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控え室にて

「お疲れ様」と、彼女はそう言って控え室に入ってくる。確かに私は疲れていた。彼女は疲れているはずなのにそんな素振りは見せなかった。少しぽってりとした唇を携えて私の前で笑う彼女は美しかった。遠く異国の石のようなキラキラした瞳を私に向けていて、私は硬直する。

「ねぇ、どうしたの?」と、彼女は言って私の手首に指を這わせる。私は彼女を見ることができないまま、手首を触られている。あまりの冷たさに手を引きそうになるけれど、我慢する。爪の先が艶めいている。私の爪とは大違い。

「つかれた?」と、彼女は私に聞く。頷いてから顔をあげたら彼女と目が合った。

「初めて?」

「いや、五回目くらいですけど」

「歴は?」

「まだ二週間で…」

「どおりで初顔なわけだ」

美しい顔がこちらに向く。優しい手が私の頬に触れる。柔らかい指先が顎を持ち上げる。

「こんな場末だけど舐められちゃ駄目だよ」

彼女はそれだけ言うと、ブランド物の鞄から煙草を取り出して、火をつける。「こんな場末」という自虐めいたことを言葉にしたその口で、煙を吐く。

鞄から煙草を取り出すその仕草も、一本取り出して口に咥えるその口元も、俯き気味に火をつけるその目つきも、効きすぎた冷房の風から火を護るように添える左手の甲も、顔を上げたときに頭を振って邪魔そうな前髪を振り払うその動きも、全てが絵になる人だった。だから、私は見惚れてしまった。

「ん?」

私の視線を感じて彼女はこちらを向く。

「いえ…」

私はそれしか言えなかった。

「いくつだっけ?」

「……十七です」

私は彼女には嘘がつけなかった。オーナーには平然とつける嘘も、彼女には通用しないと感じたのだ。だから嘘偽りなく私は答えた。

「あっは!なにまだ十八にもなってないの!かわいいねぇ。何かあったからこんな店で働いてるんでしょうけど。まぁ、何があったかは聞かないよ。あんたも同じようなことがあったら聞かないでおきな。知って得することの方が少ないんだから。いいよ。店長にはナイショにしてあげる」

彼女の少し厚めの唇から発せられる言葉がすんなりと私の中に入り込む。初めてとったお客さんよりも、それはすんなりと入ってくる。

「あんたが今、あたししか居ないから正直に答えたってのは分かる。だからあたしはそれに乗っかるよ。秘密の共有だ。それくらいはお安いモンだしね」

私は見逃さない。年齢を答えた瞬間に笑いながら灰皿に煙草を押しつけて火を消す彼女の動きを。手つきを。

「他の奴がいるときはいくつなの?」

立て続けに与えられる問いに少し混乱しつつ、「お前の偽りの年齢はいくつなのか?」という内容であることを理解して、私は答える。

「二十一です」

「四つも逆鯖読んでんの!」彼女は煙草を咥えながら手を叩いて笑った。

何故か分からないけど、彼女の笑顔が見られたことに私は安心する。それほどまでに彼女の笑顔には力があった。単純な美しさもあるのかもしれないけれど、でもどこか愛嬌を感じる笑顔だった。

「てことは、友達の娘と同い年か〜」

どこか懐かしそうに虚空を眺めながら彼女はそう呟いた。そういう表情をされると長いまつ毛が際立って、同性なのにドキドキしてしまう。

私は、何も言えない。何も質問できない。緊張してしまっていると、私自身がそう叫んでいる。彼女の存在は控え室を支配するには強すぎて、それなのにどこか包まれているようで、私としての形を失ってしまう気がした。

冷房の鳴く声も、小さな冷蔵庫が創り出す音も、香水臭い控え室の空気も全てが気にならなくなり、そして彼女に注目してしまう。

一人のときは、周りの音が気になってしまっていた。それなのに彼女が帰ってきた途端に、全てが彼女に支配される。そのギャップに私自身がついていけていない。ひとつひとつの仕草が気になって見てしまう。でもずっと見ているのは、視線を向けているのは失礼な気もしてしまって、目の端に映すだけで我慢してしまう瞬間もあった。

