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#50 生きていてくれてありがとう

今日、約3ヵ月ぶりで実家に行ってきました。

車で30分程度で行ける実家だけれど、
コロナ渦の中、
母に会うこともガマンしてきました。

73歳にもなって
薬ひとつ世話にならない健康な母は、
相変わらず元気で、このコロナ渦の中
ビックリするくらいに進化していました!

zoomミーティングへの参加方法は
わたしがLINEを通じて教えたのですが、
弟に教わって自らミーティング開催まで
出来るようになっていたし!

さらに、元気なくせに終活意識がすごい母、
自分が死んだ後に処分に困るだろうという
古いアルバムを、
自分で選んだ写真だけスマホで写して、
簡易デジタル化していたのです!

その写真をスマホからTV画面に繋げて、
嬉しそうにわたしたちに見せてくれました。

父の学生時代の写真から
母の嫁入り写真
わたしたちが子供の頃の写真
孫たちの写真…

アルバムに納まっているよりも
この方がたくさん見るのよ!という母の談。

たしかにスマホに入っていれば
見直す機会が増えるし、いつでも一緒です!

そして、
会わなかった間のこと…
これから先のこと…

普段からLINEではやりとりしていたけれど、
顔を合わせてゆっくり話が出来たことは
何よりも幸せな時間でした。

生きていてくれてありがとう。

母との時間を綴っている今、この言葉が
突然こみ上げてきて、泣きそうです。

今でも現役で仕事をしている母ですが、
40歳くらいまでは、子供が手が離れたから
少しパートをするような、
どこにでもいる主婦でした。

その当時に、今の仕事に出会い、
これからは、夫の収入に頼るのではなく、
一家に二つの収入の柱が必要なんだと、

そして、仕事にするなら、
誰にでも平等にチャンスがあって、
努力が正しく報われる仕事が理想なんだと、
メキメキと働く女性に変身した母。

付き合いが広くなり、
仕事が楽しくも、忙しく、
何よりも早く軌道に乗せたい思いもあって、
家にいる時間が少なくなり、
父は寂しいのでは?と思う時期もありました。

でも、定年のない母の仕事のおかげで、
晩年の父は肩の荷を下ろすことが出来たはず。

母が仕事に覚醒した年齢は、今思うと
わたしがアパレルに復帰した頃に重なります。

だからこそ母は、
わたしの気持ちも、夫の気持ちも汲みつつ、
わたしの仕事を応援してくれるのだと思う。

7年前、起業することを報告した翌日、
母に呼び出されて、借金をするな!と、
預金通帳を差し出されたことがありました。

いつだって、心配して反対した後、
真っ先に応援してくれるのが母なのです。

その時は「本当に困ったら貸して」と押し返し、
事業資金の融資を受けてRosaryはスタート。

スタートアップは順調に軌道に乗り
母も安堵していたはず…

ところが、その順調さに翳りが出始め、
このままではいけないと
自社でWEB STOREを運営する今のスタイルに
ビジネスモデルを変更した後、
しばらくの間、本当に資金繰りが苦しかった。

家から資金を持ち出し、
さらに追加融資を受け、
それでもお金が足りなくて
かードローンで繋ぎ資金を用意して…

徐々にWEB STOREが順調になってきたら
それはそれで、仕入れ額も増えて、
一時的に足りない金額も大きくなり、

もう、夫には甘えられないな…
でも1ヵ月だけお金が足りなくなると言う時に、
わたしは夫に内緒で、母にお金を貸してほしいと
はじめて泣きつきました。

母はわたしを責めることもせず「わかった」と…

すぐに銀行に行き、わたしにお金を貸すために
定期貯金を解約しようとしてくれて、
それが振込サギだと疑われて大騒動に…

銀行にいる母から電話があり、
わたしが実の娘だと確認された後に、
母からの振込があった時には、
本当に情けなかったなぁ。

そして、黙って母からお金を借りたことを
夫にも怒られました。
そりゃあそうだよね。夫のメンツ丸潰れ。

その時、泣きついたわたしに
母が言ってくれた言葉。

借金も財産
たかだか2〜300万で泣くことない

あの時は情けなくてたまらなかったけど、
それもわたしにとっては必要な経験だったと
今は心から思えます。

破天荒な祖父を反面教師に
とにかく勤勉だった父と、
素直で好奇心旺盛で、前向きな母。

夫と出会った時に、この人となら
自分の両親みたいな夫婦になれるかもと
思えたのだけど、
その時想像した以上に、わたしは母に似てきて、
危なっかしいわたしを、夫は父のような寛大さで
見守ってくれています。

なんて幸せな人生なんだ。

父ともっと過ごしたかった時間を
母とこれから過ごしていきたい。

だから、今日も生きていてくれてありがとう。

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