きみが思い出になった後に
【文字数:約600文字】
心身その他の理由から、しばらくnoteを離れていた。
ちょっと以上の前に1つ歳を重ねたのも理由の1つで、今は亡き友人との歳が、また1つ離れてしまった。
そうして死者と生きているような人間は、ときに生者から悲しまれ、労わられ、疎まれ、蔑まれる。
死人の骨でダシを取り、何度もラーメンを作るようだと自分でも思う。アブラナシ、ヤサイナシ、へいお待ち。
回想を繰り返したところで過去は変わらない。
でも私は、友人に人生のロスタイムをもらったようなものだから、きっとこれからもラーメンを作る。
すべての材料費が高騰している昨今、元手なしで作れるのは家計に優しく体は痛い。毎回スープを完飲していれば悪くするのも当たり前だ。
涙の塩味に添えるのは、苦みある別れの思い出。
書き続けたことで自家製麺も上手くなり、スープとの相性はバツグンだ。
ははっ、こんなマズいもん食えっかよ。
そんなことを笑いながら話す顔は、いつまでも幼さを残している。
12年前に起きた震災を生き延びた人たちの中にも、きっと変わることのない誰かがいる。
かの地に私自身は縁が薄いけれど、あの場所で何が起こったのか、多少なりとも理解できる。
その経験を糧にして、これからも私は究極の1杯を作ろうとするだろう。
※ ヘッダー画像は「奇跡の一本松」と呼ばれていたそうな
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