蓮舫議員の国籍を「問題」にすること、それがすでに差別

※2016年にラブピースクラブに寄稿した原稿です。サイトにはもう掲載されてないので、noteに再掲してみました。

「民進党代表選挙に立候補している蓮舫代表代行は、6日に記者会見し、日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」になっているのではないかと一部で指摘されたことについて、台湾籍を放棄した確認がとれていないとして、改めて手続きを取ったことを明らかにしました。」
 
NHKをはじめとする民進党代表選挙に立候補している蓮舫代表代行の国籍についてのニュースを聞いて、ぞわっとした。そして、昔の自分を思い出した。
 
私は30歳を過ぎてから、法律を学んだ。何故かというと、在日韓国人と日本人の国際結婚で子どもが重国籍だったからだ。自分の親は、在日同士で結婚したから、国際結婚のことは分からなかった。当時、周囲にいた在日は、同胞同士で結婚していた。民族学級の講師や、先輩に聞いても分からなかった。子どもが男の子だったので、韓国籍にしたら兵役はどうなるんだろうとか、何も知らなかった。分からないということは、すごく怖い。
 
在日やダブルの法的地位とか国籍について、ちゃんと親が知らなきゃと思った。実際、在日同士で結婚するより在日と日本人の結婚のことの方が多くなってるはずなのに、情報は非常に少ない。自分の子どもが、少しでも不安を抱かないように。頼りない親だけど、何とか知らなきゃと必死で勉強した。まあ、日本で生まれて生きて行くんだから、日本国籍の方が便利だろうとは思っていたけど。そして、本人が決めればいい、と思っていた。
 
法律を学ぶ中、外国籍と日本国籍を有する人は、22歳に達するまでに、どちらかの国籍を選択する必要があるということを知った。日本はもちろん、当時の韓国は二重国籍を認めておらず(現在は限定的に重国籍を容認)、22歳になったら子どもはどちらかを選ばなければいけない。ただ、日本国籍は離脱しない限りはそのままなので、自分の子どもはこのまま行くと、「自動的」に日本人になるだろうな、と思った。でも、どちらも自分の国のはずなのに、どちらか一方だけを選ばなきゃいけないのは、なんとなく納得がいかなかった。
 
国際結婚では、結婚しても外国籍の人の名前は変わらない。でも、保育園に子どもが通うようになると、「李さん」ではなく、これまた「自動的」に「○○さん(パートナーと子どもの名字)」と呼ばれるようになった。私が「○○ではなく、李です。私は在日で韓国籍、国際結婚では、名字は変わらないんですよ」と話すと、大抵の相手は「そうなんですか。でも、結婚したら帰化できるんじゃないんですか?」と答える。
 
「なぜ結婚したら帰化しなきゃいけないの?そもそも赤の他人のあんたに国籍、決められたくねえよ!」と、ブチ切れる。…のも大人げないので、「帰化しなくても問題はないから、しません。」と答える。本当にいつも、面倒くさい。
 
私には一回り年の離れた兄がいて、日本人と結婚した。ある時、義理の姉に「そう云えばお姉ちゃんとこも国際結婚で、結婚したばっかりの時旧姓じゃなかった?お姉ちゃん、いつの間に○○になったの?」と聞いたことがある。「ああ、家庭裁判所で改姓のための簡易裁判をしたの。結婚してすぐなら通名(兄の日本名)の名字に変えられたけど、手続きが遅れたから。」と、さらっと答えた。マジですか。あんたいつの間に。
 
日本で生まれ育ったなら、女の子なら。好きな人が出来たら、その人の名字の下に自分の名前を書いたりした人もいるだろう。少女漫画か。まあ、他人のことはどうでもいいし、夫婦別姓を支持する人、好きな人の名字になりたいという人も(それが社会的に組み込まれてしまった価値観だとしても)、別にいいんじゃない?とは思うけど。
 
でも、お姉ちゃんは普通のどこにでもいるような女性なのに。知らんうちに簡易裁判までして夫の名字になるなんて、単純にすごいなあと思った。それが愛の力かなんなのかは、今でも分からないけど。そして、いつも変えさせられる、どちらかを選ばされるのは女なんだなあとも思った。
 
息子が中学生の時に、卒業証書は日本名(パートナーの名字)だった。民族学級からの卒業証書は民族名(私の姓)で、それを見て疑問に思った。そのあとで、「なぜ子どもの名字をどちらかひとつにしたんですか?」と学校や民族学級の講師に尋ねた。私は、両親の名字を両方書いて欲しかった、と伝えた。どちらかではなく、両方。選択肢が多い方が良いと、そう思う。前例がなければ、作ればいい。
 
それから、今回の蓮舫議員の件について民進党のほかの議員はなにをやっているんだろう?とも思う。差別に加担している自覚はあるんだろうか。蓮舫議員の今回の問題は、歴然たる差別が背景にあるんだよ。複数のルーツを持つ人が、もっと自由であるような社会を作るのが政治家じゃないのかな。もっとしっかりせえよ、と思う。
 
多重国籍を認めている国は、アメリカをはじめ、ロシア、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、トルコ、ナイジェリア、モロッコ、オーストラリア、台湾、フィリピン…。書ききれないけど結構たくさんある。韓国もそうだけど条件付きで容認など、各国でその状況は違うけど、国際的に見てそう珍しいことじゃない。日本人のあなたが女性で、日本人の男性と結婚したとしても。もしもカナダ(別にカナダじゃなくアメリカでもいいんだけど、まあいわゆる血統主義ではなく出生地主義で国籍が決まる国)で出産した場合、子どもは日本とカナダの二重国籍になるんだし。
 
そして、蓮舫議員を見ていて、日本で女性が声を上げること、それがさらにマイノリティだった場合の難しさを実感する。新井将敬氏の黒シール事件もあったとはいえ、蓮舫議員がもしも男性だったら、ここまで攻撃されたんだろうかと思う。以前、焼き魚を皿に盛った写真の魚の頭の方向にさえあげつらわれているのを見て、この社会がどんどん壊れていくような悲しさを感じた。また、ダブルの女性がミスコンに日本代表として出た場合、激しいバッシングにさらされたりもする。これがいわゆる、複合差別だと思う。
 
それでも、声を上げ、政治家として活躍する蓮舫議員の姿は素晴らしいと思っている。と同時に、彼女が「私は日本人です」と話すたびに、女性が社会に出た時に何かを捨てさせられる、選ばせられることを再度見せつけられている。「私は日本人です。そして、日本だけじゃなく台湾のルーツも持っています。それって豊かで、素晴らしいことでしょ?」といえるような社会じゃないと、駄目だと思う。
 
どちらにせよ、名字とか国籍、選ぶのはその人自身。誰かが決めることじゃない。「ひとつ」であることにこだわる社会は息苦しいなと思う。多様さを認める(認めるというより、当たり前って方が良いのかな)ことは、豊かな未来を作ること。そういう未来を、社会を子どもたちに残せたらいいし、それが果たさなきゃいけない大人の役割。「どちらか」じゃなくって、「どちらも」私、そういうことをのびのび発言できる社会を一緒に作りたいよね。



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