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あなたの死を願うから 8/8 《短編小説》

【文字数:約4,600文字】
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 真意を測りかねている表情の魔女が、思い出したように指先で目尻の雫を払う。それでも言い返してこないので、より簡潔に力を込めて声にする。

「僕があなたの死を願います」
「……魔女の死を願うとは、気でも触れたのかね?」

 抑えきれていない動揺の影を、「僕は正気ですよ」と一蹴いっしゅうする。

「あなたが僕に新たな呪いをかければいい。あなたは魔女でなくなり、僕は今までと同じように生きていく。お互いに益のある選択じゃありませんか」

「待て。たしかに私は限りある命を願った。だが、だが君の益は何もない」

「そんなことはありません。僕はこの呪いと一緒に生きていくと決めました。それを教えてくれたあなたに恩返しがしたいんです」

「またここに客として訊ねてくれればいい。そのときは今よりも豪勢な食事をしよう。飽きるまでチェスの相手をするのもいいな」

 魅力ある提案を楽しそうに語ってはいるけれど、瞳の奥にある真意までは隠せていない。

「きっと僕を帰してから、あなたは墓地で石になってしまうのでしょう? それに最後の晩餐だと、あなた自身が言ったじゃないですか」
「それは……」

 始めて魔女の顔に悔しさの色が滲む。続く言葉に詰まる姿は人間的で、やっとその心に触れることができたような気がした。

「……今よりさらに呪いを引き受けたら、君は人間ではなくなってしまうかもしれないのだぞ?」

「僕には失うものがありませんし、何も怖くありません。こういうのを『無敵の人』と言うらしいですね」

 いずれ迎える最後なら誰かを救いたいし、最後のときと相手を選べるのは幸運に他ならない。

「愚かな……なんと愚かなことを。また私に罪を重ねろと言うのか?」

 まるで狂人に向けるような眼差しをきっぱりと否定する。

「これは救済なんです。それに魔女のあなたにしかできなくて、さっきの願いを叶える最後の機会かもしれないんですよ?」

「……私を脅すつもりか?」

 揺るぐはずがない絶対の優位者に問われ、堪えきれずに吹き出した。

「お、脅すなんて、違いますよ! 僕は提案しているだけです!」
「しかし譲るつもりもないのだろう?」
「もちろん」

 即答する小賢こざかしい脅迫者を前にして、恐ろしい魔女の表情もまた少女へと移り変わり、やがて諦めの吐息が添えられる。

「私はとんでもなく愚かな客人を迎えてしまったようだな」
「ありがとうございます」
「褒めてはいないが……まぁいい」

 微笑みと一緒に差し出された手は、交渉の成立を示しているわけではないと思う。それでも前向きに検討してもらえるだけで良かった。きっと指先の動き1つで、脆弱な人間はポップコーンになってしまうだろうから。

 始めとは反対に握手を求められて拒む理由はなく、しなやかだったはずの手を握る。しかし伝わってきたのは石のような硬い感触だった。

「私の方が年長者であることを君は忘れていたな」
「……あなたという人は!」

 すでに魔女の体は石化を始めていた。明るさに乏しい橙色の照明に隠され、気づくことができなかった。魔女の言ったとおりに自惚れていた。

「止めてください! あなたが石になる必要なんてない!」

 無様に懇願しても少女が笑みを崩すことはない。

「もう君には何もできないし、教会に1つ彫像が増えるだけのこと。皆と同じ場所で過ごせないのは寂しくもあるが、心は繋がっている。私たちは魔女だからな」
「そんな聞き分けのいい振りしないでください!」
「理解して欲しいなどと願ってはいないが……おや、案内人が来たようだ」

