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平和

悲しい話は消えない。誰かが新しい命に喜ぶとき、どこかでは失われた命に泣いている。死にたいと思いながら生きる人がいる。生きたいと思いながら死んでいく人がいる。寒さに凍える人もいれば、暖かい家の中で苦しむ人もいる。どんなに社会が発達しても、世界平和はやってこない。平和はどこにあるのだろう。

とある友人に、不安や心配になるのはサタンの仕業だと言われた。人間が本質的に悪い存在でないのなら、サタンに憑りつかれてしまっているせいで悪事を働いたり、動揺したりするのだと。根っから悪い人間なんかいないとわたしも信じているけれど、個人的にはサタンのせいにはしたくないなあ、なんて思った。サタンがいれば話は単純なのに。サタンさえ「やっつけて」しまえば、世界も心も平和になるんでしょう?むしろ、いたらいいのに。悪いことを全部背負ってくれる存在が。平和はその先にあると確信出来たら、幾分か救われる人だっているに違いない。

でもきっと、サタンはいない。代わりにいるのは、社会の仕組みや、みんなのちょっぴり冷たい心から生まれた、本当に悲しいことをしてしまう人間だ。わたしとあなたと、あの人と、何ら変わりのない、人間なんだ。

人間の冷たさは、どこからやってくるのだろう。気晴らしの散歩で、ふと気づく。こんなに多くの人がいる東京だけど、すれ違っても、隣に座っても、ちっとも目が合わない。あのお婆さんが躓いたら、わたしが買い物袋を落としてしまったら、手を差し伸べてくれる人はどのくらいいるかしら、なんて考える。誰だって愛する人には優しいに違いないんだ。わかっていても、ほんの少し寂しさを感じるのは、まだ壮大な世界平和なんてものを夢見ている証拠かもしれない。

夕方マンションに帰って、どこからかご飯の匂いがしてくると、一瞬で幸せになる。世界は冷たくて悲しいけれど、ここには小さな平和があるのだと安心する。

平和というのは、朝日のような輝きではないような気がする。ほんわか暖かい、ロウソクの小さな灯火のようなものなのかもしれない。暗く寂しい世の中を明るく照らし続けることは難しくても、せめて私の灯火を失わないでいたい。風に吹かれても消えないように、灯し続けたい。そこからじんわり、誰かに光が広がっていけば、いいなと思う。

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