少し無造作で、言葉遣いも荒っぽくて、声も低くて、煙草が似合う。私が17でなければ、もっと煙草を吸っている仕草を見られたかもしれないのに。そんな考えが頭を支配する。成人していないという事実を恨みながら、その空間を過ごす。

私は昔から美しい人が好きだった。そこに性差はなくて、それでも、特に女性には惹かれていたのかもしれない。ただそれは単純なセクシャルな話ではなく、恋愛対象は男の人だし、女性とのそういう話には興味は無かったけれど。同性ゆえの、憧れなのかもしれない。自分には無いその姿を見ているのが好きだった。その美しさで周囲を殴り散らかしているということを、本人が自覚していないという事実が何よりも好きだった。

美しさは、空気を壊す。雰囲気を壊す。ただ、そこに悪意は無くて、だからこそ美しいのだと思う。

私は彼女にその美しさを感じた。

初めて出会ったのは入店したその日で、彼女は帰り際だったのだと思う。てきぱきと着替えを終えて、楽そうなワンピース一枚で、長い髪を無造作に纏めて、袖から見える腕は不健康に細かったけれども、顔にある形の良い唇から、「お疲れ様でーす!」とだけ発して、スニーカーの踵を踏みながら歩く彼女の姿に、私は魅了された。

そこから二週間経つ。二人きりになることは初めてだけれど、お店が暇な日なんて控え室に四、五人居るときがあって、そんなとき端っこに座って黙って彼女の声を聞いているときもあった。

私にとっては先輩で、彼女にとっては後輩の女の人を慰めていた。怒りながらも。泣きながら話すその人のせいで、空気は最悪だったけれど、彼女が快活に全てを受け容れて話を聞いていたのを私は覚えていた。

彼女は三十一歳で、このお店で働き始めて八年程が経つ、ベテランだった。指名も一位で、人気だった。

「あんた◯◯知らないの?世代か〜」とか、「最近のそんくらいの子って何が楽しみなの?やっぱりYouTubeとか?」みたいな質問を続々と受けている今も、彼女は煙草に火をつけようとしなかった。

私は一つ質問が出てきて、彼女に聞くことにした。

「どうして、このお店で…というか、こういう仕事をしようと思ったんですか?」

彼女は私からの質問に驚いていたけれど、「うーむ」とわざとらしく頬杖をつきながら答えてくれた。

「これでしか生きられないからね」

そう答える彼女の唇は相も変わらず美しかった。

「あたしの友達で、いるわけよ。あんたと同じ歳とかもう少し若い歳で子供こさえてさ〜、でも男を見る目ってのが皆無で、こさえた子供を育てながら生きてるような女ってのがいっぱい、いるわけ」

私はうなずく。

「で、その中で一人。アホな女がいたわけ。どんだけ店からダメだって言われたって生で最後までやっちゃうような女が。その結果三人も作って、作るたびに堕してるような女がね」

私はうなずく。

「だから、あたしはむしろこういう話をあんたらにして、ちゃんとてめーを大事にしろってのを伝えるために働いてるってわけよ。いわば啓蒙活動?」

彼女は笑いながらいう。私はうなずく。

「あんたも自分を大事にしなよ。もう既にこんな店で働いてんだから手遅れだと思ってるかもしんないけど。でも、譲っちゃいけない部分だけは持ちな」

今までとは違う空気を感じとって、私はうなずく。うなずくことしかできない。

突然ボーイの声が控え室に響く。

「まーたご指名だって。人気者は辛いね」

彼女はそう言って立ち上がる。

「じゃ、今度はあんたの話聞かせてよ」

そう言って控え室から出て行く彼女。

背中の真ん中に薔薇を抱えて、両肩甲骨あたりに百合と菊を咲かせた彼女は、そう言って控え室から出て行った。




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