まだまだ道の途中
気付いたら19歳になってしまいました。
年を重ねるごとに感じる責任も、未来へのわくわくと同時にそれ以上の不安も、大きくなってきたのをひしひし感じます。
自分が選んだ道を、覚悟と責任を持って生きてるつもりでも、やっぱり時々は怖いし、世間の目は気になるし、時に色々なことを言われてブレそうにもなる。
高校を卒業して無所属になって、正直何が一番怖いかって、初対面の人や久しぶりに会った人に今の自分を説明するときなんです。
これといった肩書きも所属もない。自分なりにやっていること・学んでいることがあってもそれは内的変化にしかならなくて、現時点では何か世の中に価値を生み出しているわけでも、自らお金を生み出せているわけでもない。そんな私をよく思わない人や心配してくれる人はもちろんいて、色々な忠告や時には少し強めの助言をいただくこともある。
心配してそんな言葉をかけてくれるのはとてもありがたいことではあるけれど、その言葉によって傷ついたり、落ち込んだりすることは多くある。だって自分が一番わかっているからね。色々なリスクを知りながらも、その時その時で「今の自分にフィットするやるべきこと、やりたいことを選択しているし、将来のことも考えている途中」なの。
だけど言い訳や逃げ、甘えのようにも聞こえる気がして、周りに堂々と言えるほどの自信は持てなくて、それゆえに等身大の自分でぶつかりに行ったときの相手の反応に傷つくのが怖くて、「ギャップイヤーを取って、インターンしたり合宿事業してたり、旅してます」と当たり障りのない都合の良い言葉を並べてしまう。
嘘を言っているわけではないけれど、これが自分を説明するしっくりくる言葉ではなくて、いつも言いながらモヤモヤする。
私はあんまりギャップイヤーとは名乗りたくはないんです。いつか大学に行くつもりはあるけれど今ではないし、ギャップイヤーのうちに何かこれをしよう!というわけでもなくて、ただ、その時その時のやりたいことをやってワクワクすることを追いかけていたら、結果こうなっているだけだから。自ら望んで、ある程度の覚悟も責任も持って選択したんだから、周りの反応がどうであれ、このまま突き進んで自分の人生に賭けてみたい。
でも人を前にすると、「傷つきたくない、傷つくのが怖い」その気持ちばかりが先行して、自分の守りに入って「自然体」から遠ざかってしまったり、言われた言葉にグサッときて「安定や安心」を求めようとしてしまったり、自分の道に走り出したばかりの私はまだまだ揺れる。周りの反応にとてもびくびくしてる。とにかく怖い。
だけどだからこそ、「やりたいことをやり切る、わくわくし続ける」ってことが、
今応援してくれる人と、同じように自分の道を突き進んでいる仲間、共に共創してくれる仲間への最低限の恩返しなのかなぁと最近思ったりもしています。
誕生日になる瞬間をみんなに祝ってもらった
このままわくわくすることを貫いていって大丈夫。このまま進もう。
肩書きではなく、等身大の自然体な自分で自分を語れるように。
ラストティーン、ある意味でこの一年が今までで一番の勝負どころであり、分岐点な気がします。
引き続き自分に素直にわくわくを追いかけながら、より進化し続けるためにも
そんなことを目標に、自分勝手力となるものをつけていきたいです。
mustじゃなくてwantを追うよ。
2022/9/29
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