入院中必死だった話
去年の今頃は(略
産んだ子が1歳になりました。めでたいなぁ。
出産が痛かった話↑の続き。2020年、入院中〜退院までのお焚き上げ投稿です。画像は入院中の生活記録。3コマ以上間が空いているところは私が力尽きて新生児室に引き取られたところ。いつ寝てたんだろうなぁ。
ついでに費用もざっくり。TOKYOの出産は高い。
ー産後day1
0:45
助産師さん現る。寝かせる気ないのでは。1ccシリンジで搾乳して去っていった。赤ちゃんに飲ませといてくれるらしい。サンキュー!そういえばもうお腹の中にいないのか。不思議な気分。友人に聞いた話の通り、お腹に手を差し込むとズブズブとどこまでも入っていった。腹筋が裂けてるってほんとかしら。入りすぎて怖くて途中でやめた。夢のうつ伏せ寝をしてみたいが体中痛くて寝返りすらできない。
5:45
また搾乳。1.5cc。ほとんど出てなくない?って思うけど、出てる方だよ!と褒めてくれる。助産師さんはどの人も女神だった。母乳は産前にお風呂で揉んだときよりもちょびっとだけ量が増えていた。胎盤が出ると体が母乳のゴーサインを出すようになるんだって。人体の神秘ぱない。朝食は意地で完食。怪我は食べないと回復しない。産褥パッドを取り替えたりお腹を押したりして母体のケアをしてもらっているんだけど、チラッと視界に入った産褥パッドが真っ赤でこんな出血してて大丈夫なんかい、とちょっと不安になった。子宮の戻りは順調らしい。体を拭いてもらったり、着替えを手伝ってもらったりした。朝食後、立ち上がってトイレに行く練習をして無事合格。導尿抜いてもらい、赤ちゃんが運ばれてくる。これが私の赤ちゃんかぁ。へー。改めてこれからよろしくな。
ハイじゃぁ3時間以内に授乳してね!オムツ替えてね!授乳とオムツ替えはこの紙に記録してね!じゃ!とサクッと赤ちゃんを置いていこうとする助産師さん。全盛期のキムタクばりの「ちょ待てよ」が出た。待って。いきなり置いていかないで。こちとらさっきまで起き上がることさえできなかった母day1、こんな儚い生き物を置いていかないでくれ。頭蓋骨ペコペコしてるし。首はぐにゃぐにゃだし。怖い。なにこれ折れてない?怖い。抱き方とか授乳の仕方とかその場で教えてもらい、オムツは替えるタイミングでまたナースコールすることに。ねぇ、もう一回聞くけどこの首正しいの?
初めての授乳、まず自分がベッドから立ち上がるのがきつい。寝ている状態からゆっくり座って、足をベッドの横にずらして、立ち上がる。全ての動作において股が痛い。円座クッションの効果が分からない。ロキソニンは処方してもらって飲んでいるんだけども効いている気がしない。自分が立ち上がったら、赤ちゃんをコットから抱き上げてベッドに座る。円座は意味があるのかないのかよくわからない。ずっと痛い。一動作ごとに息止めて気合い入れないと動けない。母乳吸わせてみるものの、赤ちゃんもまだ体力がないので吸ってる途中で寝る。あ、かわいい〜…!!!かわいいって気持ちがむくむく出てくる。かわいい。母乳は出ているんだか出ていないんだかよく分からなかったけど、最初はとにかく頻繁に吸わせることが大事なんだと。産後1日目にしてすでに乳房が張り始めていて痛かった。痛いし、熱を持っていて、母乳生産中なのかな、人体すげーなと思った。大学の同期ママとLINEしていたら、脅すようだけども産後3日目4日目くらいは特にお股より胸の方が痛かったな、なんてことを言っていて白目を剥く。お腹が凹んだのに胸が痛くてうつ伏せ寝はできなくなった。母乳推しな病院と聞いていて、スパルタだったらやだなぁとちょっと不安だったんだけど「ちゃんと出てる」「ミルクを足すこともできるから心配しないで」「授乳間隔は3時間以内なら自由」などゆるく助けてくれてなんとなく安心する。しかし、吸啜反射でちゅっちゅしてるけど飲めてるのか?実感ないまま適当に吸わせる。すぐ吐き戻す。せっかく出た/飲ませたんだから吐くなよ、とちょっと思う。吐き戻しで喉を詰まらせることがあるらしい。なにそれ怖い。人間の赤ちゃん、いちいち死にやすすぎる。
オムツ替え。うんちは黒くてベットリしていてびっくりした。胎便というらしい。タールみたいな感じ。新生児は体に対して玉がでかい。せっかくオムツの替え方を教えてもらっているのに、(玉がでかいな・・・)(これがエコーで見えていた玉か・・・)と玉にばかり意識が向いていた。
