コーヒーを飲まない大人はなんとなく肩身が狭い。

「大人はコーヒーが飲める」
「大人はおいしいコーヒーが好き」
「大人になったらおしゃれなカフェ巡りをしてお気に入りのコーヒーを見つけたい」
幼い頃の私はそんなことをうすらぼんやりと考えていた。

が、現実は全く違った。

アラサーになってもコーヒーは一向に飲めるようにならない。
美味しさなんて全く分からない。
(どこかにお邪魔した際に出されたら飲むが、好んで自ら買うことまず無い。)

大人になると、どこに行っても当然のようにコーヒーを出される。
しかも、夏でもホットを出されることが多い気がする。
紅茶の選択肢がある場合もあるが、ない場合の方が多い。

「コーヒーでいいですか?」と聞かれて断ることもなかなか難しく、
「あ、はい」と平静を装って答えつつも、「ちゃんと飲めるかな…」とソワソワしながら、
ミルクとシュガーをありったけ入れて飲んでいる。
(ミルクはコーヒーフレッシュじゃなくて本物のミルクだとめっちゃ嬉しい。)
でもたまに、当然のようにブラックで出されて、内心震え上がりながら飲むこともある。

ちなみに私がどのくらいコーヒーに興味がないかというと、
昔、豆を売っているカフェで働いていたのにも関わらず、
結局、辞めるまで全くコーヒーの種類も味も分からなかったというほどである。

酸味があるとかないとか、濃いとか薄いとかそのくらいは分かるが、
フルーティーとかキャラメルっぽいとか言われてもわからない。

コーヒーではなく、カフェラテなら飲めるが本音を言えば
カフェモカとかキャラメルラテの方が圧倒的に好きである。

コーヒーを飲めないタイプの人間には特有の疎外感がある。
コーヒーをあまり飲まない人なら分かるはずだ。

映画やドラマや小説で出てくる良い感じのカフェとか、
最近流行りのカフェ巡りとか、脱サラしてカフェ始めますとか、
理想の休日は朝ゆっくり起きて淹れたコーヒーを飲みながらまったり、とか
少し話をしたい相手を誘う口実に「コーヒーでもどう?」とか。

とにかく何につけても、世の中において「いい感じ」のシチュエーションにはコーヒーがついてまわる。

紅茶とかジュースとか酒とか水とかその他のドリンクではなくて、
「コーヒー」なのである。

別にコーヒーじゃなくて紅茶でも良いのだろうが、
そうは言ってもやはりそういう時に出てくるワードとしては「コーヒー」。

これは、コーヒーを飲まないタイプの人間にとってはなかなか寂しいことである。

世間には
「おいしいコーヒーの淹れ方」
「コーヒーがおいしいカフェ」
「お豆にこだわりのあるコーヒー屋さん」
「コーヒーに合うお菓子」
「オシャレなコーヒーグッズ」
「魅力的なコーヒーの世界」
こんな言葉で溢れかえっている。

しかし、コーヒーとあまり関わりのない私には触れることのない世界なのである。切ない。

触れようにも、触れられない。
何度飲んでもコーヒーはあまり気が進まない。

10代の頃は「大人になって、働くようになったら…」
サービス業をしている頃は「デスクワークになったら…」
飲めるようになるかと思っていた。

しかし、デスクワークを始めた今も全然飲めない。

先輩や上司は仕事中に「コーヒー買ってきます〜」とか言って、
近くのカフェやコンビニでホットコーヒーやアイスコーヒーを買ってきて、
PCをカタカタしながら、カッチョ良く啜っている。
(関係ないが、私は原田宗典さんのエッセイが好きだ。)

それで私も近くのコンビニでアイスコーヒーを買ってみたりするのだが、
やはりなかなか飲めず、大抵、氷が溶けきって、勿体無いので最後に無理して一気飲みするパターンが続いている。

我ながら、何をしているのか分からない。

というか、そもそも私はコーヒーを飲んでも眠気が覚めない。
むしろ眠くなるまである。理由は不明だ。

ちなみに最近判明したことだが、アメリカーノは飲める。
薄いコーヒーなので濃いめの麦茶のような感覚で
スイーツと一緒に飲むと良い感じになる。
ドリップコーヒーはまだあまり得意ではない。

アメリカーノに挑戦した理由はK-POPにハマり、韓国はアメリカーノが主流だと聞いて、
ミーハー心で飲んでみたら、イケた、という経緯である。

新大久保にアメリカーノがめちゃくちゃ美味しい店があるのだが、店名を忘れた。
本格的なコーヒーメインの店ではなく、スイーツの店だったはず。

ま、そんなところである。

別に無理して飲まなくてもいいのは分かるが、
飲めたらもう少し世界が広がった気がする。

いつか「おいしいコーヒー」とか「コーヒーに合う」が理解できる日を夢見て、
今後も「コーヒーでいいですか?」に「あ、はい」と答えてしまう日々が続くのだろう。

では、また。

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