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あなたの死を願うから エピローグ 《短編小説》

【文字数:約4,700文字】

※ 本作は『あなたの死を願うから』を未読ですと意味が分からないと思います。


 遠くに城を眺める村の端に、レンガ造りの小さな家があった。補修を繰り返された外壁は所々で色の濃さが違うため、どこか曇り空を描いたようにも見える。

 茶色の木枠に囲まれた窓が外側へと開け放たれ、中からは古いレコードの曲に混じって人の話し声が聴こえてくる。

「私には砂糖をもらえるかな」
「もう若くないんだし、2匙くらいにしときなよ?」
「女性に年齢の話をすると嫌われるそうだが?」
「村長さんよりも年上なのに気にしなくても」
「書類の上では君の姉ということになっているがね……っと」

 ちょうどレコードの曲が終わったので、入れ替わりに魔女は細長い板を軽く叩いた。それは現代における裏世界への通行証で、ありとあらゆる情報を知ることができる。

「ノイズまで再現されているのは素晴らしいが、ずっと聴いていると眠たくなってしまう」

 ぼやきながら板を何度か叩き、先ほどとは真逆な騒音まがいの曲が始まった。

 自分のティーカップにも砂糖を入れた青年が、板の表面に映し出されたものを見て顔をしかめた。

 5人組のメタルバンド全員が銀色のかぶとで顔を隠し、古い瓶コーラのグラフィックが描かれたTシャツを着ている。

 ソーダ・アーマーと呼ばれるそのバンドは『ねぼけたハートにシュワッと一撃』が売り文句だそうで、最近のお気に入りらしい。

「もしかしていているのかい?」

 魔女が青年を見上げ、イタズラ好きな少女のように微笑む。

「そうじゃないけど……平気なのかなって」
「ああ、そういうことか」

 生きてきた年月に相応しい真顔に戻り、魔女は天井近くに視線を移す。そこには甲冑かっちゅうの頭部つまり兜が飾られている。

 控えめながらも美しい装飾が施され、城の護衛役が身に着けていたのかもしれない。

 同じように兜を見上げながら、青年は空っぽの中身を想像した。

「写真なんてあるはずないし、絵も残ってないんだよね?」
「1つの教区を束ねる大司教ならともかく、その下に仕える者が描かれることはない。せいぜい名前が残る程度だ」

 話しながら魔女は淡い金色の髪を撫で、毛先を指でもてあそぶ。かつて絹糸のようだった白い髪は、ほんの少しだけ荒れている。

「……知りたいのかね?」

 くすんだ夕暮れ色の瞳で問われ、興味のまま頷くか迷っていると、

「2人だけで仲良くしてて妬けちゃう!」

 開け放たれた窓から、夏の太陽みたいな声と顔が侵入してきた。

「たわけが! 何をしにきおった!」
「もちろん休憩だよ? ちょうど紅茶の時間だしぃ~」

 鼻歌まじりに男が言って、ごく自然な足取りでもって玄関から室内へと入ってくる。

「おかえりのキスが欲しいなぁ~」
「これで良ければいくらでも」

 スコーンを切るためのナイフを持ち上げた眼差しは、なんとなく本気に見える。

「今の僕には刺激が強すぎるよぉ」

 満更でもなさそうな返答に苦笑しつつ、青年は新しい紅茶をテーブルの上に置く。

「もう仕事には慣れたみたいだね」
「始めはスタッフ1人のワンオペだし、どうなるかなって思ってたよ」

 男は略式の祈りを捧げてから、カップに口をつける。

「やっぱり人に淹れてもらうのは美味しいよ。ねぇ?」
乞食こじきのような目でこっちを見るな」
「求めよ、さらば与えられん」

 卑怯にも聖書の一節を引用した男へと、魔女は明らかに嫌そうな顔で応じる。

「お説教は私より長生きしてからにするがいい」
「……えっと……うん、がんばります」

 それまでの勢いが瞬時に失われた男は、視線をさまよわせながら指先で頬を掻く。不可解な反応で首を傾げた魔女に向け、青年は遠慮がちに告げた。

「もう今は普通の人間だから、そのままの意味に……なる、かも」
「こいつより私が生きているのは変わらないが?」

 揺るぎない絶対の事実を述べながら、ますますその顔は疑問符で埋め尽くされる。

 今も歳を取らない存在なら、「お前にその資格はない」の意味になるけれど、意識までは簡単に変わらないものらしい。

「まぁよい。それよりも書類上の父親として、せいぜい働いてもらわねば」
「口座の額は全然ちがうのにね」
「お飾りとはいえ城主を務めたのだ。それくらいの餞別せんべつをもらって当然だろう」
「……僕もいたんですけど」

