何のために頑張るのか

noteに初めて投稿するのがこんなもので良いのだろうかとも思うが、とりあえず書いていこうと思う。

何のために頑張るのか

私は去年中学受験を経験し、晴れて第一志望の中学校に合格した。
それまで、私は第一志望に合格するという目標を持ちとにかく頑張っていた。
また、負けず嫌いな私からしたらとても良い存在であるライバルがいた。
この子に勝ちたいという一心でテストに向けて勉強することも多かったと思う。
今思えば、他人と競ったところで結局は自分との戦いだったがw

しかし!
受験が終わり、中学生になった時、勉強をやる理由がわからなくなるという事態に陥ったのだ!!!!!!!

まず塾でもそこそこの成績を収めた私は、学校のテストは勉強をしなくても100点をとれた。
その日の朝になって「あ、今日テストか」なんていうのはザラだった。
中学校では、小学校の時との違いに驚くことになる。

中学校では、小学校ではそこそこ優等生だった私と同じぐらいの学力の子が揃うのだから、当然小学校の頃のようにノー勉でテストに臨むなどできない。
小学校の頃との違いを認識せず、とにかくテストをナメていた私は前期の中間で大変な成績を収めることになる。

また、私の学校では平均点も最高点も最低点も公表されず、ましてや学年内の順位ももちろん公表されない。負けず嫌いの私のスイッチは入ることがなかったのである。

そこで私は、最近自分の中で自分を褒めてあげることで、やる気を高めるようにしている。
例えば、今日は理科IIのまとめノートを作ったから、あとで好きなお菓子を食べようとか。(ご褒美は大抵お菓子だ)
ちょっとしたことだが、その積み重ねが大事なのではないかと感じている。

おまけ 「頑張る」が人を苦しめる

よく応援などで使う「頑張ってね!」という言葉。言っている側に悪意などなく、むしろ応援してくれている。しかし、私はこの言葉はあまり好きではない。
そう感じるようになったのは、一冊の本を読んでからだった。

その本では主人公の友達である、中学受験をする女の子に対し、主人公が「頑張ってね」という。
主人公は根っからのいい子でもちろん悪意などなく、心から彼女のことを応援していた。
しかし、彼女は志望校の中学校と同系列の小学校に一度不合格になるという苦しい過去を持っていた上、父とも志望校のことで喧嘩をし、とても苦しんでいた。
そして彼女は「これ以上頑張れないよ…」と言い泣いてどこかへ行ってしまう。
彼女を泣かせてしまったと苦しむ主人公に幼馴染の男の子が言った言葉が心に残っている。

「頑張るってさ、頑なに張り詰めるって書くだろ?その言葉があの子を追い詰めていたんじゃないかな」

この言葉に私もハッとさせられた。
自分が善意で言った言葉に相手が苦しんでいるかもしれないのだ。
今は、SNSが発達し、言葉の本意がより伝わりにくい時代。
言葉の使い方には十分気をつけたいものだ。





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