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あなたの死を願うから 7/8 《短編小説》

【文字数:約3,000文字】
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 教会の前に来ると、魔女は見上げるほどの高さがある扉に向かって話しかけた。

「ノルシュタイン城主が命じる。そのふところに我らを導き給え」

 すると扉の装飾に見えた妖精が、いかにも機械で作られた音声でもって応じる。

『よいでしょう。そなたたちに祝福があらんことを』

 続いて金属の軋みと共に、重そうな扉がひとりでに開いていく。

 日中に見学したときと同じ方法で足を踏み入れたけれど、月明りだけが差し込む夜の堂内には、うっすらと夜の寒さが混じっていた。

「私は構わないが君には少しつらかろう」

 奥へと向かう通路の身廊を歩きながら、ぱちんと魔女が指を鳴らす。前後左右に伸びる教会の中央からさらに奥、主祭壇に置かれた蝋燭ろうそくに火が灯った。

 よく見るとそれは橙色をしたLEDのようで、本物らしく明滅しているのは壊れかけの電球に見えなくもない。

「雰囲気だけでも温かいですけど……?」

 視覚だけの施しかと思いきや、足元で冷えきっていたはずの床から次第に温もりが伝わってくる。

「美観を損ねないための床暖房だ。始めは不敬だと揉めたらしいが、彼の裸体を見せつけられるこちらまで凍える必要はない」

 そう言って主祭壇にまつられた像を見上げる。聞く人によっては激怒しそうな皮肉は魔女が発すると冗談に変わってしまい、神聖なはずの階段も町中のベンチと同じ扱いだ。

 しばらくするとウーバーイーツならぬ、アーマーイーツとなった甲冑が現れる。腕にはコーラを運んできたのと同じ盆を持ち、2つのビアジョッキと皿が載っている。

「では頂くとしよう」

 料理の盛られた皿を盆ごと床に置き、裸体像の前で野性味あふれる晩餐が始まった。

 陶器で作られたビアジョッキは見た目こそ無骨ながら、ほどよいぬるさのエールを味わうには丁度よく、ソーセージやチーズなどの盛られた皿も含めて古い時代を感じさせる。

 少女から女性の顔立ちになった魔女が傾けたジョッキを戻し、

「血のようなワインを飲むべき場所かもしれないが、私にも宗教の自由があるからね」

 そんな戦争になりかねない弁解を口にする。

「誰かが来たら怒られるだけじゃ済まなそうですね」
「一緒に飲み食いしている君も同罪さ。ただ、この場所ほど許しを請うのに適した場所もないだろうが」
「あなたが他者から許されようとするなんて、とても想像できません」
「始めて私に会ったときは子犬のようだったのに、なかなか言うじゃないか」
「ええ、僕にも意外でした」

 それは嘘偽りのない本心だった。

 不死の魔女は復活する必要もなければ、触れずに照明を点けるといった奇跡が起こせる。たぶん人間に使えばポップコーンが出来あがるのに、ひたすら言葉だけを交わしていることが奇跡そのものだった。

