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あなたの死を願うから 1/8 《短編小説》

【文字数:約1,700文字】


 目の前に置かれた年代物のゴブレットには、墓場の土を夜の闇で溶かしたような液体が注がれており、ぷつぷつと不規則に泡立つ音が鼓膜を叩く。

 磨き上げられた石の食卓を挟み、絹糸と見間違えそうな白い髪の女が言った。

「もしも望みを叶えたいのなら、それを飲んでみせなさい」

 友人に勧めるのと同じ口調と笑みを浮かべているけれど、夕暮れ色をした瞳から放たれる眼差しは鋭さを増し、対面する1人しかいない招待客の動きを縫い止めている。

「……わかりました」

 かろうじて呼吸に載せた言葉が意味を含み、白髪の女へと届いた。

「よかろう。ならば一息に」

 すると眼差しの縫い糸が緩んで自由を得た。

「……いきます」

 首を軽く曲げて頷き、促されるままゴブレットを手にして顔に近づけ、慎重に、そして勢いよく傾けた。


 ◇
 


「魔女を探してるって? あの城にか?」

 問い返されたので頷くと、小馬鹿にしたような表情が目の前に現れる。

「たしかに歴代の城主が秘かに住まわせていたとか言われてるけど、調査し尽されても証拠は出てこなかった。だいたい、魔女のいる城で見学ツアーが開かれると思うか?」
「きっと今も城のどこかに隠れているんですよ」
「じゃあ何か? 俺らは魔女の見ている城に向かっているわけだ」
「定期的にやってくる観光客の僕らを逆に観察して、呆れたり笑ったりしているんじゃないでしょうか」

 少しだけ本心で言うと、隣の座席に座っていた男が吹き出した。

「はははっ! あんた面白いこと言うな!」

 話が聞こえていたらしい周囲からも、男と似た空気が届けられる。

「おにいさん、もしかして作家志望なのか?」
「役者さんだったりして」
「世界に羽ばたく冒険家の卵なのかもね」

 好き勝手に投げつけられる想像を微笑でもって受け止める。

「さぁ、どうでしょう」

 ちょうど観光客を乗せたバスが丘を越え、青空の下に灰と白の装いをした建物が見えてくる。

 車内先頭に立っていたガイドが、手にしているマイクを口元に近づけた。

『あちらに見えて参りましたのがノルシュタイン城です。現在は地方政府の所有になっていますけれど、五十年前までは実際に城主のいた城として有名です』

 暗記しているらしい説明は淀みなく、観光客たちの耳にも引っかかることなく流れていく。

『一説では魔女が住むとされているノルシュタイン城ですが、今まで見つけられた方はおりません。ですが今回のお客様がその幸運に恵まれますよう、努めてご案内させていただきます』

 これまた台本通りの説明にも関わらず、くすくすと周囲から、隣の男に到っては声を上げて笑った。

 なだらかな傾斜のついた道を進む間に城は大きくなり、前ばかり見ている観光客の視線を集め続ける。しかし後方に座っていた観光客の1人は別のものを見たらしい。

「おいっ! あれっ!」

 つられて首を振り向けた女の顔が歪む。

 道から少し外れた先に、丘が崩れて生まれたらしき小さな岩の壁があり、すぐそばで黒い塊がうずくまっていた。よく見るとそれは焼け焦げた車で、開けていた窓から特有の臭いが車内へと入り込む。

「えっ、はい。わかりました」

 ドライバーに促され、ガイドが続けて話し始める。

『昨晩に車でお越しの方が亡くなっているのが見つかりました。原因は不明ですが酒に酔っていたものと推測されています』

 先ほどと異なり、内側から発せられた言葉が車内の空気に混じって、快晴の清々しさを追い出していく。

『どうか亡くなられた方に哀悼の祈りを捧げてくだされば……』

 それに従う形で観光客たちがそれぞれ祈りの言葉を唱え始め、バスは移動式の教会さながら、厳かな雰囲気に包まれていく。

 神の御許へ召された名も知らぬ信徒に向け、慰めや労わりの呼びかけが重ねられ、やがて誰かの歌声が加わった。

『主よ、か弱き我らの道行きを明るく照らし給え──』

 ゆっくり広がるガイドの歌が車外へと漏れ出して、少しずつ観光客たちの声も混じっていく。

 そのうち火刑に処されたような車は見えなくなり、代わりに灰と白の城門が近づいてくる。到着を歓迎する横断幕が赤黄の色彩を添え、控えめながらバスの車内には歓声が沸く。

「……もう、たくさんだ」

 1人の観光客が発した小さなつぶやきは、周囲の歓声によって掻き消された。


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