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ぬるま湯の人生が一番かわいそうだと私は思う。

人生がまぁまぁ悪くなく、そこそこ豊かで、でも少々不満もある。総じて言うと中の上くらい……

そんな人生は私は嫌だ。私の両親が典型的なそんなタイプだった。

お金も特に困っていない、かと言ってものすごい大金持ちという訳でもない。買いたいものは買えるし、ちょっとした贅沢はできる。老後のお金も心配ない。

人間関係で大きなトラブルもない代わりにいつも世間に足並みをそろえ、後ろ指さされないよう生きる事に神経を注ぐ。多数決で負けないほうの意見を採用する。

お土産をもらったら忘れずにお返しをしなければ。年賀状も来た人には忘れず出さなければ……

両親は両親なりに自分たちの人生に満足しているように見える。

だけど、りんご探偵🍎的視点から言ったら一番、夢の出口に遠い人生に見える。

私の話は、両親には1ミリも通じない。おそらく何を言っているのか全く意味がわからないのだ。

それどころか、変な宗教にはまったんじゃないかと心配される。

でも、これがこの世界の99%の人のスタンダードなのだろう。

逆に私の言っている意味に共感する人たちは、ある意味周りから煮え湯を飲まさたり、熱湯を掛けられてきた人たちだ。

ぬるま湯でぬくぬくして共感してくれる人を私は知らない。


私のこれまでのパターンは、自分はしていないのに身内のしたことで何度も煮え湯を飲まされてきた。

自分の煮え湯なら仕方ないが、身内とはいえ他人のやった言動によって飲まされる煮え湯ほど、腹の立つものはない。

自分のケツは自分で拭けよ!何度心の中で叫んだことか。

友達ならブロックすればいい、会社なら辞めればいい。

でも簡単に縁を切れないのが、家族なんだろう。

簡単に逃げられないように、家族から煮え湯を飲まされるよう自分で、設定したんだろうな。

だけど、これだけは言える。

この世界は夢である。更に言うと快楽と苦痛をサンドイッチにしてカムフラージュされた悪夢である。出口があって出た先が実在する世界だった。

この事実に辿り着けたのは紛れもなく煮え湯を飲まされてきたからだ。

だから、今となっては煮え湯を飲ませてくれた家族に「私にたくさん煮え湯を飲ませてくれてありがとう、あなたは私の命の恩人です」と感謝している。

そうでなければ、今も夢の中で出口の存在すら知ることがなかっただろう。

この夢の中だけが唯一の世界だと思い込み、この夢の中で少しでも上手くやろうと右往左往していたに違いない。


いま煮え湯を飲まされて苦しんでいる人に、私はエールを送りたい。

渦中にいる時に、わからないのは痛いほどよくわかる。

だけど、すべての出来事は完璧な必然でしか有り得ない。それだけを忘れないで希望の光を捨てないで欲しい!

間違った場所から、出ろ出ろとサインが送られているのだから。

サインがなければ、最高レベルの詐欺集団が作ったようなこの世界を見破るのは無理に等しいとよく思った。

ぬるま湯に浸かり、生涯、真理を探すとっかっかりにすら触れられずこの生を終えてゆく人も多いだろう。貴方はそっちのほうがいいだろうか?

私は煮え湯を飲まされ、熱湯をぶっかけられたとしても、結果的に夢から叩き起こされる人生のほうがいい。

今は信じられなくても、すべてが明らかになった時に悪者と思っていた人にあなたは感謝する事になるだろう。何かがいま、胸の奥で響いている人はその日がそんなに遠くないだろう……

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