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「身体は心の家。家がボロボロだと心は安心して住めない。」

一人アウトプットフェス開催中♡

今日はソーヤー海くんのセッションをアウトプットしていきます。

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海くんは目を合わせて喋ると、その瞳に吸い込まれそうになる人。笑
またいつかのリトリートで会えるかなぁ。

では、早速アウトプットフェスにいってきます!


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「こんなにやさしい世界があるんだ!」


海くんは、NVCの合宿に参加したときに、みんながあまりにも無防備な表現をしていて、そこに美しさを感じた。

それができる「土壌」、あたたかい「器」があった。

常に社会の中で評価される環境だと、それはなかなか難しい。

NVCの場では「迷惑でもいい、迷惑なら言ってくれるだろう」っていう信頼と安心。これがすごく衝撃で貴重な体験だった。


でもNVCを深めていく中で、社会変革にも動き出した海くん。

人の価値に格差がある社会。

ある人のニーズは大切で、
ある人のニーズは大切ではないことがある。

得している側がいるということは、
損している側もいて、

「そういうもんだよね」

って流してしまうと、
その一部の人たちにすごく負荷がかかってしまう。

そんな世界は願っていない。
でもその構造の中で生きていて、意識はしていなくても自分がその構造を維持している一人でもある。

日本の講演会では、ステージに立つ人は男性ばかり。そして女性は司会が多い。

男性がステージに出やすくて、発言するパワーがある。それが当たり前だと流してしまうと、そのパワーの格差を維持してしまって、聞かれる声が男性の声が多くなってしまう。そこに自分も加担している、と気づいた。

だから、自分にパワーがあるということを自覚して、講演会で話すのはいいけれどもそこに女性がいることをお願いする、もしくは僕の代わりに女性を呼んでください、とパワーのバランスと取ろうとしたりしている。

若者や女性に自分の持っている資源を分かち合う、ということを意識している。

それが自分なりの冒険だと。


特権は意図して持っているものではない、簡単に手放せるものではないし、個人の葛藤で手放しにくいものもある。(国籍、白人、男性とか)

でも海くんは男女の格差に痛みを感じていて「本当にみんなが大事にされる」という世界を願っているし、目指している。そのために工夫しているんだと。

そのためにNVCを探求しているんだけど、NVCは、個人の変容・社会の変容への働きかけへの道である。


ただ、パーマカルチャーを伝えたり、コスタリカのジャングルに住んでいた海くんは「NVCは自然と切り離されているなぁ」と感じるようになった。

生きるために絶対必要なものって、食料・水・酸素。この三つがないと人は死んでしまう。

もちろん、共感・自己表現・コミュニティなども生活を豊かにするものすごい大切なニーズ。

ただ、自然とは切り離された密閉空間の部屋の中で「怒り」を消化していたりして、そこに違和感があった。不自然で健康的じゃない体験を何度もしてきた。


身体のニーズ。
身体の健康の維持。

身体は心の家。
家がボロボロだと心は安心して住めない。


だから、自然とか暮らしに根付いたNVCを追求するようになった。特にコロナで食料調達が難しくなると、共感だけじゃ乗り越えられないものがある。

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確かに。

コロナの時こそ共感をって思っていたけれど、わたしが共感を開いている場にきてくれる仲間たちは、家もある、食料もある、ベースは満たされている、そしてパソコンもある、だから集まれている、ということに気づく。

では、それが届かない人たちにはどうしたらいいんだ?と問いを持って帰る。

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(つづき)

食べ物がない焦りやストレスは共感するパワーもなくなる。資源の取り合いになりやすくなる。

自然からは、
言葉にすることのできない栄養がある。

自然の中でワークをする。
自然の循環の中でNVCを実践する。

(だから長野のリトリートでは外でのワークがあったのかー!と今さら。。笑)



今、人々は【分離の世界】で生きている。
これが根源的な問題。

『自然との分離』

「自然と調和する」と言ったりするのは、自然と人間を分けてしまっているから。人間が不自然な存在なものになってしまっている。

だから「テクノロジーを使って一緒にしよう」とかに必死になっている。

『自分との分離』

そもそも自分が何を思っているのかわからない。自分と切り離されてしまっている。


『社会との分離』

ある場所が怖くなると、その場所から離れたくなったり。


わたしたちは、分離のストーリーの中で生きている。


では、どうやって再びそことつながるか?
その冒険をしている。

ジョアンナ・メイシーのつながりを取り戻すワークとか瞑想したり。


元々人間は自然の一部であって、自然を敬っていて【共生の世界】だった。

数千年前から支配をする仕組みが流行った。
これはすごくパワーがあり、繁殖していける、新たな資源を手に入れられる。男性が上にいて、下に女性と子供、その下に動物みたいな、ものすごく抑圧的。


テストで思いやりのある子が、勉強な苦手な子を手伝おうとする、そのとても優しい思いやりの行為が罰さられる世界。カンニングを手伝った犯罪のように扱われる。

個人の努力が弱肉強食の世界で一番大切なもの、あなたの実力次第、という孤立化していく世界。

困難になったら助け合おうっていう世界もあるけれど、今はまだ「それは個人の責任でしょ」となる。そこに必死にみんな対応してきているんだけど、多くの人たちが苦しんでいる。

「みんなを助けるなんてできない」という前提の中で、本当は助けたいんだけど・・・と、どこかで切り捨てていく。


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胸が痛い。。。

わたしもほんのココ数年前までそう思っていた。。

「みゆきは働かなくていいね」という声が聞こえると、夫に出会うためではなかったけれど、行動を起こしていたから働かなくても暮らしていける人に出会えたんだよって思っていたし、

物乞いを見かけても「努力して仕事見つけようとしていない。あげたらますます働かなくなる。」と思っていたし、

手を出す彼を選ぶ、人たちに選ばなければいいのに?と思っていた。

まさに「個人の問題でしょ」という考えだった。

でもそこには、人それぞれの育った環境や背景がある。わたしはそこを見ようとも知ろうともしていなかった。ずっと長い間。

だからといってそれもわたしのせいではなくて、

「自分のことは自分でしなさい」
「人に迷惑をかけない」
「人に頼るな」
「誰に頼らなくても生きる力を身につけなさい」

そんな社会のシステム中で生きていると、自然とそういう考えになる。人は人、わたしはわたし、みたいな。

NVCに出会ってからガラリとそこは変わったし、コロナでますます「個人の問題」という生き方に限界がきているというのも痛感したし、時間はかかったけれど、ほんと気づけてよかったなぁって。

では、どうやって共生の世界に戻っていくの?


つづきは明日にします。

では、ハートフルな一日を♡

また明日ココで♡

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(追記)

つづきを書きました。


循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