ベッドに座るのすら痛くて何分もかかるのに、授乳の他にもオムツ替えや自分のトイレも行かなければいけない。さらに、赤ちゃんも自分も体の抵抗力が弱い生き物になっているので、オムツ替えや自分のトイレの前後は必ず手を洗うように言われていた。トイレに立つとか手を洗いに行くとか、もう本当に全てがしんどい。とにかく体中が痛い。特に股が痛い。痛すぎて全ての動作がスローモーション。サクッと終わらせて休みたいのに。痛みを味わわないと母性が湧かない論の方々は産後の痛みについて知っているのだろうか。全身が痛い。骨盤がグラグラしている。
部屋は4人部屋で、入り口は大体開けっ放しだったのであちこちから他の赤ちゃんの声も聞こえた。母親は我が子の泣き声を聞き分けられるというが、普通に同じように聞こえてしまい、泣いている理由もさっぱり見当がつかないし、母親失格なのでは、と凹んだ。赤ちゃん意外と寝てくれるなぁ、と油断していたら23時からが本領発揮だった。赤ん坊は夜型の生き物。そういえばお腹の中にいるときも寝ようとする頃胎動が激しくなって眠れなかったんだった。内側から蹴っていたのはお前だったのか。なるほど。しゃっくりも胎動と同じリズムだった。赤ちゃんはバターみたいな甘い香りがする。
ー産後day2
日付変わってday2。深夜、よく泣く。様子を見にきた助産師さんにおひなまきという巻き方を教えてもらう。お腹の中にいたときのような体勢でギュッと巻かれると安心するものらしい。まぁ、巻いても泣くんですけどね。元気ですね。
夜の続きに朝がある。明け方力尽きて気を失いかけていたら、見かねた助産師さんが新生児室に預かるからちょっと休みなさいと助け舟を出してくれた。朝食を食べながら夫にLINE。赤ん坊の顔や動き方が刻一刻と変わるので、全部見せたくて、退院まで会わせられないのが心底悔しかった。赤ちゃんはむくみがとれて昨日よりさらにかわいくなった。哺乳瓶も使える子にしたかったので哺乳瓶ミルクトライ。普通に飲んでた。天才か。
胸が張って痛すぎるので搾乳の練習もした。練習といっても手搾乳なので自分で絞るってだけなんですけど。教えてもらって頑張って絞る。絞った方が張りから解放されてラクになるので無心で絞る。それまで大事に大事に扱ってきたおっぱいだけど、以前のような性的な甘いニュアンスは消滅。縦横斜めあらゆる方向から揉んで絞った。摩擦は色素沈着のもと?知らんわ、まんべんなく絞らないと詰まるらしい、怖い。
脚のむくみがひどくて、持参したローヒールパンプスはあっという間に入らなくなった。入院用のスリッパが踵なしの開放型でもいいと言われていた理由がわかった。入らなくなるんだね。まだシャワーを浴びにいく体力がないと言ったら、助産師さんが足湯を用意してくれた。浮腫み改善には焼け石に水だったけど、気持ちよかった。
出産祝いが家に届き始める。祝ってもらえるんだなぁ、とじわじわ嬉しさが込み上げる。そのことを母に言うと「みんなに祝福してもらえる赤ちゃん、よかったね」と言われる。なんとなく母の表現が癪に触ってイラッとする。おまえはのぶみか。母とは気が合わない。
泣いている赤ちゃんもかわいくて、せっかくなので授乳の前に動画を撮った。もっと撮っておけばよかった。新生児の泣き声かわいすぎ。赤ちゃんはすでに3時間おきのリズムになっていて、びびる。生きる才能に溢れている。その調子で早く首に力を入れてください。
病室が6階から11階に移動。産後の日数とかで大体のエリアが決まっているみたい。産科病棟内には自販機がないと言われていたけど11階にはあった。ただ、買いにいけるほど元気ではなかったので、大量に持ち込んでおいてよかったと思った。
ー産後day3
3時間おきのリズムなどまやかしだった。23時をすぎてから本気を出す我が子。1時2時3時5時6時、朝です。ほぼ徹夜。この調子でいられるときつい。助産師さんに、なんとか退院までにもう少しリズムを掴みたいと相談した。解はないけど、プロに相談できるうちにどうにかしたい。
