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平和な社会をつくるためには、とにかく『自分の心の平和』を育てていく必要がある。

アウトプットフェス開催中。

今日は、ソーヤー海くんの「ガンジーの氷山」のアウトプット最終回。

(一回目と二回目↓)


では、早速書いていきます。

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ちょっと昨日書いた海くんのこの言葉↓に自分の体験を追記。

パートナーシップでも一緒。

「この人はこういう人だから、これを言ったら・・・」

この状態では好奇心が失われてしまって、つながりができにくい土壌ができている。

知らないことがまだいっぱいある、そう思うことで相手を知ろうとするつながろうとする努力が生まれる。

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わかる、とってもよくわかる。

わたしも、この人はこうだからわたしがなに言っても「いや、それは違うやろ」ってまず否定的な言葉で返ってくるし、マウント取られて悲しくなるだけだし、わたしのそのまんまを受け止めてもらえないってパートナーに対して思っていた。

「できるだけ言わない」ことを選択し続け、相手から傷つくような言葉が返ってこないような言葉を選んだ。それでも望んでいないことが返ってきた時は「やっぱり言わなきゃよかった… はぁ… 声にするのこわい…」って後悔する。

好奇心を失い、つながりをつくれない土壌がどんどんできていく。

今でも、その気持ちがなくなったわけではない。

でも「自分の声も世界にとってギフトである」と思えるようになってきているから、減ってきている。

どんなことが返ってきても大丈夫、わたしの声は必要とされているから声に出したいと思った時は出したらいい。そう思えた時、夫から返ってくる言葉も避けながら(笑)逃げずにその場に留まれるようになった。

(だからといって、誹謗中傷もいいとは思えないんだけど、でも、世界中の人がその誹謗中傷の言葉そのものではなく、奥にあるニーズで聴くことができたら、そのニーズに寄り添う言葉をかけてあげることができたら、社会は大きく変わると思っている。そう思うとやっぱりNVCってすごく世界にとって必要だ。)


では今日のところを書いていきます。

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The Gandhian Iceberg
ガンジーの氷山

(↑海くんの動画もついているのでよかったら♡)


時間ができた瞬間に、心が動くようになる。
余裕が出ると、痛みに共感できる。

平和な社会をつくるためには、とにかく自分の心の平和を育てていく必要がある。

余裕
燃え尽き
怒り
苦しみ
痛み
恐れ

すべて自分の中にある。
外の世界を通して変えるのはなかなか難しい。

徹底的に自分を観察していく。
自分の心の循環、癒し、変容。
自分の活動の大部分は自分の心を育むこと。



焦って平和な世界を作ろうとしたり、恐れから持続可能な社会を作ろうとしても、結局広がるのは「焦り」と「恐れ」。

それが広がっても、望んでいる世界にはならない。

だからといって「焦り」や「恐れ」が悪いと思ってしまうと、自分をジャッジして自分と分離が生まれる。

「あー焦ってるな」「あー恐れている」と自分に寄り添いながら、平和な落ち着いた心になると、また「じゃあ自分ができることはなんだろう?」と思うことができ、外の世界へちょっとずつちょっとずつ働きかけられる。

子育てで自分に余裕がないときに「自分がしてほしい」ということを強制してしまう。そうなると、

子供たちの中にもそういう世界が生まれてしまう。強いやつが余裕がないと自分の身の安全が守れないくて、従わないといけないって感覚になる。

子育ても立派な平和活動。
親との関係も平和活動。

それにNVCが有効な道だと思っている。


自分が願っている世界・暮らしを、自分でつくっていく。理想を現実にしていく。

願っている世界をちょっとずつ取り組んでみる。自分が信じている世界に水やりをはじめる。自給自足からは程遠くてもハーブだけは育てる!とかね!


共同体として生きる。

みんなと資源を循環し合う。
みんなの子供のように子育てをする。
個々に分離している世界に希望を感じない。
すごい大変だけど、挑戦し続けること。


暴力的な構造は愛の世界を信じている上、流すことはできない。

権力に抵抗をして、悪い政府を転覆する、というエネルギーではなくて、愛に突き動かされて、思いやりがありすぎるから、この暴力的な状況を放っておくことができないというエネルギーで動く。

先生が子供の価値を評価する、点数をつける、というのは子供がそれによって自分の価値を決めてしまう。これは先生にも負担だし、子供にも負担だし、誰も得していない。

そこに「おかしい!」というだけじゃなくて、その暴力的な構造は放っていくことができないから小さなムーブメントを起こす。

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自分で家や食べるものを作れるようになると、そこが生きるためのベースにあるものだから、安心感とか心の平安、余裕が生まれる。


お金だけで暮らしていると、お金次第でニーズが満たされるか満たされないかが左右される。そこをお金だけにならないように分散する。お金が減ってもなんとかなるやっていうくらい。

15年後、100年後のために何をすることができる?
と時間の感覚を変えてみる。

今すぐ平和に!とか、今すぐ気候変動のこと!差別をなくす!とかはしたくなるけれど、物事・構造的なことはそうすぐには変わらない。

実験していくことの大切さ。
どうやったら共同体ができるか。

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ここまで、ソーヤー海くんの「ガンジーの氷山」のセッションでした。

書いてて泣きそうになる。
海くんの優しい瞳や、その瞳の奥にある今までのたくさん痛みや、その美しい心や、在り方、心から溢れ出ている言葉たち。

このガンジーの氷山というセッションは、長野のリトリートでも広島のリトリートでもあったんですね。

わたしは長野で受けたんだけど、当時の日記読んでいたら・・・

ぜっんぜん理解できていなかった。。。
恥ずかしい!笑

正直、「NVCを深めたーい♡」という思いだけで参加したあの時は、「社会変革」とか「社会の構造」とかっていう言葉が出てきて、ビックリしたし、ビビった。全然よくわからなくて、小さくなった。

NVCのリトリートでどうして社会のこと?構造?なんか、むずいんですけど…って一人困っていた。そして広島リトリートに行って、さらに社会変革メインの話でわたしはますます小さなり、終始ぶっ倒れていた。笑

でも、海、よろこんでください。(今さらだけど、普段、海って呼んでいるのでこっちの方が馴染みがある)

わたし、今、海の日本語が聞き取れるよ!笑
そして理解できるよ!
全部、スッと入ってくるよ!!

超お祝いだーっ♡♡♡

あー、だからNVCは社会変革とつながっているんだって、やっと、やっと、やっと、牛歩よりも遅いわたしの歩幅で、わたしのペースで進んで、今すごくわたしの中で、全身で、全心で、一気にすべてが共鳴し合い、つながり、震えています。

それでも社会変革に特化したNVCのセッションとかは、まだまだ難しいこともあるけれど、ものすごく目の前が開けたような感覚。

やわらかさと、強さと、こわさも、ワクワクも、時々撃沈しつつも、すべてを受け入れた心で挑戦していけそうな感覚。


あぁー、今広島リトリート行きたーい!笑
もうちょっと楽しめたはずー!笑

でもあの撃沈の一週間があったから、今の自分がいる。行ったことは全く後悔していなかったけれど、今は心の奥底からワクワクするよろこびの体験となっている。

それもあの時の広島リトリートのメンバー、一人一人がいてくれたおかげ。

あの時、

「わからないよー」
「難しいよー」
「辛いよー」
「帰りたいよー」

と嘆きっぱなしだったわたしを、支え続けてくれた人たちの顔を思い浮かべ、感謝の気持ちでいっぱい。


そんな感謝をココに置いて、今日はここでおわりにしますね。

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では、みなさんもハートフルな一日を♡

Moved by love.

また明日ココで♡

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