 半分くらいになったエールで喉を湿らせ、晩餐を共にする相手に向き直る。

「あなたはずっと僕を生かそうとしてくれている。おかげで僕の呪いが解けました」
「……さて?」

 片眉を上げた魔女に眼差しで先を促され、

「この呪いは僕にとって罰なのだと思っていました。でもあなたはこれを加護だと、死んだ人の分まで生きろと言ってくれた」

 静かに語って前を向く。

「ずっと周りから死ねと言われ続けてきました。義理の両親だって僕を捨てたんです」

 ある日、学校から帰ると両親の姿はなく、数日後に山奥の湖で浮かんでいるのが見つかった。泳ぐには寒い時期で、ゆっくりと体が冷えていったのだろうと警察から教えられた。

 時間が経ち、冷たく感じるようになった残りのエールを一気に飲み干し、長い息を吐く。

「……なるほど」

 魔女がつぶやいて、しばらく無言を返した後に口を開いた。

「この城の兵士をしていた男が同じく城の食堂で働く女を口説いて、この近くに今もある村で式を挙げたらしい。そして私が生まれた」

 それは魔女の出生に関わる話で、自然と身構えながら甲冑の姿を探す。しかし給仕をした後に外へ出たらしく、どうにも目立つ銀色が視界に入ることはなかった。

「私から話しているんだ。彼とて異論なかろう」
「……そういうものですか」

 納得と心配を半分ずつ感じながら、空になったジョッキを盆に戻す。それを見た魔女は自分のからエールを注ぎ分け、

「そういえば私は未成年で魔女になったんだ」

 今さらな告白と一緒に、自分のジョッキに残った分を飲み干した。

「……ありがとうございます」

 注がれた量は多くない。それでも相手の厚意が含まれたエールは、少しだけ温かく感じられた。

「昔は飲めたら成年だったって聞きましたけど」
「そのとおり。ただし昔は今ほど美味しくなかった。というか不味かった」
「飲んではみたんですね」
「はてさて、昔のことなので忘れてしまったな」

 確信犯の笑みで言ってのける魔女は、やはり少女のようでもあり、同じくらい女性にも見えた。

 それから魔女になった人間の話を聞いた。決して楽しい出来事ばかりではないし、夫を看取った頃の記憶は曖昧なようだった。

「ある日に私たちは自分が魔女だと気づく。他の魔女も皆そうだったし、遺伝的なものではと確かめようとした者もいたが、すべて徒労に終わった」

 そこで言葉を切り、何度か呼吸を整えてから口を開いた。

「墓地には夫だけでなく私の子供たちが眠っている。魔女の子は死んで生まれ、決して育たない。それが私の出した結論だ」

 壁際の棚に並ぶ壺とその中身を連想し、体を巡る血の温度が一気に下がる。しかしそこで引っかかるものに気づいた。

「……あの場所にあった壺は三十を超えていましたね」

 つまらない憶測は添えずに事実だけを述べると、「先に断っておくが」と前置きしてから魔女が言った。

「私とて死んだ人間を蘇らせることはできない。正しくは同じ人間を、という意味だがね」

 もったいぶった言い回しは相手の反応を窺うようで、だからこそ何も言い返せない。それが正解だったか分からないけれど、魔女は歌うように言葉を紡ぐ。

「魔女は決して老いもせず死なないが、たった1つの命を生みだすこともできない」

 ささやきの鎮魂歌は名前のない子供たちに捧げられる。

「たくさんの兄弟姉妹が死んで生まれ、この中に戻っては死んでいった」

 おかしいだろう、と乾いた笑みを浮かべながら魔女は下腹部を撫でる。その横顔は寂しげで、あらゆる慰めの言葉は届かずに枯れ果てる気がした。

 声を奪われたように黙って魔女を見つめていると、それまで夕焼け色だった瞳が向けられる。

「君の呪いは魔女によるものだと私は言ったね。だがそれは、おそらく自分が魔女でなくなるためのものだ」
「……なぜ、そんなことを?」

 どうにか喉から声を押し出し、エールを飲み干してしまったことを今さらになって後悔した。問われた魔女も同じように渇きを感じさせる声で応じる。

「私たちは死なないのではなく、死ぬことを許されていないのだ。だから魔女は石になることを選ぶのだろう。だが、」

 不自然な中断の後に吐き出されたのは、痛みそのものだった。

「……もし、もしも人間として死ぬことが出来るなら、私とて同じことをしたはずだ」

 続いて夜空を溶かした両目から、ぽろりぽろりと雨が生まれては落ちていく。声を上げなかったのは魔女としての矜持きょうじなのかもしれないけれど、その姿ははりつけにされた子供を悲しむ母の姿と重なる気がした。

 どれくらいの時間そうしていたのか分からない。数分だったようにも感じるし、数時間が経過したとも錯覚する。

 少なくない時間と多くの葛藤を経て決意したことを、かつて人間だった魔女に告げるのは簡単だった。

「……僕にあなたの苦しみを終わらせることができないでしょうか」


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