それでも昨日よりは元気。母体の回復力ぱない。脚の浮腫み具合がひどくて足首が消失。「最優先で血を送っていた赤ちゃんが体から出て、急激に血の巡りが変わってるから仕方ないよ。でもすぐ良くなるから安心して。」と姉。出産経験のある姉の心強さったらない。姉や、最近出産した同級生は、私の体を労るメッセージを特にたくさんくれた。出産経験の有無で気の使い方には明確に違いがあった。赤ちゃんのことよりも母体への労いを前面に出した会話をしてくれたのは、やはりさすが経験者というか。痛いよね、うんうん分かる、緊張して眠れなかったりするよね、分かる分かる、思い返すともっと新生児室に預けてよかったなって思うよ、頑張らなくて大丈夫だよ、ご飯食べられてる?偉い、もう十分頑張ってるんだよ、などなど。まさに共感で助け合う生き物。辛すぎて感覚尺度がバグっていて、辛いって思っていいのか分からなくなっていたので、周りから今すっごくしんどいよね、お疲れさま、と言語化されることに助けられた部分は大いにあった。母子ともに健康で安産だけど辛いって思っていいの?難産じゃないけど辛いって思っていいの?痛いって泣き言言っていいの?って、なぜか、やけに自分の感覚のレベル感を恥じているような気持ちがあった。なんなんだろうねあれ。出産祝いで会いに行った時の「(陣痛)痛かったよー笑」の裏で、みんなこんなに産後の痛みに耐えていたなんて。私に向けられた優しさは彼女らが通ってきた辛さの裏返しなんだと思った。全ての母、基本耐えすぎ。何が安産だよ。痛いよ。
産後初の排便。便秘も地味にしんどかった。傷が開いてしまわないか気になって踏ん張りづらいし。姉に報告したらこれもまた褒めてくれた。辛いことも嬉しいこともなんでも話してね、とこまめに連絡をくれた。姉は本当にポイントをおさえた支え方をしてくれた。産後鬱を心配していたんだろう。
産後初のシャワーも浴びれた。恐る恐る股も洗った。縫ってあった(当たり前)。あと痔はめちゃくちゃ悪化していた。立派なカリフラワー。こんなお尻じゃお嫁にいけない。
胸の張りがまた増して痛みも熱もひどくなる。乳腺炎に怯えて、これは乳腺炎じゃないんですか、と何度も聞いた。通常です、母乳出てていい感じですね!と返された。通常の範囲が広すぎるだろ。冷やすと多少ラクになるかも、とドーナツ型の保冷剤を借りたが特にラクにはならなかった。便秘の薬と鉄剤は効いたけど、鎮痛剤とアイスノンに効果を感じた日はなかった。
赤ちゃんは小児科の診察を受けていて、体重変化は問題なかったけど黄疸が出ていて母体と一緒に退院できるか五分五分だと言われた。一緒に退院したい。今できることは日に当てることと母乳をあげることだと言われたので病室にいるときはカーテンを開けることにした。私自身も赤ちゃんのとき黄疸が出て、タライに入れて天日干しされていたのだというエピソードを思い出した。太陽とビタミンの関係は30年以上前から変わらないのね。
家族のチャットグループの会話の中で、どうやら母が退院後手伝いに来ようとしていることが発覚。ねぇ、そういうの、考えてたら当然もっと前に頼むからね?基礎疾患持ちの老人は家から出ないで大人しくしててください。ほんとおまえそういうとこやぞ。ご飯のおかずは送ってもらって有り難く食べた。
産後の気持ちのアンケートとか書いて出したら、精神科の先生との面談を勧められた。みんな結構受けているから、とか、結構気を遣った言い方をされたがこちとら年季の入ったメンヘラなのでもちろん面談します。手厚くていい病院だね。
「このアンケート、ADHDの傾向とかも見ていて。結構傾向が強いっぽいんですが。」
「薄々そうかと思ってました。」
「困っていることとかありますか?」
「ないです。」
「・・・。」
終了。困ったら相談に乗るから気軽に精神科を選択肢に入れてね、と。産後鬱の方じゃないんかいとは思ったが、お守りをまた一つもらったような面談だった。はっきり診断されたことはないのだけどもうちの家系はADHD傾向がある。姉も私もその傾向を引き継いでいるねって話を姉としていて、社会で生きていければいいんでしょ?オッケー。って。身近に同じ気質のままサバイブしている人間がいたり、特性や私の工夫を受け入れてくれる人に囲まれていたりして、私はつくづく人に恵まれている。こんなに恵まれているのになぜ男を見る目だけが欠如していたのか(夫以外ね)。対価か?
