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「弱音吐いていいよとか、俺はそんなん一切いらんねん!」

いつだったかな、これを言われたのは…

確か広島リトリートへ行く直前だった気がする。

ミユさんのこのnoteを読んだんだ。

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わたしが男なら、「本当はどう思っているのか」を言葉に出せと追求する女とは一緒にいたくない。俺の行動を見て欲しい。カッコつけさせてくれよと思う。言い過ぎに見えるかもしれないけれど、話し合いをしたがり、こちらに正直になってほしいと言う女は面倒で煙たくて可愛くない。


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これにガーン。。。となった。

だって、わたしは結婚する前の彼女だったときから、彼が会社の愚痴を言わなかったり、辛いと言わなかったりすることが、わたしにとっては締め付けられるものがあり、もっとわたしの前ではホッとして欲しい、わたし自身が彼のホッとできる存在でありたいと思っていた。

そして、結婚してからは、外では殺伐とした世界だからこそ、家の中だけはホッとして欲しい、本音でも弱音でもなんでも話して欲しい、ときには涙も流してもいい、そしたら彼は外の世界でまた頑張れるんだって思っていた。

さらに、NVCを学び始め、

『正直』になること、
『無防備』になること、

を体感し、身体も心も震えた。

そんな経験を旦那さんにもしてもらいたい、せめて家ではそう在って欲しい、家の中でありのままの彼にわたしが寄り添ったり共感することができれば、彼をもっと支えることが、力を与えることができるのではないか… と、思ったんだよね。


だから、このミユさんのnoteはとても興味深く、彼にシェアして聞いてみたんだ。

そしたら、彼は大きく大きくうなずいて、

「そう!ほんまにそれ!かっこつけたいんだよ!俺は弱音吐いていいんだよとか、泣いていいんだよとかそんなん一切いらんねん!!」

と、言った。

しかも、結構強い口調だったから、グサッときた…
わたしがずっとずっと大切にしてきたもの…

でも… やっぱりそうなんだ…

頭では理解はできるんだけれど、心はついてこない… わたしはやはりショックを受けていて、このことを抱えながら広島へ行ったんだよね。

そして、そんな気持ちのまま、広島リトリートで経験したある出来事がある。

それは、ある男性がわたしに対して、

心を開き、
涙を流し、
それを拭うこともなく、
しっかり味わいながら、
心の奥にあったものを話してくれたこと。

そして、わたしも一緒に泣いた…


このときに感じた。

男性が自分の内側を表に出し、
涙を流すということが、
痛みを分かち合うということが、

これほどまでに、

美しいものなのか…

と…


男性の、

『嘆き』
『弱さ』
『無防備さ』

が、本当に美しかった…


わたしは一緒に痛みを感じながらも、胸が熱くなり、感動もしていた。

それと同時に、世の中の男性がこう在れたら、世界の平和にまたひとつつながるんじゃないか、女性にはその力があるのではないか、本気でそう思った。

男性であろうが、女性であろうが、その前に人間である。狩猟時代からの遺伝子的なもの、歴史的な背景はあるかもしれない。

でも、男性の弱さ・無防備さを、女性の母性・大きな愛で受け止め、包み込む。それがさらに男性の力となり、また循環して女性を守り、女性への力にもつながる。最近の言葉で言うと「エンパワメント」だろうか。


この経験を経て、ますます、旦那もそうなれたらいいのになぁと思った。

でも、この間に書いた「家では無防備になれない...」という日記から、またいろいろとつながっていく。そして、わたしは家では無防備になれないの…曝け出せないの…ありのままの自分でいられないの…と、旦那に伝えることとなった。

つづく。

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