 視線の向いた先は教会の出入口で、ぼんやりとした銀色の塊が立っていた。それは次第に輪郭を持ち、美しい意匠いしょうを施された甲冑へと変わっていく。

「客人を宿まで送ってくれ。後はそなたの好きにするといい」

 目の前までやってきた甲冑が膝をついて、忠誠を誓う主君を前にしたように頭を垂れる。

「ここで君とはお別れだ。どうか健やかであれ」

 よく分からない祈りを捧げて魔女が立ち上がる。

 それは晩餐の終わりを意味していたけれど、納得できずに出立を待つ無言の従者へと詰め寄った。

「あなたはそれでいいんですか!? どうにかしてくださいよ!」

 すると甲冑もまた立ち上がり、主祭壇へと足を進め、

「え……?」

 風が吹いた。速すぎて何かが突き出されたことしか分からず、胸のあたりに広がる痛みで何が起こったのか理解した。

 背中に抜ける冷たい感触の正体は甲冑の繰り出した刺突で、正確に骨で守られた臓器を貫いているようだった。

 立っていられずに床へと倒れ込み、自分を見下ろす死の案内人に問いかける。

「な、んで」

 魚のように口を開閉させながら吐き出した言葉と共に、ぬるりとした液体が舌を燃やす。たまらず咳き込めば床の上で命が芽生え、すぐに冷えて死んでいく。

 膜の張ったような鼓膜を魔女の怒号が震わせ、わずかに体を動かそうとしたところで、重たい金属の感触があった。虫けら同然に踏みつけられ、標本の針となっていた剣を抜かれる。

 同時に異物がなくなった安堵に向けて、体の内側から何かが漏れ出ていくのが分かった。

 絵の具をまとったような剣を甲冑が構え、突き出す。さっきと違って、ゆっくりとしたスローモーションの動きだった。

 誰かの右手が壁に縫いつけられ、それが魔女だと理解した後に残る左手を短剣が貫く。

「…………!」

 何かを叫んでいることだけが分かる。主祭壇に祀られた裸体像と同じく磔にされている。意外に元気そうな気がするのは、その両手が濡れていないからだ。石化による恩恵なのか分からないけれど、さすがだと感心しているうちに瞼が重たくなってきた。

「…………! …………!」

 励ましの応援もしくは叱責の罵声にも聞こえる。どちらでもよかった。それよりも寒かった。義理の両親が湖で泳いだときも同じだったのだろうかと考えて、急におかしさが込み上げてくる。

 滑り台の先には黒い水面が広がり、もうすぐそこに体が沈み始めるだろう。湯気は見えないけれど温かそうだと思った。きっと温かい。むしろ熱いかもしれない。

 そのとき自分の中で何かが弾け飛んだ。

 鉛を含んでいるようだった瞼は軽さを取り戻し、空っぽになりかけていた体内の密度が増していく。満たされていく。元よりも熱く焼けるような感覚に引っぱられ、永遠の寝床になるはずだった床から立ち上がる。