退院指導を集団で受けた。歩き方や座り方にだいぶ個人差があって、出産のダメージに個人差があることが一目でわかった。退院指導で母たちから出た質問は「ナマモノはいつ解禁ですか」「赤ちゃんに母乳やミルク以外に白湯等を飲ませる必要はありますか」の2つ。ナマモノは今日からでも大丈夫ですよ、と言われてそれぞれの口から漏れる食べたい寿司ネタの数々。妊婦と産後の母はナマモノに飢えている生き物。嬉しくて退院日の夕飯は寿司をリクエストした。すーし!すーし!
甘いものはおっぱいが詰まるからダメ、とか指導されるのかと思いきや、「アルコールとカフェインは妊娠中同様控えて」「食中毒に注意すればナマモノもOK」「とってもからいものなんかは母乳にも出るから刺激物は適度に抑えて」などなど、食事制限は想像よりもはるかに緩かった。研究が進んで、母乳は食べ物では詰まらないってことがわかったんだって。研究最高。ありがとう医療。母乳の詰まりは授乳間隔が空きすぎることとストレスが主要因、ストレス、ストレスです!!!ストレスを溜めないことが母乳に1番大切です!!って5回くらい言われた。オーケー、ストレスを溜めないためにおやつ食べますね。そういや病院食にも普通にクリーム入ったおやつ出てたわ。
ー産後day4
明け方同室の人のイビキがうるさくてイラつく。でも、大部屋で腹が立ったのはこれだけだった。個室料金をケチって個室じゃなくて大部屋にしたんだけど、人の気配がして個室よりよかったような気がする。面会一切禁止だった分、病棟は普段より静かだったんじゃなかろうか。シャワーの帰りに、電話できるエリアで上の子と喋りながら泣いてるお母さんを見かけて胸が痛くなったりした。会いたいよね。大部屋といえど病室内でも原則マスク着用とされていたし、母同士の交流も控えていて、コロナ禍の出産は割と孤独だった。一方で、助産師さんがそういう母達の気持ちを汲み取ってケアしようとしているのも会話の端々で感じた。いい病院だった。
産後の母体検診の日。内診も痛ければ(診察台に上がるのも痛いのに股を開かせて棒を突っ込むな)抜糸も超絶痛くて普通に泣いた。抜糸した方が痛みが軽減しやすいよ、ほらどう?とか聞かれたけど実感は皆無。いちいち痛いのどうにかしろ。産婦人科は痛みを軽視しすぎだと思う。QOLとか、あるじゃん。産後うつっていうか普通にいちいち痛くて心折ってくるのやめろ。
だいぶ体が回復してきたような気がしていたがヘモグロビンは8、まだまだ貧血。体重を測ったら赤子胎盤羊水出血で軽く4kg以上出したはずなのに2kgしか減っていなかった。人体の不思議。お腹はすごく弛んでいるし、肌の色も薄黒い。自分の体が汚くて悲しくなった。でも子宮の戻りは良いし、母乳も出ているしすこぶる順調なんだって。外見は汚いけど。
お祝い膳でミディアムレアのお肉が出て感激。妊娠発覚以降初のミディアムレア。美味しかったけど1人で食べるのが寂しくて泣いた。産褥期の母まじすぐ泣く。涙腺ぶっ壊れてる。感情の動きが自分でも全然わからない。安産で母子ともに経過も良くて、ポジティブになるしかないと言い聞かせるも、苦しくなる。自分が今どのくらい苦しいのか、どうしたらラクになるのか全く分からない。深呼吸する。何か考えようとする。赤ちゃんが泣く。
徐々に赤ちゃんのいる風景に慣れてきた。退院に向けて、哺乳瓶とか新生児グッズを買い足してもらうよう夫に連絡。オムツ用ゴミ箱とかいるのかなー、でもまだオムツそんなに臭わないんだよね。赤ちゃんのうんちの色は日々変わっていて、黒から緑、徐々に黄色くなっていた。赤ちゃんの吸収力が変わっていたり、母乳の成分も初乳から変化していたりするらしい。母の体を勝手に変えていく生き物、アカチャーン。かわいい顔してやってることはまんま寄生虫。
ー産後day5
