おっさんのメッセージ

中学に入り、ぼくはバレー部に入った。特にバレーがしたかったわけではなかったけど、なんとなく野球部や陸上部は辛そうだし、卓球部やバトミントンはちょっとモテなさそうだ。文化系の部活はとても楽そうだけど、でもやっぱりスポーツをしているステータスは欲しい。モテたいもの。そんなぼくにとって、バレー部は絶妙なチョイスに思えたのだ。

ところがどっこい、練習はキツかった。バレー部ってこんなに走る必要あるのか?というくらい走らされ、基礎から徹底的に叩き込まれた。こないだまで小学生だったぼくには、練習に慣れた中学生は、まるで別の生き物に見えるくらい、ダイナミックでパワフルで俊敏な動きだった。練習を軽々とこなしていく、ダイナミックな先輩たちを見て、こんな風になれるわけがない、と思っていたが、数ヶ月すればだいぶ近づいてくるので、不思議なものである。

そんなこんなで慣れてきた部活にも、どうしても受け入れがたいものがあった。横断幕である。試合になると、横断幕を飾る。これまでの積み重ねた努力を試合で爆発させるのだ。熱い。とてもかっこいい。でも、この横断幕だけは、、、恥ずかしい。ぼくの学校の横断幕はエンジ色の生地に「自分に負けんな!」というメッセージがデカデカと書かれていた。他の学校はとてもカッコよく見えた。
「必勝」潔く大きな2文字でかっこいい。
「心を一つに」うん、チームワークだし仲間との絆を感じるよね。いい。
「飛べ!跳べ!翔べ!」バレーだしね。かっこいい。うまい。一本!
どれもかっこいい上に、ちゃんとメッセージが伝わる。なんか鼓舞される感じがある。でも、自分に負けんなって、そもそもどういう意味なのかわからない。相手に負けるなだとシンプル過ぎるから、捻って、狙い過ぎて、誰にも伝わらない感じになっちゃたのではないか。とてつもなく、ダサい。

1年生なので、横断幕をセッティングしないといけないし、何なら、この横断幕の近くにいないといけない。関係ない人のフリができない。横断幕の右下に小さく書いてある「平成4年度卒業生寄贈」を見ながら、だいぶ前の先輩方、やってくれたましたね、と先輩方を呪った。

試合に出ている先輩方が自分に負けなかったのかはわからないけど、相手にはなかなか負けなかった。結構強かったのだ。どうやら、そこそこ強豪扱いされている雰囲気なの数ヶ月経ってわかってきた。そんな折、横断幕を片付けながら、同級生に聞いてみた。

「これってどういう意味?」
「さー、あんまり深く考えてなかったな。なんかまぁそれっぽいメッセージでしょ。」
「なんだそれ。意味不明。」
「自分との勝負に負けるなってことだよ。」
「二重人格の部員限定のメッセージか?」
「あー、まぁそうだな。それでいこう。」
「・・・・・。」
「なんだ、不満足か?自分に負けんなって。」
「お前もバカにしてるじゃねーか。」

この会話をどうやら、顧問の先生、通称おっさん、に聞かれていたらしい。おっさん、というあだ名を聞いたときには、あまりにもテキトーにつけたあだ名感がとてもいいなと思った。おっさんは、若々しくもなく、熱血コーチという感じでもなく、カッコよくも、鍛えらた体でもなく、ちゃんと薄らはげでお腹が出て、顔は脂っこくて、それはもうちゃんとおっさんをしていた。だから、おっさん、というあだ名はぴったりだった。翌日、ぼくたち二人はおっさんに呼び出されて、お説教をされた。

「お前らは自分に負けてる。」
「・・・・・。」

正直、意味が分からなさ過ぎて、すみません、というのが正解なのかもわからない。

「自分に負けるとはどういう意味なんですか?」
「お前らは練習中も、しんどくなったら甘えている。あともう一歩、自分を奮い立たせて、ボールに食らいつく、これができていない。こういうのが自分に負けているってことだ。」
「しんどさに負けるなってことですか?それなら、自分に負けるな、より、しんどくても頑張れ、の方がいいじゃないですか。」

若干喧嘩腰になってしまったが、もう後には引けない。どうせレギュラー争いする地位にもいないし嫌われたっていい。なんかそろそろ反抗期だし、武勇伝にもなるかもしれない。

「確かにしんどくても頑張れ、ではなんかバカっぽいけど、少なくともメッセージは伝わりますよ。自分に負けるな、よりは。」
「違う!辛いとき、しんどいとき、負けそうって思うとき、そう思ってしまう弱い自分がいるってことなんだ。その自分に勝って、始めてちゃんと目の前の相手と勝負できる。そういうことなんだよ。」
「だったら、弱い自分に負けんなって書いた方がまだわかりやすいじゃないですか。いろいろ省き過ぎて、パッと見では絶対わからないですよ。自分に負けてないのかもしれませんが、日本語の文法に負けてます。」
「・・・・・。」
「先生、自分に負けてないかもしれませんが、ぼくとの口論に負けています。」

ぼくは本当にめんどくさい生徒だったと思う。今でもあのメッセージはダサいなと思うけど、意味はもちろんわかる。ダサいからこと愛着が湧くし、ぱっと見ではわからないからこそ、メッセージの意味を噛み締めることができるのだと思う。おっさんのメッセージは当時はぼくに届いてなかったけど、やっぱり心に残っていて、徐々に理解できるようになった。きっとぼくもおっさんへ近づいているのだろう。おっさん、いや、先生、ありがとう。きっとそのメッセージは数年経ってから、生徒に届くから、自分に負けずに頑張って!

#部活の思い出

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