サドル

小森さんは中学生なのに口元にホクロがあるせいかエロい。どこか浮世離れしていて、余裕がある。同級生なのに、教育実習の先生くらいの大人感がある。集団に溶け込むことに全力な感じでもなく、かといってイジメのターゲットされることもなく、むしろ女子からも羨望の眼差しを向けられている。「親友」という肩書きを手に入れたい一般女子が彼女に近づいては対等な立場での仲良し感を演出しようと必死になるが、彼女はただ優しい笑顔で、誰にも平等に対応する。男子はというと、むしろ、近寄る勇気が出なくて、彼女に好意を寄せる男子はきっといっぱいいたはずだけど、あからさまに話かけているやつはいなかった。1年生のときこそ、彼女見たさに教室の前に男子の人だかりができていたが、今やみんなむっつりだ。そしてぼくもそのうちの一人だ。

ぼくの中学では、自転車通学をしていいのは、学校から1.5km以上離れている生徒のみだ。だけど、3年生にもなると、1.5km以内に住んでいても、こっそり自転車通学をする所謂「闇チャリ」をし始める輩が出てくる。自転車はやっぱり圧倒的に楽だから気持ちはわかる。でもぼくが闇チャリを始めたのは別に理由があった。ぼくの自転車が小森さんと全く同じものであることを見せたかった。いや、気づかれたかったのだ。小森さんに同じ自転車だね、と話かけられる妄想をおそらく通算100回はしているだろう。それ以上の妄想は多分1000回を超える。ぼくは陰湿で真っ直ぐで下心だらけだ。

闇チャリを始めて1ヶ月経ったが、一向に気づかれる気配がない。というか気づかれてるのかもしれないが、それについて話すチャンスがない。小森さんがいつも自転車を置く場所はもちろん把握済みだが、小森信者の友達が両脇をガッチリ固めていて、隣にはとめられない。小森さんが来るタイミングに合わせて登校し、自転車を駐めるタイミングまで同じだった時もあったけど、気づいてもらえなかった。ぼくは陰湿で健気なのだ。

思いは募り、妄想を続けるぼくは暴走し始める。夜な夜なラブレターを書いたのだ。でも渡すタイミングがどう考えてもない。小森信者は片時も離れることはなく、渡すチャンスなんて、全くなかった。1日中彼女を舐め回すように見ているぼくが言うのだから間違いない。でも正直ホッとしている自分もいた。隙があったとして、渡す勇気なんて実はなかった。考えた末、暴走するぼくは彼女のサドルと自分のサドルをこっそり交換することにした。ぼくは陰湿で変態で想像力豊かなのだ。

全く同じ自転車だからサドルを交換しても気づかれなかった。と思う。小森さんの座っていたサドルに座ることで興奮する変態少年は、意気揚々と登校した。その日から、見える景色が違うようだった。日の光が美しいよ。諸君、おはよう。坂道なのにどうして座ったまま漕いでるのかって?座りたいからだよ。ぼくは陰湿で爽やかなアホなのだ。

期末テストが終わり、頭のいい小森さんと同じ高校に行くのは絶対無理だと悟ったある日、自転車置き場の小森さんの自転車を見た瞬間、鳥肌がたち、身体中から変な汗が出てきた。小森さんのサドルがない。どういうことだ?悪戯か?ぼくを超える変態がいるのか?まずいまずい。ぼくの頭の中が真っ白になっていた。実は陰湿なぼくはぼくの自転車のサドルの中にラブレターを入れてそれを小森さんの自転車に取り付けていたのだ。ラブレターを渡す勇気はないけど、ぼくの告白は常に彼女のお尻の下にあるというスリルを楽しんでいた。ぼくは陰湿で無駄に行動力があるのだ。

困ったことになった。どうすればいい?このまま放っておくと、もうすぐ彼女が現れて、サドルがないことに気づく、そうするときっと先生に相談するだろう。学校の問題になって、犯人探しが始まり、犯人は見つかるけど、ラブレターも見つかる、という悲劇が起こる。一旦は先生に相談させるのを止める必要があるか。でも止めたところで、このサドルを盗んだ犯人はラブレターに気づいて、今頃拡散していたりしないか?いや、その可能性はあるけど、まずは目の前のできることをしよう。先生への相談を止める。そのためにできることはシンプルだ。ぼくのサドルを彼女のサドルにつけよう。そうすれば気づかれない。ぼくは陰湿で意外と冷静な判断ができるのだ。

でも、サドルを外してまたもや不可解なことが起こった。サドルの中に紙が入っている。考えるより先に手が動いていた。これは間違いなく、ぼくが書いたラブレターだ。ラブレターは彼女のサドルの中にあるはずなのに。ぼくはいつから自分の思いを綴った手紙をお尻の下に忍ばせて登下校していたのだろう。なんかそっちの方が変態じゃないだろうか。交換されているということは、つまり、ラブレターはそのまま突き返された、ということだろうか。つまり、小森さんにはラブレターを忍ばせたサドルに付け替えられていたことも全部バレている。死にたい。でも、じゃあ、少なくともサドルを盗んだやつにはラブレターは見つかっていないのか。それはちょっと良かった。ぼくは静かにラブレターを抜いて、小森さんの自転車にサドルをつけておいた。ぼくは陰湿で惨めで優しいのだ。

サドルがない状態で家に帰ると、親にヤイヤイ言われそうなので、学校に忘れてきたことにして歩いて帰った。いつまでも学校に忘れてきたことにし続けられないけれど、今日はもう考えたくなかった。フラれたんだと落ち込む自分に浸りたかった。翌日学校に行くと、どういうわけかぼくのサドルが復活していた。意味がわからなかったが、学校が終わり次第、そそくさと帰りたかったぼくは自転車に乗って急いで学校をあとにした。急いでいたため、ずっと立ち漕ぎだったので気づかなかったが、座ってみると、なんか高い。足つかないな、と思い、途中で降りてサドルの調節をした。ふと気になって、サドルの中を見た瞬間、ドキリと心臓が破れそうになった。紙が入っている。あらゆる可能性を考える前に、開けて中身を見ていた。小森さんからの返事だった。

「手紙には実はすぐに気づいていました。どう断っていいかわからず、ラブレターを入れたままサドルを元通りに交換して、なかったことにできればいいなと思ってました。昨日私のサドルがなかったのは、もしかして、サドルを元通りにしたことに、中井くん気づいてないんじゃないかなと思って、私のサドルを外しておけば気づくんじゃないかと思ったの。だから、ごめんなさい、中井くんが自転車置き場であたふたしているのはずっと窓から見ていました。全部わかったあとも、サドルがない私のために自分のサドルをつけてくれて、自分は歩いて帰るなんて、優しすぎるよ。でもありがとう。とっても嬉しかったよ。そして、なんか楽しかったです。また気が向いたら、サドルにお手紙ください。  小森」

そして、不定期にサドルの中に手紙を入れる、という独特な文通が始まった。ん、今日のサドルなんか高さが違うな、という違和感がたまらなく嬉しい瞬間である。ぼくは陰湿で、恋の結果もどっちつかずのはっきりしないだけど、多分それがぼくらしくていいのだ。とことんこの陰湿で曖昧で甘い時間を楽しむのだ。

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