見出し画像

ほめ言葉は、記憶をすり抜けて蓄積される。

誰かがくれたほめ言葉というのは、記憶をするんと抜けて、こころの一番根っこの部分に溜まっていくんじゃないだろうか。つまり、きっかけがないとはっきり思い出すことはないのだけれど、気がつくと、自分の”今”を形作っていたというような。

苦手なことばかりの私だけれど、胸を張って「これは得意分野です」と言えるものがひとつある。それはアイディアを出すことだ。家事時間を楽しくするためのゲーム化や、効率化するための時間術などを本に書いているけれど、それらは全部0から(ときには1から)生み出してきたものだ。

でもよく考えてみたら、アイディアを出すというのはむしろ、とんでもなく苦手意識のあった分野だったはずだ。たとえば「標語」のように、自分の頭と言葉で考えるような課題は大きらいだったし、極力やりたくなかったはずだ。少なくとも10代のころまでは。

じゃあ、どうして自信を持っていられるのだろう? ーー思い出したのは、とあるセミナーでの出来事だった。


人見知りで上がり症だった私は、就職活動が本格的にはじまる前から、なるべく企業主催の1dayセミナーなどに足を運ぶようにしていた。少しでも誰かと話す経験を積むためだ。

いろんなスキルを磨く方法を学べたりもするので、行ってよかったものが圧倒的に多い。なかでも、有名企業主催の数日間に渡るセミナーはとても勉強になった。発想術の基礎を1から叩き込んでもらえたし、アイディアを出すためのさまざまなフレームワークも教わった。学んだ考え方を生かし、グループごとに仮想の商品企画をするというのがセミナーの主旨だ。アドバイザーのような位置づけで広告企業のクリエイター職の人たちがついており、リアルタイムでいろんな話が聞けるし、アドバイスをもらえる。

「君のアイディア量はすばらしい。しかも独創的なものばかりだ。来年、ウチを受けてみないかい?」

壇上からマイクで響き渡る声に、同じグループだった人たちが「すごいじゃん!」「めっちゃほめてもらってる…」と一緒に喜んでくれた。すっかり忘れていたけれど、そのとき、私のなかに”自信の種”が生まれたのだと思う。


なにかに行き詰まり、八方塞がりで、落ち込むことがよくある。でもそういうとき、諦めずにすむのは無意識の自信のおかげだった。「大丈夫、なにかアイディアがある。なんとかなる」と。

ネガティブな私が、どうしてそんなことを思うのだろうと不思議だったけれど、これはきっと、あのときに生まれた自信の種のおかげに違いない。


自信を生み出してくれるのは、何よりも”だれかがくれるほめ言葉”なのだと私は思う。今得意なものはきっと誰かが育ててくれた自信の種が芽吹いたものなのだ。

私も誰かの素敵なところをたくさん見つけて、そして、”自信の種”を探す手伝いをしたい。そのための自分の”目”も養いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?