やっと明け方3時間近くまとまって寝てくれた。2時間程度眠れるだけで回復レベルがぐっと上がる。深夜、グズグズ泣く赤ちゃんを抱っこして廊下を歩いていたら、妊娠中に母親学級で隣の席になった人に会った。予定日の時期もズレていたのにまさか同時期に出産になるとは。彼女の赤ちゃんはうちの子よりも1000g以上重いらしい、見た目でサイズの違いが明らかだった。3700gはでかい。頭がでかい。あれは産めない。うちの子小さく産まれてきてくれて親孝行だった。自分が3.5kgオーバーで産まれたらしいことを思い出し、私と同じく小柄な母に心の中で謝った。ビックベビー大変だったろうなぁ。久々に会ったママ友(?)は今回第二子出産で、上の子は女の子だそうで、お互いのベビーがどちらも男の子だと分かると「ねぇ、男の子のお股って…結構グロテスクですよね…」と玉の話になった。久々に会ったのに玉の話。ほんと衝撃だったよあれは。1ヶ月検診の日が同じだったので、コロナが落ち着いていたらお茶でもしましょうねと話していたけどコロナは全く落ち着かなかったので流れた。元気かな。
昼間、沐浴指導を受ける。感染症対策の制限がなければ父親も本当は参加できたらしい。退院後の沐浴担当は夫に担ってもらうつもりだったし、夫に来てほしかった。コロナめ。噂通り、赤ちゃんは手に何かが触れていないと不安になってしまう生き物だった。沐浴布をとった瞬間ギャン泣きしてかわいかった。沐浴後の耳や鼻の掃除の仕方も教わった。耳も鼻も穴が小さすぎる。大人用より小さなベビー綿棒を使っても、動きまくる赤ちゃんの小さな穴の掃除はかなり神経の使う作業だった。明日はもう退院の日。聞きたいことは今のうちに聞かなければ、と思うのだけど何を聞けばいいのか分からない。漠然とした不安。
出産からわずか1週間足らず。股の傷はまだまだ痛いけど、なんとか歩けるようになった。胸もガチガチで痛いけど、授乳も少しずつできるようになってきた。抱っこで腕も肩も腰も痛くなってきたけど、眠れない日々も当たり前になってきて、赤ちゃんのいる風景にすっかり慣れてきた。でも、さて、夫はどうだ?彼はまだ赤ちゃんを見ていない。オムツの替え方だって、産前の保健師訪問で人形相手に一度やっただけだ。こんなに壊れそうですぐ死にそうな生き物だってことをまだ知らない。数日の間に、自分と夫に大きな大きなスキル差が生じていることに不安と不満を抱く。体にダメージがない人間が最初の保育にあたった方がいいんじゃないの。産後1日目から一緒に入院して赤ちゃんの世話を担当してほしい。明日、家に帰ったら、その場で1番赤ちゃんに慣れているのが自分になってしまう。不安だ。助産師さんを1人連れて帰りたい。
ー産後day6、退院
赤ちゃんの体重増加は順調と言われていたが、母乳だと授乳量が分からないのが気がかりだったので測ってみた。深夜の授乳のタイミングで病室じゃなくてスケールのある授乳室へ。どうやって測るのか不思議だったけどなんてことはない、授乳の前後の体重を大きなはかりで測るだけだった。1回の授乳で30ccくらい飲めていることが分かった。それが標準なのか分からず助産師さんに聞きに行った。順調らしい。吐き戻しまくってて実際どれだけ吸収されているか分からないけど順調なのか?判断基準がわからなくて不安になる。それにしても、初日は1ccだったのに一週間で30ccも出るようになっているのがびっくりだし、飲めてるのもびっくりだし、変化のスピードが尋常じゃない。そりゃ乳も張るわ。胸はかつてないビッグサイズになっていて、しかもガッチガチの石みたいに硬くてずっと痛かった。母乳パッドを持ってきていなかったため、入院中に使ったブラは母乳の染みが落ちなくて全部ダメになった。そんなこと事前に予測できるかよ。母乳が出るかどうかも分からないのに。授乳ブラは産後半年くらい迷子で想定外の出費が嵩んだ。
朝、赤ちゃんも一緒に退院の許可が降りた。よかった。
午前中から退院準備。久しぶりにパジャマじゃない服を着て、赤ちゃんは持参した肌着を着せて。抱っこ紐はkonnyを持ってきていたけど使い方がわからなかったので助産師さんに教えてもらった。赤ちゃんは泣かずに家に帰れるだろうか。授乳と授乳の合間にうまく手続きもして帰らなければ。やっと夫に会える!待ってろ寿司!
