鼻抜け経歴(日本編)


さて、今回は私の鼻抜け経歴について書こうと思います。

私は12歳からサクソフォンを吹奏楽部で始めました。
私の学校は部活に力を入れてるタイプではなかったので、部員全員が独学で楽器を学んでいる状態でした。
なので教本を読みながら勉強していました。

高校卒業後、尚美ミュージックカレッジ専門学校に入学し、充実した学生生活を過ごしていました。
尚美3年生の時、練習中に急に鼻がググッとなり始め、苦しくて吹けなくなりました。
周りに聞いても、そんなのなったことないよ〜という方々が多く、なんなんだこれは、、、という所から私の鼻抜け人生が始まりました。

そこから鼻から息が漏れるようになり始め、痛くて吹けない。ということが頻繁に起こり始めました。

ネットで調べてみるとどうやら「鼻抜け」という症状ということが分かり、改善方法を調べ試してみましたがいまいち解決には繋がらず、、
という日々を過ごしていました。

鼻抜けはなる日もあればならない日もあって、
なる日は大体1時間くらい練習しているとなり始めました。
鼻がツーンとして、タオルで鼻を押さえながら早く治れーーと願っていました(笑)

普段はアルトサクソフォンを吹いているのですが、室内楽でテナーやバリトンサクソフォンでは鼻抜けがなかったので、その2つを吹いている時はとても快適だったのを覚えています。

ですが基本的には楽器を演奏している時
苦しい、という感覚が8割で思うように吹けなかったり、練習してもなかなか上達しなかったりで息詰まることが多かったです。

そんなこんなで卒業試験を迎えました。
30分プログラムで
ラーションの協奏曲(全楽章)
サンカンのラメントとロンド
でした。

今なら絶対に選ばないおもーいプログラムです(笑)
当時確かコンセプトという新しいマウスピースが出て人気で、コンセプトにリード3半というこれまたおもーーーいセッティングでした。

その当時の私は、難しい曲吹いたほうが勝ちみたいな謎の価値観を思っており、フラジオ(高い音)が当たればオッケー!みたいな感じでした。

迎えた本番では、
苦しい、鼻抜け、とにかく勢い、とりあえず頑張る、根性でやり切る
で押し通した結果、ウウウ〜〜〜〜〜と喉を唸らせながら吹きました。

学生時代は、
いつも100%の力を出してるのに、なんかずれてる?という感じで、結果も伴わなくてよく泣いてました。
頑張ってるのに、なんでいい評価がもらえないんだろう。とずっとその事に囚われていました。

こういう風に吹きたい!と理想ばかりが膨らみ、イヤホンつけながら歌ってると、上手に歌ってるような感覚で、上手く吹いてるつもりで、自分の音が聞けてなかったなぁと今思います。

それでも学生生活は楽しいことも多くて、尊敬する素晴らしい先生の元で勉強でき、楽しい同期もいて周りに支えられていたおかげもあり、苦しいことばかりではありませんでした。
今現在まで色々なことがあったけど、音楽って素晴らしいサクソフォン素敵、だから頑張ろう!と思えたのは原博巳先生の影響がとても大きいです。
原先生のレッスンを受けれたこと、色々お話しできたこと、素晴らしい音や音楽を間近で聴けていたこと、本当に幸せでした。

けれど、卒業後の進路を考えた時に今のままじゃ何の仕事も出来ないと思いました。
演奏もまともに出来ない、人に教えられるような奏法でもない、でもまだ音楽の道は諦められない、、、と悩んでいた時に、なんとなくぼんやりと持っていたフランスに留学してみたい。という思いが強くなっていきました。

ゼロから始める気持ちで!と卒業後留学しました。



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