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「得意」の掛け算

得意なことってさ、誰にだってあるんだよね。
人と比較したり、適応しようと必死になりすぎたりすると、きっと見逃してしまう。
他人の長所、自分の得意。

最近、たかが外れたように仕事の仕方を変えてみようとしている。
目的が「周りと上手くやること」「自分の強みを活かすこと」みたいに、自分にどうしようもできないことで空回りしている気がしたから。
もうありのままの自分でやってみていいんじゃない?と思えてきた。

そのとき思ったのは、私たぶん人が持っていない長所も得意もある。
苦手や嫌いもあるけど、自分の苦手は誰かの好きであれば問題ない。
仕事として、チームとしてはカバーできる。むしろ人が苦手だと感じている仕事を私はたぶんそれなりにできると思う。面白いと思ってしまう。

とあるきっかけで、過去の自分の経歴をチームのメンバーに話してみたら、どうしたらそんなキャリアになるんですか、と言われた。
自分にできることを必死にやろうとしたらそうなっただけ。

それでも謙遜して、自分ががんばってきたことを半分ほどしか言語化できなかった。(ごめん、過去の私・・・)
裏を返せば半分は伝えられたし、伝わっているんだなという実感はあった。
それは昨日の私にありがとうだなって。

私は決して自慢したかったのではなかった。
むしろ経歴を伝えることで、私は人が厄介だと思う状況を面白くこなせることが多々あると知ってほしかった。
みんながハッピーな結果になるまで粘れる私をうまく使ってほしいだけ。

困っていることを知らせてくれたら、なんとかできる。
解決力と急進力はあると思う。考動力とでもいうだろうか。
それにはそろそろ自分が自分にOKを出してあげないとなと思う。

いろんな環境でいろんな人を見てきて、何かを一緒につくってきた。
そのときそのときでズバ抜けた120%の自分を発揮して結果を出してきた。
自分には周りの人にはできない「得意」があると思っていい。

おかげでこれまで「ありがとう」と言われたことをもっと真剣に受け止めて別の誰かに還元してほしいと思う。
わたしがわたしに期待したほうがいい。
周りが認めてくれることで自分を認められるような気がする。
けれど、周りが認めてくれた時、しなやかに開花できる自分でいるためには自分が自分を承認していることが何より大切だろう。

あのとき、あのとき、あのとき
それぞれの環境で発揮した「得意」は全部ちがう。
この要素を全て掛け算したら、どんな私になるんだろう。
そういうまだ見ぬ自分を開発できたら、どれだけの人が喜んでくれるだろう。楽になってくれるだろう。

自己開発ができたら、周りの人の「得意」開発もできそうな気がする。
この開発・研究はとてつもない可能性が見えるミッションではないか。

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