一週間ぶりに産科病棟を出る。総合受付のところで合流。赤ちゃん見た夫、「わぁ〜ちっちゃい…!」だって。分かる、なんか、想像していた赤ちゃん像より小さかったよね。保健師訪問で見た人形より全然小さかったもんね。股から出すにはでかいんだけどさ。退院時の写真とか撮ってもらえばよかったな。撮り逃して、家族3人の写真が撮れるのは生後1ヶ月近くになってからだった。退院の手続きとか精算とかして帰宅。
帰宅後、まず赤ちゃんを車から降ろして、夫に抱っこしてもらう。初抱っこの写真もっとちゃんと撮ってあげればよかった。シャツ片側出てるし、検温済シール貼りっぱなしだし。一生懸命さはよく伝わるんだけど。さて、赤ちゃんようこそ我が家へ。たくさん寝てくれたまえ。
産後の寿司は沁みた。
費用と振り返りぼやき
お支払い 約38万円
ー出産育児一時金42万円は除く。42万円の方は直接支払制度を使った
ー子供にかかったお金(約2万円)込み
ー無痛分娩費用12万円(24時間体制)
ー大部屋(個室の場合は+約2万円/day)
ー食事レベルなどこれといって豪華な要素はない
ーただし周産期〜小児医療のレベルはピカイチで安心できる病院
あとで補填された金額 約20万円
ー高額医療費の払い戻し1.5万円(限度額適用認定証持っていったのに窓口で提示し忘れた)
ー個人的にかけていた医療保険9万円(診断書代が1万円だったので実質8万円)
ー健康保険組合の出産育児一時金付加金10万円(最高な会社だ)
申請の仕組みが死ぬほど分かりにくい(産後の頭は想像を絶するポンコツ)。家からの距離と24時間体制の無痛分娩可否で絞った中では最安値だと思う。健康保険組合の付加金に助けられているだけで、普通に高いよね出産。せめて無痛分娩は出産育児一時金に含めるとかできないんだろうか。出産のダメージは少しでも軽減できた方がいい。どうせ産後もダメージ盛り沢山。産後半年くらいは難聴と腱鞘炎で何度も病院に行った。
ひと口に無痛分娩といっても、症例数が少なかったり、24時間体制じゃなくて麻酔を入れられない時間があったり、ばらつきは大きい。受けられる医療レベルについて情報がまとまっているページが少ないので比較検討するのに苦労した。症例数については「無痛分娩 症例数」でググると厚生労働省のデータが出てくるからこれを参考にすると良い。無痛分娩ができるところは、ザ・自由診療!ご飯豪華!マッサージつき!みたいなところも多い。金額の振れ幅が大きいのはどうにかならんもんかね。
産後入院中は必死に赤ちゃんを見ているうちに終わった。股が痛い乳が痛いばっかり言っているけど、それでも無痛分娩の恩恵はあったと思う。あれより体力削られていたらと思うとゾッとする。退院の頃にはなんとか歩けるようになっていて(牛歩もいいところだけど)、なんだかんだ人間の回復力ってすごいなーと思った覚えがある。
体力ゲージが0から100だとして、産後が0で退院時には10、1ヶ月後には30くらいかな、みたいなレベル感で夫を始め周りには言っていた。産後1年経って、これは大きく間違っていたとようやく思い返せる。確かに回復のスピードはすっごく早い。グラフの傾きはギュンッてなってる。でも産後から退院まではマイナス3000がマイナス2800になった程度で、ついでに1ヶ月後でもまだマイナス1500くらいかな。0から100のゲージ?知らん。死体が気力で動いてるようなもんだった。感覚がバグっていて、本人の自己申告は桁外れに大きく間違っているからこれから産褥期の人間をケアする人は気をつけてほしい。
里帰りせずに夫婦+子の3人で新生活を始めたのだけど、夫が1ヶ月育休をとってくれて本当によかった。あれがなかったらどうなっていたのか分からない。夫の育休最高話はまた今度。あぁ、たくさん書いてスッキリ!妊娠出産、女にダメージ寄りすぎ。神に会ったら設計ミスについて説教しようと心に決めた経験だった。