こじれているところには【情熱】がある

オンライン授業のこと、先日こんなことを書きました。

この中の課題で、ギブアップしそうな自分への手紙というのがあった。

——————————————

〇〇〇〇へ

あなたは今はまだ_____ができないよね。

でもできるようになるって僕はわかっているんだ。
だから、もしギブアップしてしまいそうになった時、_______って伝えるからね。

You can do it !

——————————————-

というやつ。

息子が書いたことは、ローラースケートができない自分へ。

「だから、もしギブアップしてしまいそうになった時、_もう家に帰ろう_って伝えるからね。You can do it ! 」

ちょっとっ!!!笑
最高だなっっっ!!笑
めっちゃ癒されるんですけど♡

そうだよ、わたしもそういうときは家に帰りたい!!もう一旦放り出してゆっくりしたい、ふてくされて床にゴロゴロしたい!「一回帰ろうか」って言われるとホッとする!そしてまたやろうって思ったときにはやるから、わたしの力を、自分の力を信じたいんだー!笑

この課題、おもしろいなー自分を励まして奮い立たせるんだなぁーって思って眺めていたんだけど、息子は違う視点を与えてくれました。やっぱり子供って最高だ。

こうある「べき」を取っ払ってくれる。

あー、息子に興味津々。感謝。
あ、これはわたしの投影か?笑
母の教育やったらすまん♡
大丈夫♡ 母、人生楽しんでるから♡笑

そんな息子への好奇心に駆られているときに、ちょうど聴いていたのは、

【好奇心】を持ちながらつながる。

NVCフェス第3弾:

【世界を拓く問いの力ー好奇心への誘い】

というセッションでした。

アウトプットをしてみます。

今回はワークやガイド瞑想などの時間が多かったので、印象に残った言葉たちをわたしの言葉も含めて書き留めました。


——————————————


NVCの創始者マーシャルは、こんな二つの「問い」からNVCを探求し始めることになった。

①「なぜある人は他者が苦しむことを楽しみ、暴力を楽しめるものにするのか?」

そしてその一方で、

②「同じ社会にいても、その反対に誰かの幸せに貢献することを楽しむ人がいるのか?」

この二つの問い、疑問にどんな可能性があるのか?
マーシャルはここに好奇心があった。


の問いは、
支配の構造・懲罰的世界観の中でよく使われる言葉。

「べき」
「ねばならぬ」
「正しい・間違っている」
「命令だから」
「みんなが言っているから」

(選択肢が狭まっていく、疑問を持たなくなっていく。)

「べき」や「正しい・間違っている」という言葉の、あなたのその奥にあるものに出会いたい。だから、それらの言葉の代わりに、

「あなたの内側でなにがいきいきしていますか?」
「なにがあなたの人生を豊かにしますか?」

と問いたい。

力の支配から、
つながりからの創造へ。

「やらねばならない!」
(義務・罪悪感・強制・道徳)から、
→大事なものを大切にしていく
(内発的・自発的・創造的)へ。

不安を煽ったり、脅したりすることから・・・
共感的つながりの構築へ。


【何が正しい、間違っているかで話をしてもつながれない。】


それでは自分の望む世界にもつながれない。
語りかけたい人たちには会ってもらえない。
自分もどんどん消耗する。

このように、
こじれているところには情熱がある。
そこには大切にしたいもの、愛がある。

だから、

「わたしはなにを大切にしたいんだ。」
「あなたはなにを大切にしたいの?」


とお互いの奥底にある真実・本物さから、話し合いを始めることが可能性を広げる。

評価や批判を溶かすものとして、【好奇心】がある。

決めつけの反対は決めつけないではなく、自分にも相手にも評価や批判をするのではなく、好奇心を持つこと。


子供は「どうして?」「なんで?」とたくさん聞いてくる。そこに聞いてくれる人がいたらますます好奇心が広がる。

しかし、

「そんなことどうでもいいやん」
「子供は気にせんでええの」
「そんなこと考えても意味がないよ」

などと言われてしまうと、

「こんなこと尋ねちゃいけないんだ…」
「これには意味がないんだ…」

問いを持たなくなる。

好奇心を育むには、問いに耳を傾けること。

もちろん、これは大人も一緒。
誰かに耳を傾けてもらえて、

「わたしが話していることは意味があることなんだ。」

と思えることはとても生きる力になるし、自分にも、相手にも好奇心が持てるようになってくる。

【自己批判】をすると、
自分に好奇心を持つことをやめてしまう。

自己批判はときにはすごく強烈で、
自分自身へ暴力的であったりする。
自分への好奇心を失っていく。

自分自身を責めていることに対して、
好奇心を持ってみる。

自分自身を批判する声とつながる。

—————————————-

このあと、自分自身を批判する声に気づき、つながるワークをしていたんだけど、今回は、広島リトリートでやった「自分の声を聴く」というワークをココにシェアしておきます。(今、読み返しても泣けてくるな。。自分の心にハグ。。)


わたしが今回のセッションでとても心に届いたのは、

【こじれているところには情熱がある】

という言葉。これは沁みた。。。

子育てにこじれている、
パートナーシップ・恋人とこじれている、
親との関係にこじれている、
仕事のプロジェクトがこじれている、
活動をする中で仲間とこじれている、

そこには【情熱】があるから。

本当だよなぁーーーーーと思った。

だって、情熱がないとそもそも興味がないわけだし、こじれることもない。

あなたのこじれている事柄は何ですか?
そこにはまだ自分では気づいていないかもしれない、とてつもない大切なものが奥にあるんだと、わたしは思っています♡


では、こじれいてる事柄に想いを馳せてみる一日を♡


また明日ココで♡

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