 すっかり影のようになっていた元・甲冑の反論を、魔女は小馬鹿にしたような声音で一蹴いっしゅうする。

「お前は私が生かしてやらねば、とっくの昔に墓場の土となっておったろうが」

 病に侵された元・甲冑はどうか死ぬ前にと、魔女の住むという城を訪ねたと聞いている。

「わざわざ死にかけた人間を城まで届けにきた奴が、今度は自分が同じようになるとはな。あまりにもおかしくて情けをかけてやったのだ」
「……あの子がどうなったのか、もしかして君は知っているのかい?」
「そんなことを今さら知ってどうする?」

 聞き返された元・甲冑もとい男は、しばらく黙った後に首を振る。

「目も開けられないほど衰弱していたわけだし、きっと僕の想像している通りなのだと思う。でもせめて両親の御許で、安らかに過ごしていると良いのだけど」

 かつての司祭の顔つきになった男は、胸の前で十字を切って古い祈りの言葉を唱えた。

迷える子羊よ、どうか安らかに……Dormiat ut agnus amissus placide precor.

 服装は村の商店で働く配達員でしかないけれど、着替えれば本職の人間と変わらないような気がする。

 祈りが終わるまで真剣な眼差しを向けていた魔女が、いきなり立ち上がった。

「……ちょっと出かけてくる」

 テーブルの上にあった細長い板を掴み、荒々しい足音を響かせながら出ていってしまう。

 いってらっしゃいと、声をかけることもできなかった2人が互いに顔を見合わせ、甲冑のようなぎこちない動きで男が言った。

「やっぱり昔の女性のことを妬いてるのかなぁ?」
「さぁ、どうだろうね……?」

 青年は肩をすくめたけれど、魔女の顔が赤くなっていたのには気づいた。それがどちらの理由によるものか、自分が口にすべきでないのは理解していた。

  ◇

 
 ふたたび配達に戻った男を送り出し、テーブルに残されたティータイムの後片付けをしていると、誰かが玄関をノックした。

「どうぞ開いてますよ!」

 泡だらけの手で迎えるわけにもいかず、大声で答えて勝手に入るよう促す。夜ならともかく、顔見知りばかりの村では警戒する必要もない。

 食器洗いを終えてリビングに向かうと、燃えるような赤毛と夜の闇を染みこませた黒髪の2人が立っていた。

 青年を見るなり赤毛が楽しそうに言った。

「君はエプロン姿が似合っているね。それにしても、お姉さんは出かけているのかな?」
「さっきまでいたんだけど、急に用事を思い出したみたいなんだ」

 流れでお茶を勧めたものの、やんわりと赤毛は断わる。その様子を見ていた黒髪が、鼻で笑った。

「おいおい、正直にお姉さんが目当てだって言えばいいだろ!」
「……何を言ってるのか分からないな。俺がそんな欲にまみれた人間に見えるのかい?」
「一緒について来てくれって言ったのはお前だろうが!」
「ある国では1人で家を訪ねるのが失礼だって、君が知らないだけさ」
「そんなの始めて聞いたし、だいたいここは僕たちの村じゃないか」

 言い合いを始めた赤毛と黒髪は村の出身で、今は外国に住んでいるらしい。ちょうど休暇で故郷へと戻ってきた日に出会い、引越し作業その他を手伝ってくれてからの付き合いだ。

「もし大事な用件なら電話しようか?」

 エプロンのポケットから板を取り出したところで、赤毛は強い拒否を示した。

「いいんだ。それだとまるで乞食みたいだと思われる」
「そんなことはないと思うけど……」

 下心があろうとなかろうと、かつて魔女だった人間と仲良くしたいなら拒む必要を感じない。

 城から引っ越す前に聞いた話では、肉体の年齢は不老不死となったときに固定されるそうで、2人も始めは魔女を妹だと思ったそうだ。つまり魔女がまだ人間だったのは、2人と同じかそれ以前なのだろう。

