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相手をちゃんと「人」として見れたときに起こること。

昨日のつづき。

①せいちゃん講座の宿題で共感バディ
②わたしがホールドしている共感サークル
③リトリートのときの共感グループの集まり

が、数時間おきにあり、ありがたいことに今!話したいことがあったので、そこで同じ話を三回しました。

一つの悩みに、

「わたしはもう話切った!出切った!もう聞いてもらわなくても大丈夫♡」

 と思えるまで、何度も同じことを話して、何度も共感をもらうことがある。痛みが大きければ大きいほど、聴いてもらう数が増えたり。

一人、また一人と、寄り添ってもらったときの言葉は違うし、一人、一人のあたたかさも感じ、新しい気づきもある。

そして、一つの悩みに、それだけ丁寧に向き合うことへの豊さを感じている。

わたしがみなさんにザッと伝えた悩み↓

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元々、3歳の娘はわりと一人で遊ぶ子だった。
でもロックダウン1ヶ月半頃から突然「おかーたんあーそーぼー」が始まった。

わたしも、この子供たちが子供たちに会えないという世界にちょっとこわいな…と感じてきていたところだった。これはなにか彼女のメンタルのサインだと思って、遊ぶことにした。

でも元々わたしは子供と遊ぶのがそんなに得意ではなく、スケジュールに縛られるのも苦手… 

何日か続いてくると、段々「24時間あーそーぼー攻撃」と感じてくる。

「24時間」でもないのに、「攻撃」でもないのに、そう感じてしまう。

「きょうはぁ、りかちゃんであそんでぇー、ねねちゃんのおせわしてぇー、パズルしてぇー、パン屋さんしてぇー、うんどういってぇー、それからかえってきたら、えーっと、またあそぼっ♡」

「・・・・・・・・・・。」

返事もうまくできなくなる。

しまいには、朝ベットの横で人形を抱えて「あーそーぼー!おーきーてー!」とすでに立っている娘にビビるようになってきた。め、目をあけるのが、こ、こわい。。。笑

遊んでいて、楽しいとも思えないこともあるし、でもそんなこと娘が傷つくから言えない… 心のケアを求めているのかもしれないし。。

私:「寝たら朝が来る…寝るのがこわい…」
旦那:「だ、大丈夫か。。めっちゃストレスなってるやん…」

その翌日、朝起きると身体が重く、頭が起こせなくなっていた。

そんな状態です。

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と伝えた。

合わせて5人に聴いてもらい、やりとりする中で一緒に探求してもらって、見えてきたこと。

(一つの話に5人からもじっくり寄り添ってもらえるって。。それだけであったかいなぁ。。)

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〈①共感バディで伝えたとき〉

娘のケアをしたい。
なのに正直「ゲンナリ」している自分がいる。

「ゲンナリ」って言葉が出てきているということは相当蓄積されているんじゃないかなぁ?

あー、そうかも。。

「ゲンナリ」って言葉はよほどの時にしか使わないし、できればあまり使いたくない感情の言葉の一つかもしれない。

だって、お母さんに「遊ぶのゲンナリだわ」なんて言われたら。。。わたしが娘だったら悲しすぎる。。。

でもその感情の言葉を選んだってことは、わたしは相当ピークに来ているんだね。。


あと、満たされていないニーズは、

「自由」
「自分のスペース・空間」

そして、、

「配慮」(笑)

3歳に「配慮」?って思っていたりするんだけど、その「3歳には無理でしょ笑」ってジャッジしている自分もイヤで。。。

娘を「人」として見てあげられていないような心地が良くないかんじ…

ん?

と、いうことは・・・?

相手をちゃんと「人」として見れたとき、相手がどんな人であったとしても、わたしの「配慮」というニーズが満たされていないというのは事実で、それをとても大切にしたいんだという想いは変わらない。

それであれば、それを娘にしっかり伝えたらいいんのではないか?

「お母さん「配慮」をとても大切にしていてね…」

って言うのは伝わらない気がするので、

「お母さんね、カエデと一緒に遊ぶこともとても大切にしているんだ。でもね、お母さんはお勉強したり、お料理したりする時間もとても大切にしているのね。だから、このリカちゃんとたくさん遊んだ後、次はお母さんもお勉強する時間にしたいなぁって思っているんだけど、どうかな?そして、それが終わってからまた遊ぶのはどう?待っててくれる?」

と、言葉を変えて伝えることはできる。

うまくいくかいかないかはわからない。その時その時によるだろう。でも、伝えることはできる。

なんかただグッと我慢してしていたような感覚が、道筋が見えたような気がして、身体がスーーーッと軽くなり、うれしくて自然と笑顔になれた。


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〈②共感サークルで伝えたとき〉

「ウソじゃないこと」って聴こえてきたよ。
娘ちゃん遊びたい気持ちもある、でもそれは心ではなく、頭で考えているのかな?



