旅立ちを見送るのではなく追いかけて
【文字数:約1,000文字】
たまに眺める自分の個人ページより、はじめましての自己紹介からチェックしていた人が退会していたと知る。
とはいえ4月から投稿が減っていたし、文面に漂う印象からも予想していたので、それほど驚きはない。
最後に自らの手でアカウントを消したのであれば、この世界のどこかに生きているという証明であり、むしろ流れ星のような瞬きを観測できたことは嬉しく思う。
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私自身、それなりの数のアカウントを作っては消し、あるいは放置しているけれど、なるべく自分の手で引導を渡すようにしている。
いつかサービス終了などで消えるだろうし、1つのアカウントが放置されたところで、サービス自体には何ら影響を及ぼさない。
Twitterでは亡くなった著名人のアカウントが残され、届かないと分かりながらファンが声をかける様子は、墓前で故人に語りかけているのと似ている。
だからこそ自分が生きている間に、最後のメッセージとして退会や消去をするのが望ましい気がする。
アカウントの復活を願う人にとって、本人が行方不明のまま見つからない状態は希望を与えもするし、同時に残酷だとも思う。
続きが気になる作品を調べたら、続刊していないと知って落胆したことは数えきれず、作者の動向すら分からない場合もある。
筆を折ったのか、あるいはと考えたりするけれど、残念ながらどうにもならない。
かろうじて作者の生存を知ることができても、悔しい胸の内を吐露している姿を見るのは悲しいものだ。
ただ、過去に1度だけ打ち切りから復活した作品を知っている。
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たまたま手に取った作品を気に入って続きを調べると、今や主流になりつつあるwebでの連載が途絶えていたものの、作者のアカウントは動いていた。
どうにも気になって面と向かって作者と話せる機会を狙い、著作を持参して訊ねたのは迷惑だった気もする。
ただ、明確な打ち切りではなく中断という形であると知り、その後に続刊が決まったときは嬉しく、多少なりとも良い方向に動かせたのではと信じている。
一方で注目していた作家が有名になりながら、若くして亡くなってしまうこともあると知った。
どこか彼らを特別な存在であるように思いがちだけれど、病気や会社の倒産といった影響を受ける作者もいるし、私たちと同じように日々を生きている。
私は完全な善人とは言えない。
それでもせめて良いと思ったら推していくことで、誰かの幸福につながればと願っている。
なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?