「ったく、じれったいなぁ。さっさと『好きです』って言っちゃえばいいのに」

 床を足で叩きながら黒髪がぼやき、瞬時に赤毛が燃え上がる。

「ばかっ! 相手に想いを伝えるのは簡単じゃないんだ! だいたい俺たちは余所者よそものになるんだし、そんなの別れがつらくなるだけだ……」
「いやなんでOKされる前提なの? しかも僕らの村なんだし、末永くお付き合いすればいいじゃん」
「だから君は考えなしって言われるんだ。もしも断られたら、それからずっと気まずい里帰りになるだろ!」
「ほんとに面倒くさいな! そういや今さらだけどごめんね。くだらない用事で訪ねて」

 取って付けたような謝罪に苦笑したところで、リビングに新しい足音がやってきた。

「2人ともいらっしゃい。ずいぶんと賑やかね」

 地方の活性化策について研究しているという設定の魔女が、知的な雰囲気を漂わせながら帰宅した。

「おかえり。2人は姉さんに用事があるみたい」
「あらそうなの? 電話してくれたらもっと早く帰ってきたのに」

 それは建前であって、出かけているときに電話をすると不機嫌になる。もちろんそんなことを言うほど命知らずではないから、気がつかなかったと頭を掻く。

「あの、あのですね──」

 挙動不審になった赤毛を差し置いて、黒髪が魔女の持っていた紙袋を見て叫ぶ。

「もしかしてそれ、あの・・コーラですか!?」
「この村出身の方にとってはソウルフードならぬ、ソウルドリンクなんですってね」

 本心から出たような笑みで応じてから、魔女はテーブルに瓶詰めされた液体を置く。

 それは村の老婆が炭酸入りのミネラルウォーターから作るコーラで、独特の味わいに惚れこんだ人間が、今世界で売られているコーラを作ったとか。

「なつかしいなぁ! 子供の頃どうしても飲みたくなって家に忍び込んだのがバレて、それから売ってもらえなくなっちゃったんですよ」
「お婆様も話してたわ。あの子はコーラを飲み過ぎるから止めさせたいと、ご両親から頼まれたって」
「あぁ、やっぱり! 一気に6本飲むから別の次元が見られるのに、それを分かってないんだ!」

 抗議しながら黒髪は瓶に手を伸ばし、すぐに引っ込めた。それを見て魔女が笑みを浮かべる。

「お婆様の独り言を聞いたのだけど、小さい子供の頃ならともかく、いい大人になってがぶ飲みするはずがないって」
「へぇ、信用されてるじゃないか」

 復活したらしい赤毛が、肘で黒髪の脇腹をつつく。

「……うるさいなぁ!」
「本当に2人は仲が良いのね。せっかくだから皆で頂きましょう」
「あ、ちょっと待って」

 キッチンに向かおうとした魔女を呼び止め、テーブルに近づく。

「まぁ見ててよ」

 注意を引きつけるように3人を見回してから、青年は瓶の王冠を掌で包む。

「……ぜろ」

 命じると同時に炭酸の解放される音が響き、離した手の間から銀色の王冠が滑り落ちた。そうして人数分の瓶を次々と開けてから、最後に種明かしをする。

 原理は単純そのもので、エプロンのポケットに入っていた栓抜きを、掌の中に隠しながら使っただけだ。

「びっくりした……本当に驚いたよ」
「マジかって思ったけど、素手で開けられるはずないもんな」

 種明かしをされた赤毛と黒髪は笑い出したけれど、残る1人は違った反応を返してきた。

「もしも望みを叶えたいのなら、それを飲んでみせなさい」

 それは数ヵ月前にされたのと同じ提案で、魔女と自分にしか分からない合図と同じだった。

「……いきます」

 首を軽く曲げて頷き、促されるまま瓶を手にして顔に近づけ、慎重に、そして勢いよく傾けた。

 あのときと似ているけれど異なる刺激が喉を滑り落ち、青年は思わず叫んだ。

「うまいっ!」 


 Fin.




 本作の制作にあたり、下記の記事を参考にさせていただきました。この場にて厚く御礼申し上げます。


 ちなみにソーダ・アーマーの元ネタはコチラ↓


なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?