→仰るとおり。。頭で「遊ばなきゃ…」ってなっている。。



自分の気持ちにウソじゃないこと。
正直でいたい。
すべての自分を丸ごと受け入れられていないことへのもどかしさ、なんかヘトヘトな感じかな?
心から純粋に遊びに付き合ってあげられないことへの、悲しみ…
でも無理はしなくないし、(ニコニコしてずっと)遊べる母になりたい、というわけでもない。

「どんなわたしも受け入れたい…」そんな風に聴こえてきたけど、どうかな?


→ほんまに。。。それです。。。

そこで気づいたのは、自分自身にジャッジをしているということ。SNSとかで子供とオンラインで料理したり、クラフトしたりしている他のお母さんたちを見ていてすごいなぁと思う一方、わたしはそれをしたいと思えなくて、「そんな母ってどうなの?」って。

わたしはあんな風になれない、でもあんな風になれたら、うちの子供たちもどれだけ嬉しいだろうか… 自分のやりたいことばかりをしたいという母、それってどうなんだろう… でも、これがわたし。わたしはわたし、そのまんまでいいんだよって、まるごと受け入れたい… 

そう、そんな痛みもあるんだ。。



自由
選択
自主性
を大切にしているのかなぁ?

疲れているかんじ?
気が重い?
でも突き放せない。
受け止めてあげようという気持ちが強い。
ちょっとイエスマンになっているような感覚?

NVCをやっているからこそ、突き放せない、なんとかしてあげたいってかんじなのかなぁ?

→ わぁーーーー。意識してなかったけど、きっとどっかでそのNVCをしているからっていうのあるわ。無意識レベルである。

そうそう、娘の心のサインを見逃しちゃいけないって思っていて、今はそっちを受け止めてあげようっていう気持ちが強いんだ。でも自分も余裕がなくなってくるし、続かない。あそぼーと言われたときに、心が伴っていない「いいよー」を繰り返していることへの、もどかしさや悲しさ。。


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〈③共感グループで伝えたとき〉

尊重してあげたいし、尊重してほしい
自分のスペース、空間
お母さんの気持ちも理解してほしい
自立
休息

が、聴こえてきたよ。

みゆきさんにとって、お子さんはかけがえのない宝物なんだね。

→うんうん、そうだ。だから彼女をなんとかしてあげなきゃ!って必死だった。でもそれと同時にわたしはわたし自身の存在や命も大切にしたい願いがあって。。

お母さんにも好きなことがあって、それをする時間がとても大切なんだっていうことを理解してほしい。。それができないと心が疲れてしまう、辛くなってしまうというのも知ってもらいたい。。そして疲れているので休みたいってのもあるな。。


こうしてやりとりをしてさらに見えてきたのは、

「バランス」
「公平」

というニーズ。

遊ぶにしても、わたしも自分をケアするための時間を必要としていて、そこにバランスや公平さが満たされていない。

日頃からわたしがバランスや公平さや配慮、というニーズをとても大事にしている分、そこが叶わないとどんどん疲弊していくんだなぁって。

でもそれを3歳だから… と終わらせるのではなく、何歳であっても同じ人間であり、同じ命である。彼女のこともわたしはそう見ていたい。

だから、どのような言葉だと届くかな?と考えて、伝えていきたいな。


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はぁーーーー出し切った♡

出し切りました。

もう、この話は今のところ共感をもらわなくても、大丈夫なところまで持ってこれました。(また3日後嘆いてたりして笑  そのときはまたそのときに向き合おう)

これ、自分だけで自己共感や探求をしていても、わたしはまだまだココまで言語化もできないし、こんな奥底までつながることはできない。

だから、

①声に出して、受け止めてもらい、感情やニーズに名前をつけてもらうこと。
②共感をもらうこと。

ほんっと、この共感の旅路の途中で出会う人たちや、みなさんの言葉のパワフルさにはいつも感動しています。


朝一、本当身体が重かった。旦那が心配するほどで、顔も疲れていて、会話をしていても声もあまり出ていなかったらしい。

でも一回目・二回目と一気に身体が軽くなり、寝る前には超自然な笑顔でおやすみー♡
三回目は朝5時だったのにとても軽い身体でスッと起き上がることができた。


共感の旅ってパワフルだなぁ。
いや、もうほんとに。

聴いてくれて、受け止めてくれて、一緒に探究してくれた5人の大切な人たちに、感謝、感謝♡

本当にありがとう♡

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