法、それは笑い話として人に話すこと(実際に笑えるかどうかは別として)。

「こんなことあったんだよ。本当に馬鹿だよね。」と凹んだ感覚を自分の外側に出すことで、苛立ちとか悲しさが"笑い話"という形で昇華される感覚が、一番凹みを解消してくれた。

そんなの、誰しもがやってるよと思う人もいるかもしれないが、ぼくはこのことに20代後半にしてやっと気づいた。何かに気づくのが人より少し遅いことが多い。

と、書いてて思ったが書くという行為も結構良いかもしれない。

いやしかし、人前で盛大に転んだ時って、早足でその場を去るか、何事もなかったように振る舞うか、どっちが正しいんだろう?

ぼくの場合、早足でその場を去りました。恥ずかしかった...。



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