「……!」

 まだ耳は聞こえていなかったけれど、何をすればいいのかが分かる。

 本来の動きを取り戻した腕を甲冑に向けて突き出し、欠損のない五指を花に見立てて広げ、念じるのではなく声によって命じる。

「……爆ぜろ!」

 すぐさま銀色の塊は破片となり、余すところなく粉になって鱗粉りんぷんのように一瞬で燃え尽きた。

 静けさの戻った堂内に魔女の掠れた声が響く。

「君は……いったい……」

 両手に突き刺さる剣のことなど忘れてしまったかのように、驚愕の眼差しを客へと向ける。

 自由を奪われた魔女に歩み寄り、満月となった夕暮れ色の瞳を見つめた。向かい合わせになった鏡が施された呪いを溶かし、

「……わた、私は……き、君の……」

 偽りの記憶が本物に上書きされていく痛みで、少女あるいは女性の顔が苦痛に歪んでいく。

 自分の中で弾け飛んだ呪いの残滓ざんしも、目の前の魔女が特別な存在だと教えている。理解できてしまう。

「……なぜ僕が招かれたのか不思議でした」

 一緒にコーラを飲む相手を求めていたわけではないはずで、始めから呪いの存在には気づいていた。しかしそれを施した記憶は、何者かによって封じられていた。

 ひとまず知りたいことの最上位にある問いを投げた。

「なぜ僕を義理の両親に託したんですか?」
「……私が何の後悔もなく君を手放したと思うのか?」

 水をたたえ始めた両目で問われ、首を振って否定したけれど続きを促すことはせず、あふれだすのを待った。

 やがて磔の母が口を開く。

「……魔女が死んだ子供を生むのなら、私が魔女でなくなればいい。だが、生まれた子供には人間の親が必要だ」

 その表情は自分がそうではないと決めつけているのではなく、少なくない葛藤があったことを如実に物語っている。

 身内の弱みで同情したくなってしまうのを堪えて、なるべく平板な声を出す。

「でもあなたは今も魔女のままで、あなたの呪いは僕を苦しめた」

 問いかけは心臓に穿うがたれた3本目の剣となり、魔女に新たな苦痛を与える。しかしそのどれも赤く染まることはなく、瞳の紅玉だけが雫を生みだし続けている。

「許してくれ、としか言えない。私が君に与えられるものは、あんな歪な加護しかなかったんだ」

 他者を身代わりにして絶対に死ぬことがない呪い。たしかにそれは加護とも呼べるけれど、生み出す不幸との釣り合いが取れていない時点で、残念ながら呪いに違いなかった。

 それでも魔女であることを引き換えにした決断を責める気にはならず、あらためて問いかける。

「あなたは人間になったはずなのに僕と同じじゃないですか。それに記憶を書き換えられていたのも変ですし、いったい呪いって何なんですか?」

 死んだことはないけれど、今しがた死にかけたのは間違いない。穴の開いた場所に触れると完全に塞がっており、どういうわけか服まで元通りになっている。

 磔になった男のように奇跡の復活を果たした人間を、じっと見つめていた魔女が口を開く。

「……呪いは言わば種子であって、君の中に見つけたのもそれだ。種が芽を出さなければ人間のまま死ぬことができる」

 いったんそこで言葉を切り、やがて記憶の井戸から真実を汲み上げた。

「人間もどきとして死にたかった私を、他のが懲りずに魔女にしたんだ。その上で別の呪いをかけた」
「……魔女に戻すだけでなく新たな呪いなんて、なぜそんなことを?」

 しかし返答はなく、言い淀んでいるのか思い出している途中なのか、いまいち判断がつかない。

 今現在わかっているのは1つだけだ。

「つまり晴れて僕は魔女の仲間入りをしたと」

 なるべく明るく言ってみたけれど、先輩魔女の顔は晴れないどころか曇っていく。

「……こんなことをするのは、あいつしかいない」
「あいつ?」

 聞き返したのと同時に風が吹いた。すぐにその中で砂粒が生まれて育ち、石から岩、いったん溶けた後に固まった粘土が変形し、最後には見覚えのある甲冑が現れた。

「やぁ、ハニー! 釘付けになっている君も素敵だよ!」
「アホがっ! この子を仲間にしてどうする!」
「えぇー! だって君ったら1人だけ石になって、僕らを置いてけぼりにしようとするんだもん!」
「こんのっ、お前なんて燃え尽きてしまえ!」
「ハニーの熱々な愛で何度でも焼いて欲しいな!」

 不毛な言い争いを始めた魔女と甲冑は、どうやら夫婦らしい。そこから自ずと導かれるのは当然の結末だった。

「あの……お取込み中のところ、すいません」
「なんだいマイベイビー? パパに会えて泣きそうなのかな?」
「……やっぱり何でもないです」

 それから石となって2人のやり取りを聞いていると、甲冑は元の肉体を捨てることで力を温存しただけでなく、彫像になった他の魔女も秘かに手を貸していたそうだ。

「そうだ! せっかく3人が揃ったんだから写真を撮ろう!」
「その前に私の手を自由にしないか!」
「え、やだよ。そしたら逃げちゃうでしょ?」
「無論だ! だがその前にお前を焼き尽くす!」
「マイベイビー、スマートフォン持ってたよね?」
「あ、はい」
「聞けぇ!」
「じゃあ撮るよー? サンド……ウィッチ!」

 その写真に映っていたのは磔の女と甲冑、それに夕暮れ色の瞳をした青年だった。


 Fin…?


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