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構想 迷走 どうしよう

【文字数:約1,000文字】

 次の話を考え始めて、だいたい2ヶ月くらいが経った。

 資料になりそうな本を読むほどに、この話は面白いだろうかと疑問が湧いて、そもそも形にする以前の問題であるような気がしてならない。

 一方で、気まぐれに思いついた「#宇宙SF」っぽい話は広がりそうな気配がするけれど、ファンタジー路線でないものを考えたくもあるわけで。

 そうした迷走を続けているうちに、あるきっかけから展望が開けたりするのを待つのは、良い写真を撮ろうと模索するのに近い。

 職業カメラマンでもない限り珍しい被写体を探すのは限度があるから、構図や切り取り方を工夫するのもまた、文章の創作と似ているような。

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 最近よく思うのは、私は文字という砂を水で練ったり型を使って固めたりするなどして、小説と呼ばれるものを作っているのかもしれない。

 文字そのものは何処にでもある、ごくありふれた素材に過ぎないし、絵画の黄金比みたく一定の美しさを得る型が、うすぼんやりとあるように思う。

 その黄金比、あるいは鉄板などと呼ばれる構成から外れるのは挑戦でもあり、勝算の分からない博打にもなり得る。

 序盤で主人公が猫を救う場面を描け、という話をどこかで読んだけれど、それには読者を物語に引きつける効果があるらしい。

 まったく救いようのない不条理小説という種類もあるので、どのような話にしたいかによると分かりつつ、私としてはコメディ寄りでありたいと願っている。

 笑いが万能だとは言わないけれど、筆者を知らない初対面な人との距離を縮めるなら、笑いほど相手に響くものはないと思う。

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 もちろん笑いは形を変えた暴力にもなるし、外面および内面の性別や性的指向、人種、民族など、ありとあらゆるものに注意を払うことが、すべての表現者に求められている。

 こうしてWebの自由に閲覧できる場に投稿する以上は、反論の矢などが飛んでくる可能性があるわけで、公開前後に3回は読み返して修正をかけたりする。

 気にしたところで大概は徒労に終わるけれど、自分が書いたものを読み返すのは今につながる基礎を作った。

 私を含めて、同音の熟語を間違えている場合があって、特に小説だと酷いノイズになってしまう。

 受け取ったラブレターの漢字が間違っていたら、きっと心に響かないどころか腹が立つかもしれない。

 とはいえ文字という砂を固めた文章には、人によって様々な想いが混じることで、まったく同じ文章になることは皆無だと思う。

 私が望むのは触れると壊れてしまっても、ぼんやり心に残る文章を書くことだ。


なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?